疑惑?確定診断編 >>>>

「まさか自分が」と誰もが思っている

発端は検診での再検査

人生初のMRI検査だ!

組織採って調べてみませんか?

またも結果は持ち越しなのか……

Y先生との出会い

もう一度エコーとMRIをやる

浸潤性小葉癌かも?

痛い痛い痛い針生検

確定診断の日

「いい癌でよかったね」

知識武装して恐怖に立ち向かう

手術日と術式の決定

形成外科を初受診

どんどん気持ちが滅入ってくる

先生におまかせいたします!


摘出手術・治療編 >>>>


乳房再建編 >>>>


乳頭乳輪再建・経過観察編 >>>>


ついにサバイバー編 >>>>


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「いい癌でよかったね」

癌のもともと持っている性質が治療成績にも予後にも再発や転移にもすべてを大きく左右するということを今ではすっかり理解しているのだが、その時はびっくりして「いい癌も悪い癌もあるかよ! 癌は癌じゃねえかよ!」と思った。
「あれ? 不満そうだねえ。悪い癌だった方がよかったの?」先生はいたずらっぽい表情で私の目を覗き込む。
「いや、不満とかそういうわけでは……ていうか、そもそも癌って悪性なわけで、いいとか悪いとか言われても……いや、えーと、それは悪いよりはいい方がいいですけど……ていうか、でもそれって“不幸中の幸い”ってやつ? それは、でも、私としてはその……いずれにしても、私には“人生の一大事”なわけですからッ!」
自分でも何を言ってるのかわからなく、だんだん支離滅裂になってきた。そうだよ、人生の一大事なんだよ、だって癌になっちゃったんだから。ただ、世間の人が言うほどに私は奈落の底には突き落とされなかったし、自分の回りから色が消えていくような感覚にも陥らなかった。告知が青天の霹靂となるには疑惑の期間が長過ぎたせいもあるが、親しみやすい風貌のY先生に穏やかな語り口でされたことが一番大きいかもしれない。

「これだけ広がっていると全摘だね。乳頭温存も無理かもしれないけれど、シリコンを入れてふくらみを作ることはできるよ」
温存は無理だろうとは予想していた。だって、確定診断のための組織採るのに10回以上針刺してちゃんと癌細胞が採れたのは3つきりなんだもの。そんなに細かくパラパラ散らばっている癌細胞を余さず切り取るだなんて絶対に無理だよね。それは納得せざるをえないのだけど、全摘されてしまうのかと思うと、やっぱり悲しい。母の手術痕を見ているからどうなるのかは知っている。あれはやっぱり悲しい。シリコンを入れればふくらみは作れる……その言葉は強く残った。

「それからね、ホルモン受容体が強い癌だから、術後はホルモン治療を5年間してもらうことになるね。これは再発のリスクを下げるためです」
母はホルモン受容体が陰性だった。高齢者だから身体の負担も考えて、母の主治医はすっぱりと全摘した後は定期的な検診のみで彼女をあえて無治療にしていた。そうか、ホルモン治療って5年間もやるものなんだ……。先生はざっくりとではあるが治療薬の種類とその副作用などの説明をしてくれた。私はノルバデックスという経口薬を処方されるらしい。日本人の罹る乳癌はエストロゲンという女性ホルモンを餌に増殖するタイプのものが多く、私の癌はこの受容体が強陽性だった。このエストロゲンをブロックして癌細胞を“兵糧攻め”にするお薬だそうだ。
これまで多くの患者さんに同じ話をしてきた先生の口調はよどみないものだったが、立て板に水というわけではなくて、きちんと私と視線を合わせ要所要所で私に受け答えさせる“間”を含んでいた。

「で、手術、どうする?」ひととおり説明した段階でY先生は言った。自分の体内に癌細胞があると知らされれば、たいていの人はモタモタしていたら手遅れになるかもと焦るものだろうが、私はそうでもなかった。10年もかかってこの大きさになった癌が、1ヵ月や2ヵ月でいきなりどうこうならないだろうと思ったのだ。正直に言うと、自分のこれまでの生活とこれからの生活が著しく変わってしまうことの方が怖かった。私は一家の大黒柱で、働かずに治療だけに専念しているわけにはいかないのだ。むしろ治療費を稼がなくてはならない。
「あのう、先生。私、自営業っていうかフリーランスで仕事してまして。8月は仕事を入れてしまったんです。入院とか手術とかになると段取りとか根回しとか、その……」
「ああ、代わりがいないのね。いつなら空けられる?」
「9月には……」8月にまとまった仕事の打診があって受けてしまったのは本当だが、そこにはやっぱり手術を先延ばしにしたい気持ちがあったのは否めない。
「よし。じゃあ、ホルモン治療薬を今日から飲み始めよう。あなたの場合には進行を抑える効き目もあるだろうから。で、来月になったらまた来てもらって手術日とか手術方法とかその時に決める。それまでに仕事の調整をきっちりとしておいて。それでいい?」
「わかりました。私もいろいろ勉強しておきます」
これからさらに診断内容や治療方針についてセカンドオピニオンをとる気持ちは微塵もなかった。そもそもが他の医師では見つけてすらもらえなかったかもしれないのだから。Y先生は30年以上も乳癌治療に向き合ってきたベテランだが、そんな権威的なことより私はこの先生の誠実さに好感を持っていた。それにもうこれ以上他の医療機関をあちこち回る気力も時間の余裕もなかった。

「長い道のりになるけど頑張ろうね」
「はい。これからどうぞよろしくお願いします!」
出口扉の前で深い深いお辞儀をして診察室を出た。
Y先生の診察は終わったが、今日はまだまだ帰らせてはもらえない。別室の小部屋に移って、入院のこと、通院のこと、ざっくりとした費用のことなど、今後の治療の流れについてナースより説明を受けた。次は薬剤師との面談で、これから服用していく薬についての詳しい説明をもらう。
続いて術前の検査である。採血室でたっぷりと血を採られ、検査室に回って心電図や肺活量などのチェックを受け、地下の放射線室で胸部レントゲンを撮られる。

すべての検査や面談を終えて会計をすませると、昼の2時を回っていた。今日は9時から来ていたというのに。
東京で梅雨明け宣言がされたのは、ほんの2〜3日前のことで、気温も空の色も完全に夏のものになっていた。病院を出て、暴力的に強烈な陽射しの下を地下鉄駅までノロノロと歩いた。そうかぁ、癌なんだぁ、私。この中に癌があるんだぁ。改めてこみ上げてきたその思いは無数の棘となって、右乳房の内側から包みこむように当てた掌をチクチク突いてくる。このことを家族にどのように伝えたらいいのかなあ……と、ぼんやり考えた。
気がついたら反対方向の電車に乗ってしまっていた。自分では結構しっかりしているつもりだったが、やっぱり動揺していたのかもしれない。

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