疑惑〜確定診断編 >>>>

「まさか自分が」と誰もが思っている

発端は検診での再検査

人生初のMRI検査だ!

組織採って調べてみませんか?

またも結果は持ち越しなのか……

Y先生との出会い

もう一度エコーとMRIをやる

浸潤性小葉癌かも?

痛い痛い痛い針生検

確定診断の日

「いい癌でよかったね」

知識武装して恐怖に立ち向かう

手術日と術式の決定

形成外科を初受診

どんどん気持ちが滅入ってくる

先生におまかせいたします!


摘出手術・治療編 >>>>


乳房再建編 >>>>


乳頭乳輪再建・経過観察編 >>>>


ついにサバイバー編 >>>>


このページの記述に関してのご質問、コメントなどがございましたら、直接メールでいただけますようお願いいたします。

どんどん気持ちが滅入ってくる

形成のS先生を受診してほどなく仕事が一段落した。
手術まで時間をあけてしまったのも善し悪しで、乳癌や乳房再建について十二分に勉強することも出来た代わりに、余計な逡巡の気持ちに振り回されてしまったのも確かである。癌だと言われてわーっとパニックになって一刻も早く早くと手術してしまう──そういう勢いも精神衛生上必要なのかもしれない。仕事に術前検査にと忙しくしていた間は考える余裕もなかったが、暇になった途端に憂鬱の心がムクムクふくらんできて、逃げ出したい気持ちでいっぱいになってきた。

だって、痛いとか苦しいとか醜いとかの症状があるのなら、「これ取って〜〜早く取って〜〜」という気持ちにもなるだろうが、私は癌を抱えているというのに元気でピンピンしているのである。むしろ手術に向けて体調を整えているので、これまでにない健康体な状態なのだ。普通に暮らしていたのにある日を境に癌患者になってしまって、乳房を切り取られてしまうのだ。手術するとその日から“怪我人”になってしまうわけで、一生それを抱えて生きていかなくてはならないわけで……。ああ、なんてなんてなんて理不尽なんだろう! あれほど勉強して理解して納得して治療内容を決めたというのに、ふとしたきっかけで心は揺れ始める。また今更ながら、どうして私がよりによって癌に、という怒りのような気持ちもフツフツ沸き上がってきた。ただ不思議と手術に対する不安はもうなかった。不安な心は確定診断前の長い宙ぶらりん期間に使い尽くした感じだった。ただただ理不尽さと怒りとで心が埋め尽くされていくのだった。

こういう時、癌であることを受け容れられない人は、逃げ出して食事療法とか民間療法に走ってしまうのだろうな、と思った。医師との信頼関係が十分に築けていない場合など、よりいっそうそういった気持ちになってしまうのは否めないだろう、とも思った。

入院のちょうど一週間前になる8月30日、家族を交えて手術の説明と術前最後の診察があった。母の乳癌の時には、彼女が高齢者だったこともあって最初から家族の同席を求められたのだが、私はすべての説明を一貫して私一人だけで聞いていた。ドクターだっていろいろなケースを見てきているだろうから、患者本人が頭真っ白になって思考停止しそうだったり、パニクってまともな理解力がなくなりそうなタイプだと判断すれば、早々と家族を呼ぶのだろう。Y先生は直前まで私に家族構成を問うことはしなかった。とりあえず私は理解している──先生はそう感じているのだろう。
「そういえば、家族構成聞いてたっけ?」
「いえ、お話してません。でもいますよ、家族。一応」そんな感じだった。
形式上、術前の説明だけは家族同席で行わなければならない。病院側としては術前面談で家族の同意さえ取れば手術当日は必ずしも家族が立ち会わなくてもよいのだそうだ。……そういうものなのね。

他の患者さんを気にせずゆっくり話が出来るよう、Y先生は夕方4時の予約にしてくれていた。午後遅くの時間帯は、術前術後の説明やセカンドオピニオンなどに充てているようで、いつも激混みの待合室には私たちの他には数人しかいない。が、一組一組の時間がおそろしく長い。いったん診察室に呼ばれた患者さんとその家族たちは30分以上は出てこない。とうとう最後は私たちだけになり、Y先生以外の診察はみんな終わったようで、待合室奥の照明は半分落とされ受付も閉められてしまった。そうやってじっと待っているうちにどんどんどんどん滅入ってきて、このまま逃亡してしまいたい気持ちでいっぱいになった。

鬱屈してしまう理由はもうひとつあった。私たちの年齢で癌という病気に罹患した時「老親にどう伝えるか」という悩ましい問題がある。親たちの世代はまだまだ「癌=死」と思っている人が多いからだ。癌患者となってしまった友人たちに聞いてみたが、年老いた親たちに100%伝えてはいなかった。私の母の場合は、先に同じ病に罹患し、その治療はおそろしく軽微で後遺症も出なかったので、乳癌を無闇に恐れる必要はないことを知っているのが多少の幸いではあったが。

自分が罹患するより家族の病気の方が精神的につらい場合は多々ある。治療するのは医師で、闘病するのは本人で、家族は無力感を感じながら心配したり祈ることしか出来ない。もちろん精神的支えは患者にとって大きいのだが、支えている実感を感じるために献身的に世話したり看病したりするわけなのだ。半分は自分自身の心の均衡を保つためでもある。
そして母も自分の時より私の乳癌の方がいたたまれない思いに苛まれたようだった。自分自身の身体がすでにあちこち不具合だらけで物理的には何の役にも立てない──そんな自分が悔しいようで、勝手に先回りして悩んで落ち込んで、結果血圧が上がって具合が悪くなっちゃって、八つ当たりされるという悪循環の日々だった。今の私は心が不安定なだけだが、手術されて後はいろいろ痛かったり苦しかったりすることもあるだろう。後遺症や副作用が辛くなった時に家族に感情的な対応をされたら対処する余裕持てるか自信ないな、どうしよう。

  >>> Back to HOME
 
SEO [PR] ギフト 音楽配信 コンサート情報 わけあり商品 無料レンタルサーバー