疑惑〜確定診断編 >>>>

「まさか自分が」と誰もが思っている

発端は検診での再検査

人生初のMRI検査だ!

組織採って調べてみませんか?

またも結果は持ち越しなのか……

Y先生との出会い

もう一度エコーとMRIをやる

浸潤性小葉癌かも?

痛い痛い痛い針生検

確定診断の日

「いい癌でよかったね」

知識武装して恐怖に立ち向かう

手術日と術式の決定

形成外科を初受診

どんどん気持ちが滅入ってくる

先生におまかせいたします!


摘出手術・治療編 >>>>


乳房再建編 >>>>


乳頭乳輪再建・経過観察編 >>>>


ついにサバイバー編 >>>>


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先生におまかせいたします!

陰々滅々とした思いは際限なく下降ループしていき、どん底な気持ちが最高潮(変な言い方だが)となった頃、ようやく診察室に呼ばれた。もう6時に近かった。

「お待たせしちゃいましたねぇ」
診察室に入るなりY先生のにこにこ顔とのんびりした口調に迎えられて、気持ちが少し楽になった。
デスクの正面には私のMRIやマンモグラフィ画像がズラリと並べられていて、改めて癌の状態についての説明をしてくれる。当人である私には先刻されていることだが、今回は理解力の弱そうな相手に対してのことだから、その懇切丁寧っぷりおよび噛んで含めっぷりは半端ではない。

手術内容については同意書を書きながらの説明となる。いわゆる不測の事態に備えて家族への言質を取っておく行為なわけだから、起こりうる合併症──どれほど可能性が低くてもゼロではないものがズラズラズラズラ並べられる。母の時はこれを聞かされてものすごく不安になったのだが、Y先生の説明は微に入り細に入っている上に彼自身のキャラクターも加味されて、あまり深刻な雰囲気にはならないので助かった。私が母の病状説明を受けることはこれまで何度もあったが、逆は初めてだから、パニックになって「そんな難しいこと私にはわかりませんわかりませんうわーん」となったらどうしよう?と密かに心配していたのだ。でもまあ、彼女は“先生”と呼ばれる人の前ではとても従順ないいコちゃんになるので平気だろうと踏んではいたが。

一通り説明が終わると、最後に視触診だ。
いよいよ来週には切られてしまう右乳房。検診で精密検査となってからずっと、確定診断がおりてからはなおのこと何度も自分で触ってみたのだが、最後まで私には右と左の違いがわからなかった。触診をしているY先生にそれを告げてみる。
「そう、ねぇ。確かにわかりにくいよなあ」
「先生にはわかるんですね? 違いが」
先生は肯定の笑みを浮かべて触診を続けている。そうかそうか。
説明と診察すべてを終えた先生は、母に対してこの上なく優しい口調で
「心配はひとつも要りませんよ。安全な手術をしますからね」と言った。彼女は外見上はとても儚く弱々しく見えるので、他人からいつも優しい物言いをしてもらえるのだ。

私は言おうか言うまいか迷っていたのだが、
「ねえ、先生。実は私、今になってとっても気持ちが滅入ってきちゃったんですけど」思い切ってストレートな気持ちをそのままぶつけてみた。
「そうかあ。滅入っちゃったかあ。それは困ったねえ」先生の心持ち下がり気味の眉毛がさらに下がってしまった。母は「あんた、そんなこと先生に言ったって仕方ないじゃない。馬鹿じゃないの?」という表情をしている。(でも彼女は外面のいいコちゃんなので口には出さない)
「でも、悪いものをスッキリ取ってしまったら、気持ちが晴れ晴れするかも……よ?」先生は眉を寄せたまま口元だけにほんのり笑みを浮かべて、私の目を覗き込んで言う。
本心では(晴れ晴れするわけないでしょ!)なのだが、そのまま返すほど私は自分勝手ではない。そう考えるしかないのだ、そんなの自分でもわかってる。でもね、この先生にはちょっとだけ本音をこぼしてみたかったのよ。

それでもようやく腹を据えて手術にのぞむ気持ちになってきた。だって逃げることも隠れることも出来そうにないもの。だったら、Y先生とS先生二人の先生を信じてまかせるしかないじゃない。もしかしたらY先生の言うように「悪いものを取り去ってスッキリサッパリ」するかもしれないもの。

手術前の一週間、私はうまく開き直ることが出来たと思う。癌であるということは数人にしか打ち明けてなかったのだが、もう少し範囲を広げてカミングアウトしてみた。一様に驚かれはされたけど、「実は誰それも乳癌なのよ」という返事が3件もあったのは伝えた私自身もびっくりだった。私を含め私の友人知人たちは皆、乳癌や子宮頸癌や子宮体癌の好発年齢にある。つくづくそれを思い知らされた。
全然特別な病気なんかではない。自分だけは大丈夫だなんて、根拠はなにもない。成人女性であるというだけで乳癌のリスクは等しくあるのだ。闇雲に恐れるものではないが、決して侮ってはいけない病なのだ。

私はどちらかというと“独りで頑張る”タイプで、他人に甘えるのがとても下手くそなんだけど、こんな時は少し誰かを頼ってもいいのかなあという気持ちになって、友人たちに頼んで壮行会を催してもらった。そういうわけで入院までの一週間は、連日違うグループと元気に飲み歩いていた。楽しく酔えたのはものすごく久し振りだったように思える。そうだ、震災から半年間、私はずっと恐怖と不安の中にいたんだ。

摘出手術・治療編へつづく

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