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入院の日

手術──辛く長い一夜 その1

手術──辛く長い一夜 その2

“術後ハイ”になる入院生活

とりあえず退院しちゃおう

雑踏が怖い、満員電車が怖い

おっぱいが2倍に腫れてきた!?

ああ、自分の場所に帰ってきたんだ

病理結果に打ちのめされる

感染した!!!!

どんどん変な色と形になってくる

いつまで足踏みしてたらいいのだろう

一歩進んで二歩戻る

二度目の手術は日帰りで

今度こそよくなっていくといいなあ

4ヵ月遅れの再建スタート

どうしてまた腫れてくるの!?

再建は諦めなくちゃならないのかな

「なんとかしてやれなくてごめんな」

三度目は一番悲しい手術だった

痛みより痒みの方がつらいなんて

醜い瘢痕拘縮

自家組織での再建を決意する

前を向いて歩こう


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とりあえず退院しちゃおう

9月12日の朝、ドレーンの管を抜いてもらった。ドレーンが抜けない限り退院させてもらえないことは母の乳癌治療の際に知っていた。大抵の場合、退院予定日の前々日の夜に抜いてもらって翌日いっぱい様子を見て次の朝退院……という流れのはず。8日間の入院なら私は13日の退院のはずなのだが、10日と11日は土日でY先生に会えなかったので、ドレーン抜去のGOサインがもらえなかったのだ。

痛み止めの錠剤は飲み続けてはいるけれど、傷の状態も良好で、術側の腕の可動範囲も広い。ずいぶん元気になってるはずなんだけど、私の滲出液はいつまでも赤黒く濃くてドロドロしていて、排出量もなかなか減らなかった。普通は術後2〜3日でどんどん透明になって薄いオレンジ色になって少なくなっていくはずなのに。土日に見舞いに来てくれた友人は、私の身体から出ているチューブを見て「それ、輸血してるの?」と尋ねてきて、そう誤解してもしかたないくらい完璧に血液の色をしていたのだ。
そんなわけで、このままでは予定通り退院は出来ないんじゃと懸念していた。なにしろその時の私は「一分一秒でも早く快復するべし」との使命感にメラメラ燃えていたのだから。

Y先生は午前中の外来診察が週4日もあるので、朝の回診には乳腺センターの他の先生たちが交替で来てくれる。夕方にY先生が来てくれるまでドレーン抜去がお預けになるとすると、退院は翌々日になっちゃうのかな、残念だな……。回診に来てくれた先生にそうこぼしてみると、
「手術は7日かあ……そうだなあ、抜いちゃおうか?」と言われた。
「だって、抜いてから一昼夜様子を見ないといけないんでしょ?」
「うん、だから今抜いちゃおう」
「えー、まだ○○cc(数値は忘れたが、術後5日目の滲出液としては減って来たとは言いがたい数字)出てるけど大丈夫?」一緒にいた女医先生がつぶやいた。
「ん〜〜、大丈夫なんじゃない?」明日退院できそうなのは嬉しいけれど、ちょこっと不安にもなる。やっぱり私の滲出液は多いみたいだ。
「退院したいでしょ?」それはそうなんだけど……。先生たちには申し訳ないけれど、“絶対の信頼”というのは不思議なもので、Y先生が許可したのなら不安など一抹も抱かなかったはず。

ともあれ、私の背中から出ていた管は抜けた。引き抜く時に乳房の中を細い串のようなものがスーッと通っていく感覚があり、それが不思議でちょっと気持ち悪かった。背中の穴の傷は少しの間ズキズキして、ほどなく治まった。なにしろ、ポシェットのように斜め掛けさせられていた邪魔臭いドレーンバッグ(通称「お弁当箱」。レンジ用ご飯パックくらいの形とサイズなので)とおさらばしたのが清々する。

入院最終日の夜は中秋の名月だった。乳房再建手術を受けた人たち何人かと入院中に知り合ったのだが、彼女たちやナースたちと一緒に病棟の廊下を行ったり来たりして、満月が見える窓を探したりした。結局、方角や高さが合わなくて見ることは叶わなかったのだけど。

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