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入院の日

手術──辛く長い一夜 その1

手術──辛く長い一夜 その2

“術後ハイ”になる入院生活

とりあえず退院しちゃおう

雑踏が怖い、満員電車が怖い

おっぱいが2倍に腫れてきた!?

ああ、自分の場所に帰ってきたんだ

病理結果に打ちのめされる

感染した!!!!

どんどん変な色と形になってくる

いつまで足踏みしてたらいいのだろう

一歩進んで二歩戻る

二度目の手術は日帰りで

今度こそよくなっていくといいなあ

4ヵ月遅れの再建スタート

どうしてまた腫れてくるの!?

再建は諦めなくちゃならないのかな

「なんとかしてやれなくてごめんな」

三度目は一番悲しい手術だった

痛みより痒みの方がつらいなんて

醜い瘢痕拘縮

自家組織での再建を決意する

前を向いて歩こう


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一歩進んで二歩戻る

再建の水注入も追加切除の手術も当分無理無理言われて盛大に凹んで帰ってきたわけだが、なんか憑物が落ちた感じもする。勝手に自分で工程表作ってその通り進行しなくてカリカリしてたけど、なるようにしかならないんだ……そう思うしかないよなあ。
あまりに先が見えなくてどっぷり落ち込んでいる私にY先生はこう言った。
「まあ、仕事や趣味にでも没頭して。それから美味しいモノでもいっぱい食べて」つまり、おっぱいのことばっかり四六時中考えているのはやめなさいってことね。で、美味しいモノって何? 高級なもの? 栄養のあるもの? 聞いてみればよかったけど、その時の私はテンション下がりまくってて思考能力も低空飛行だったので、咄嗟の返しもできなかったのだ。帰る道すがらつらつら考えたが、「美味しいなあ幸せ〜〜っ」ていう気持ちが結果的に心にも身体の快復にも栄養になるのかな、と勝手に解釈して普通にばくばく食べることにした。いつ手術になるかと構えてたけど、当分ないのなら紅葉狩りツアーでも申し込んでおこうか。適度に“キリギリス的生き方”すればいいんじゃん、と思うことにした。

さらに一週間後の11月22日、またもM病院のダブル受診。本当に毎週毎週通院させられてヘトヘトだ。
エキスパンダーの角はいよいよ尖ってきて、もう涙目ものの痛さである。炎症を起こしていた皮膚はかなり荒れて傷み、ところどころ赤黒いシミを作っている。このシミ、消えるのかなあ……長引きそうな色合いなんだけど。
今日も最初は形成の診察だったが、さすがにこれだけ角が当たっていては痛かろうということで、角が伸びる程度に水を50cc弱注入してもらえた。エキスパンダーへの水注入はぶっとい注射器で行う。エキスパンダーには針が突き抜けないように薄い金属プレートが入っていて、小さな磁石でそこを探して刺すのだ。ちょうど胸の真ん中あたりはまだ皮膚の知覚が戻ってなくて針を刺しても感じなかったけれど、じわじわ注入が始まるとピキピキピキと張りつめてくる感覚があった。最初の挿入手術時に100cc入れているので、今145ccくらい入っているということだ。乳頭位置はズレちゃってるままだけど、少し丸く膨らんだ。嬉しい。

その後Y先生の診察で「よくなってきたみたいだから追加手術の日程決めちゃおうか?」という話になり、先生もちょうどスケジュールが空いているということで12月14日に手術することになった。乳頭乳輪の切除だけなら局所麻酔で40分程度で終わるとのことで、入院しないで日帰りだという。先週は無理無理言われて凹みながら帰ったが、一転して年内にひと区切り出来そうで、今日はどことなく浮き立った気持ちで帰途についた。
その夜は、脇乳とか鎖骨に近いところとかアンダーバスト部分などの端から戻りつつあるピリピリした神経の痛みと、ピキピキピキっと無理矢理引っぱられるような痛みとに苦しんだ。いやまあ、入れ替わり立ち替わりいろんな種類の痛みがあるもんだ……。

東京もすっかり寒くなってきた。気分転換に紅葉狩りなどに出かけたりしつつ一週間を過ごし、12月1日はまた受診日。とうとう12月になってしまった。手術からもうすぐ3ヶ月──順調ならもう3〜4回の生理食塩水注入が進んでいるはずなのに! 今日の受診はY先生だけで形成はない。追加切除を終えるまで水注入は中断なのだ。ここらで一気に巻きを入れたいところだというのに、またも躓いているのである。
先々週水を45cc足してもらって手術日も決めて、ようやくちょっとだけ進んだ気になっていたのだが、2〜3日前くらいからまた赤くなってきた。今度は乳房上部のあたりまで少し。それを見てまたY先生の顔が曇ってしまった。

赤くなった乳房に熱感はないが、触った感じがぶよぶよしているので、注射器で抜いてみることになった。先生は「うわぁ、怖いよお……」と言いながら、エコーで見ながら注意深くそろそろと針を入れる。エキスパンダーを刺さないよう、破かないよう……。先生が慎重なので何となく私も身を固くしてしまう。
エキスパンダーのバッグに入れる食塩水はブルーレットのような青い色に着色してあるのだが、最初に吸い上げた30ccくらいは青かった。青いのだがちょっと白濁している。注射器の筒だけ取り替えてもう一度吸い上げると、トロっと黄色い膿っぽい水が10ccくらい抜けた。
結局また途中でS先生にも来てもらったのだが、形成外科の助手の先生含めY先生と3人でエコー画面覗き込んで、私のおっぱいを押したりつまんだり引っぱったり刺したりしてワアワア話していた。
私の現在のおっぱいの構造はというと、上から皮膚→胸筋→エキスパンダー→胸壁となっているのだが、
Y先生はこの青い水はバッグから抜いたのではなく「皮下にあった」と言う。じゃあ、この間の注入はエキスパンダーまで針が届いてなかったってことなのかしら。
抜く瞬間を見ていないS先生は「Y先生、バッグに入ってた水抜いちゃったんじゃないの?」って言う。
私が一緒にエコー画面を見ていた限りでは、Y先生が慎重に刺していた針はエキスパンダーまで届いていなかったようだったけど。でも今となってはどっちでもいい。どうせこの前足した45ccは抜かれちゃったんだし。

抜いた水と膿みたいなものは培養して何か菌が出るか調べるそうだ。14日の手術予定はまだ生きているが、途中でS先生も立ち会うという大袈裟なことになってきた。開いた状態次第では乳頭乳輪切除のみならずバッグ取り出しにもなるかもってこと……? 診察台に横たわって処置を受けている時、先生たちがどうしたこうした話しているのを聞いていて「なんでいちいち問題が起こるんだろう」と思ったら、突然いたたまれなくなって涙腺がぶわっと決壊してしまった。確定診断おりた時も泣かなかったというのにね。
エコー検査のために診察室が薄暗くなっているのが幸いし、ひっそり涙ぐむ私には誰も気づかなかった……はず。

右胸の真っ赤な腫れっぷりからは先の見通しは全く立たないけれど、全身はいたって元気になっている。術後3ヶ月目にもなると、センチネルリンパ生検の腋下の痛みももうなく、脇が痛くなくなれば腕を180度上に挙げることは全然問題ない。私は元々、手術翌日にも腕は130度くらいの高さまで難なく挙げられたのだし。
スポーツジムだって10月末あたりから再開して、大胸筋はなるべく動かさないようにして、ウォーキングマシンやエアロバイクなんかで気持ちのいい汗がかけている。シャワーは個室ブースで浴びればいいのだし、タオル巻いてサウナだって入ってしまう。ジムで会う常連のオバちゃんたちは「あら、しばらくぶりね〜。2ヶ月くらい来なかった?」などと声をかけてくれるが、よもやその2ヶ月間に癌治療してたとは思うまい。私自身、真っ赤っかの乳房を見ない限り、癌であることなんて時々忘れてしまいそうになるのだから。

翌週の12月8日もまた受診。抜いた膿のようなものを培養した結果、悪い菌は出なかった。そんなものがあったら高熱が出てもっとガンガンに赤く腫れて七転八倒の痛みのはずだから。私の身体は、異物を「拒絶」までではないものの「なんとなくイヤ」みたいな優柔不断な態度をとっていると、そういうことかしら。
「来週の手術の時、開けたついでに中を洗っとこうな」Y先生は言った。
「…洗う?」
「そしたらきっと良くなってくると思うよ」

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