「なんとかしてやれなくてごめんな」
エキパンダー抜去を泣く泣く決めた後は、仕事みっちりで事務所での二泊三日を繰り返していた。粛々と仕事をこなしながらも頭の半分では病気のこといろいろ考えていて、だからといって仕事が手につかないとかそんなことは全然なくて、着々と仕上げていってる自分が偉いなー、だてに長いことこの商売やってないよなー、などと自分を褒めたりしていた。
4月14日、Y先生のクリニックに行き、M病院でS先生にしてもらった血液検査の結果を見せて、抜去を決めた報告と自家組織再建を考えてるという相談をした。赤みはひくどころか強くなっていて、皮膚は薄くテラテラになってポロポロ剥け始めているし、縫い目の端っこが変に盛り上がってきていて皮膚が破れそうになっている。誰が見てもまともな状態ではないのだ。
「そうか……やっぱり出すことにしちゃったか……」Y先生の眉毛は最大限に下がってしまった。
「はい……」
「エキスパンダーはいい位置に綺麗に入ってたのになあ……」
「……先生、それ、言わないでえ……」残念で悔しくてたまらない。本当に形状はとてもとても綺麗だったのだ。先生の表情を見ているうちに私は堪えきれなくなって、思っていることをすべてぶちまけてしまった。
「今度の手術は一番精神的にこたえる」
「実は癌だと言われた時よりずっとショックが大きかった」
「悪いところサクッと取って、まるっと中身入れ替えて、乳癌なんて無かったことにしたかったのに」
「これまでは頑張ればどうにかなってきたのに、頑張ってもどうしようもないことってあるのね」
ほとんど繰り言のような私の言葉をY先生は何度も頷きながら聞いてくれ、最後にぽつりと言った。
「ごめんなあ、なんとかしてやれなくてなあ」
「ええっ! 先生が謝ることじゃないでしょう?」私はびっくりして、その瞬間に涙腺が決壊してしまった。Y先生の前で涙をこぼしたのは初めてのことだった。
翌々日の16日、形成を受診して術前検査もろもろをしてきた。自家組織で再建したい気持ちが70%くらいになっているという意思表示も告げた。
不思議なもので、頸椎のねじれを鍼の先生に指摘されるほど毎日毎日右胸を見ていたのに、取られちゃうんだ無くなっちゃうんだと思うと、ちっとも見る気になれないのだ。毎朝毎晩せっせと励んだ軟膏塗りも滞りがちで、なおさら皮膚状態は荒れている。そういえば、入院の朝からずっと1〜2週間おきに撮り続けていた胸の写真も3月15日に撮影したのが最後だ。
こうやって顔を背ける毎日が一生続くのは、やっぱりつらいかなあ。
Y先生の前で泣いてから手術までの2週間ほどの間、私の自己免疫の暴走はどんどん激しさを増していった。仕事が立て込んでいて疲れている上、“頑張る気持ち”が萎えてしまったのが大きいのだろう。腕や太ももの内側とか、脇腹などの柔らかい部分にポツポツした紅斑や蕁麻疹のようなものが出始め、掌や足裏や指などは赤紫に腫れあがって痛痒くてたまらない。
「もうさぁ、わかったから。取り出すって納得したんだから、そんなに駄目押しみたいに抵抗しなくても……」と自分の身体に言い聞かせたいほどだった。
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