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入院の日

手術──辛く長い一夜 その1

手術──辛く長い一夜 その2

“術後ハイ”になる入院生活

とりあえず退院しちゃおう

雑踏が怖い、満員電車が怖い

おっぱいが2倍に腫れてきた!?

ああ、自分の場所に帰ってきたんだ

病理結果に打ちのめされる

感染した!!!!

どんどん変な色と形になってくる

いつまで足踏みしてたらいいのだろう

一歩進んで二歩戻る

二度目の手術は日帰りで

今度こそよくなっていくといいなあ

4ヵ月遅れの再建スタート

どうしてまた腫れてくるの!?

再建は諦めなくちゃならないのかな

「なんとかしてやれなくてごめんな」

三度目は一番悲しい手術だった

痛みより痒みの方がつらいなんて

醜い瘢痕拘縮

自家組織での再建を決意する

前を向いて歩こう


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痛みより痒みの方がつらいなんて

4月29日、GW中の日曜日。入院も4日目になったが、術後の痛みは本当にない。たまに縫い目のあたりがピリピリする程度で、普段の生活でうっかり包丁やカッターで指切った方がよほど痛いかも…というくらいだ。前日の土曜に退院してしまった人が多く、急患も2人くらいはあったらしいが予定入院はないし、午前中から面会客はいるしで、病棟は閑散としてラウンジは賑やかだ。今日と明日の振替休日は先生も来てくれないし、でも術後3日間はがっちり点滴指示が出ているのだそうで、こんなに元気なのに常に点滴台のお供がガラガラとついてまわっている。乳腺外科と形成外科、科や主治医が違うと術後の治療もずいぶん違うのねという感じ。

ところで、麻酔医の先生にも初めて現物を見ると言われたエキスパンダーだが、病棟ナースたちも同じだった。S先生に手渡されたビニール袋はそのままベッドサイドのデスク上に置きっぱなしにしてあったのだが、日勤の交替挨拶に来たナースはそれを見つけて
「これ、エキスパンダー? 見てもいいですか?」と言ったのだ。彼女たちは、エキスパンダーを挿入した患者さんの看護はいっぱいしているけれど、その体内にあるエキスパンダー本体は一度も見たことも触ったこともないのだった。
「へええええー! こんななってるんだあ! 他の人にも見せてあげていいですか?」と面白がっていた。

28日朝のS先生の診察時には手足の腫れや紅斑はひいていたのだが、昼食を終えて午後になったあたりから少し様子がおかしくなってきた。入院前の1〜2週間どんどん暴走して自分自身を攻撃し続けていた私の自己免疫は、手術前日の夜に大ピークを迎え、エキスパンダー抜去によっていったん沈静化したものの、再び暴走し始めた。私の皮膚は外部の刺激に弱いことがあり、いつも必ずではないのだが体調がすぐれなかったり疲れていたりすると、下着の締めつけ部分がかぶれたり湿疹が出たりなどのトラブルが起きる。それが大爆発したのだ。
傷跡を留めたサージカルテープ、持続点滴のために留置した針を固定するテープとシート、術中に心電図の電極を貼ったと思われる部分、腕に血圧計を巻いていた部分、手術台に身体を固定するために太腿をベルトで縛ったと思われる部分、胸に巻いた圧迫帯の縁が当たる部分……このあたりがいっせいに赤くかぶれ始めた。
一番酷いのは足だった。塞栓防止の弾性ストッキングを穿いていたふくらはぎと向こうずねが真っ赤に腫れあがってびっしりと湿疹で埋め尽くされてしまったのである。もう発狂レベルの痒さ!

ここまで酷いのは稀だけど私はちょくちょく皮膚科のお世話になるので、軟膏各種の名前もよく知っている。圧迫帯にかぶれたところはアレ、テープかぶれのところはアレ、湿疹のところはアレと、どれが効くかわかっているし薬も持っているのだが……それは全部自宅に置きっぱなしだ。ここは病院なのだから薬はいっぱいあるが、医師が処方してくれない限り使えない。そしてS先生は明後日までいない……。
ふくらはぎと向こうずねには氷枕を乗せて思い切り冷やした。だいぶ痒さが紛れるのだが、足を常時冷やし続けているとトイレが異常に近くなるのが大変だ。お腹や腕のかぶれ部分は掻き壊してしまわないようパジャマの布越しにさすり続ける。病棟ナースたちは私の惨状を見かねて、S先生に電話をかけようと思ったらしいが、過去に一回だけ外来でリンデロンという軟膏が処方された記録をカルテから見つけ出し、持ってきてくれた。ここまで酷くなってしまうともう少し強い薬でないと効かないのだが、この病院で一度も処方されていないものはナース判断で出すことは出来ないのだ。それでも何も塗らないよりは100倍助かる!

軟膏を出してもらってテープかぶれ系は若干よくなり、圧迫帯のかぶれもちょっとよくなった。でも一番酷い足は、あまり薬が効いてこない。とりあえず悪化していくのは食い止められた……というところ。そうやって痒い痒い3日間の連休を乗り切り、5月1日はS先生が来てくれるのを朝からずっと心待ちにしていた。結局先生が来てくれたのは夕食後の18時過ぎ。私は「退院させてさせて」とS先生を脅迫した。
「連休明けの外来には来ますから! 3〜4日しか空かないじゃないですか、先生〜〜お願い!」
「明日オペの前に診るからそこで決めよう。昼前くらいかな? まあ、逃げる準備しといてもいいよ」私は退院は午前中にすますものだと思っていたが、午後の退院もありなのらしい。それにしてもS先生、慎重派だわ。ちぇっ、昼食は病院食かあ……。ちょっと贅沢なランチして帰ろうと思ってたのにな。

かぶれの痒い痒い騒ぎで手術の傷のこと忘れてたが、傷はいい感じだ。S先生の「あっ、いいですねー」も聞けたし。退院の確約は取れなかったが、全身シャワー許可は無理矢理取りつけた。昨日までは、胸の圧迫帯ごとビニールで包んで泡泡にしたソープで洗って固く絞ったタオルで何度も拭いて…と、面倒なわりにスッキリ感が乏しかったので、じゃばばーーーとお湯がかけられるだけで嬉しい。診察が終わるなり大急ぎでシャワールームの予約ボードに走ってきた。

翌日の5月2日、朝食をすませ、またもS先生の診察を心待ちにし続ける。私は今日退院する気満々なのだ。ようやく昼前に先生の診察を受けられたが
「うん、いいね。じゃあ明日にでも退院しようか」などと言われたので
「えっ! 今日帰る帰る〜!」と言い張って午後退院することに決めた、というか決めてもらった。渋々と病院食ランチをすませた後は、シャワーを浴びて着替えてウキウキと会計に呼ばれるのを待つ。一日も早く家に帰りたかったのは家に置きっぱなしの薬を塗りたかったからなのだが、退院処方で3種類の軟膏を5本ずつ合計15本も出してもらえた。うわー、嬉しい。これで当分対処出来る。

「僕はねえ、もう40年やってるけど、あなたのケースは初めてだった」退院前の診察で、終わり際にS先生はそう言った。人工物での再建でアレルギーや拒絶反応が出る人がいるらしいことはわかっていたが、先生の患者には私のような反応をした例はなかったらしい。
「勉強になりました。ありがとう」大ベテランのS先生、なんて謙虚なのだろう。

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