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入院の日

手術──辛く長い一夜 その1

手術──辛く長い一夜 その2

“術後ハイ”になる入院生活

とりあえず退院しちゃおう

雑踏が怖い、満員電車が怖い

おっぱいが2倍に腫れてきた!?

ああ、自分の場所に帰ってきたんだ

病理結果に打ちのめされる

感染した!!!!

どんどん変な色と形になってくる

いつまで足踏みしてたらいいのだろう

一歩進んで二歩戻る

二度目の手術は日帰りで

今度こそよくなっていくといいなあ

4ヵ月遅れの再建スタート

どうしてまた腫れてくるの!?

再建は諦めなくちゃならないのかな

「なんとかしてやれなくてごめんな」

三度目は一番悲しい手術だった

痛みより痒みの方がつらいなんて

醜い瘢痕拘縮

自家組織での再建を決意する

前を向いて歩こう


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醜い瘢痕拘縮

5月2日に退院して、GW後半は自宅でダラダラ過ごした。4日には大荒れの雨も上がって青空が見えてきた。3月後半から4月中は精神的にも肉体的にも忙しくて忙しくて、季節を顧みる余裕なんて持てなかったのだが、退院してきたら一気に木々が緑色になっていて、いつの間にか春から初夏の雰囲気になっていた。
散歩に出た時に、自宅マンションの駐車場入口にツバメの巣を発見した。ここ数年、毎年同じツバメが帰ってきてここで子育てをしていくのだ。去年は震災後にも関わらず3羽の雛が巣立っていった。夏頃にみんなで飛行練習をしていたが、最初のうちはそれはもう下手くそで可愛かった。乳癌の告知を受けたばかりの私は、不安定な気持ちで彼らを見つめていたものだ。手術を終えて退院した日にも彼らは元気に飛び回っていたが、その飛行テクは格段に上達していて、私はとてもとても勇気づけられた。今年はまだ卵は産みつけられていないようだけど、ああ、今年もちゃんと来たなあ…と嬉しくなる。

弾性ストッキングにかぶれた脚は赤い湿疹でみっしりと埋め尽くされていたが、たんまり処方された軟膏をこれでもかと擦り込みまくる。そうやってGW後半をダラダラ自宅療養するうちに、湿疹もかぶれもキレイサッパリ跡形もなくなった。
体調は明日あたりからスポーツジム復帰もありかなってくらいに快復している。縫合痕もテープを剥がしてみて綺麗に治っていることが確認できた。ただ……半年間ずーっと炎症起こし続けていた皮膚はズタボロになっていた。退院した頃にはかろうじてAカップくらいあった膨らみが完全にぺったんこになっている。それだけならまだ許せても、胸全体が角質化し赤黒くガチガチに固く縮こまっていて、まだらでデコボコ。周りに若干脂肪が残っているだけにデコボコが目立ってカルデラみたいになっている。見れば見るほど悲しくなる惨状だった。きちんと手術で切除したようにはとても見えない。出刃包丁か何かでガリガリと乳房を削り取った傷跡みたいなのだ。これは瘢痕拘縮というもので、その複雑な字面を思い浮かべるだけで心が千切れそうになる。
退院最初の外来に行く前の晩、お風呂場で自分の身体を見て私はしばらく一人で泣いた。時間とお金をかけて、先生たちにたくさんの手間をかけさせて、さんざん痛い思いをして、結局はただの全摘、さらにわざわざ汚い瘢痕を作ったのかと思うと、もうたまらなかった。
こんなに身体の調子はいいんだから、気持ちを切り替えなくちゃ前向きにならなくちゃと思うのだが、振り子が触れるように、どっぷり悲しい気持ちが行ったり来たりしている。今、この振れ幅がめちゃくちゃ大きい感じだ。

5月7日に形成の受診に行き、S先生に「こんな汚い胸見たくない」「嫌だ早く何とかしたい」と訴える。
先生は駄々っ子をなだめるように「わかったわかった。身体の機能が快復したら空きが出来次第手術してあげるから」と言ってくれる。1年2年先までびっしり埋まっているS先生の手術予約だが、キャンセル待ちの優先順位は高そうではある。そこに私のタイミングが合えばいいのだ。とはいえ、まだ完全に自家組織での再建を決意しきれてはいない。だって負担が大きすぎるもの……。
とりあえず少しでも前向きな何かをしないといたたまれず、保湿効果があり角質を柔らかくするクリームを数本処方してもらった。気休めにしかならないのかもしれないけれど、「治れ〜治れ〜」という念とともに朝晩せっせと塗りこめることにしよう。
翌々日の9日にはY先生のクリニックに行って、いろいろと泣き言をたれてきた。Y先生は最大限に痛ましい表情をして私の右胸を丹念に診ていたが「これは植皮すれば綺麗になるよ。切り取って縫い合わせてもいいし」と言ってくれた。でも、それはつまり何らかの外科的治療を施さなければ薬物や時間経過だけでは皮膚は自然には戻らないだろうということを意味するのである。Y先生は口調は穏やかだけど、余命を宣告することだってさんざんしただろうし、中途半端な気休めや嘘は絶対に言わない。ハッキリ言ってもらうこと──それは構わないのだ、だってちゃんと現実を認めて対処していかなくちゃいけないのだから。
形成のS先生も「治る」と言ったが、それは新しく作るのであって、「治癒」ではないのだ。
ただ、どうせ痛い思いをするのなら、姑息的な方法ではなくちゃんと作ってもらいたいかなあ……

定期的に写真は撮り続けてきたから、記録としての撮影はしたけれど、正視する気持ちにはなれない。ただ、少しでも良くなってきた時に「ああ、こんなに酷かったんだよね、うん、ちょっとは良くなってるじゃん」と、励みになるかなあ頑張れるかなあと思ってカメラを向けた。でも、まだ術後2週間経ってないんだもんなあ……焦っちゃだめだよね。頭ではわかっているのだけど、醜い傷跡を目にするとやっぱり涙がこみ上げてくる。泣けてもくるのだけど、「このままじゃ悔しい」という気持ちも交互にやってくる。振り子のように大きく揺れる心は、それでも少しずつその振れ幅を小さくし、涙ぐむ間隔も徐々に開いてはきた。それでも、たまにぐぐーっと悲しくなってくる。
そんな毎日を繰り返し5月31日の形成受診日を迎えた。

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