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「カサブタ剥いじゃおうね」
季節は急速に春に向かっていて、例年より10日以上も早く東京の桜は開花した。私はほぼ1日置きに散歩に出ては爛漫の桜の下をウォーキングに励み、週1回ペースの通院を続けていた。
滲出液は徐々に減ってはいったが、まだ日に3回ナプキンを取り替えながら絞り出している。傷の一番酷い箇所にはほとんど感覚は戻らないものの、他は回復痛がぼちぼち出始めているような気がする。再建乳房はまだカチカチに固いけれど、横たわっているとわずかに自然に流れる。これは自家組織ならではなのだが、起き上がっても胸が戻るのが瞬時ではなくて、1〜2分かかってじわじわ戻る感じがして、それがまた地味に痛い。背中の肉なのに一生懸命胸になろうとしてるのかなあ……健気だなあ……。
まあ、背中の肉の気持ちになってみたら、何十年も後ろ側で広々伸び伸びしていたのに、ある日突然切り取られて前の方に連れてこられちゃって、おまけに畳まれて詰め込まれて縫いつけられちゃって。「アンタ、今日から胸になりなさい。もう背中には戻れないのよ」というわけなのだ。「はあっ? 聞いてないよ、そんなの」という気分だろう。
手術から9週間経過した3月28日、ついに背中のカサブタを剥がされてしまった。3月半ば頃にパーーーッと咲いたけれど何日間か寒い日があったため結果的に花が長持ちして東京の桜は満開継続中だった。今週末は花吹雪の中でお花見が出来るな、などと華やいでいた気持ちは一気にぺしょんと凹んでしまった。つまり、もうこの皮膚は壊死してしまって絶対に再生しない、ということだから。あーあ、やっぱり駄目だったか……。真っ黒になっている固い部分は5〜6cm四方くらいの面積はあるのだけど、それを全部剥いじゃうという。といっても、端をつまんでベリっと剥がしたりするわけではなく、ハサミで少しずつ切っていくのだ。それも麻酔もなしで爪を切るみたいにパチンパチンと。切られている間は不思議に痛くなかったけど、2〜3時間経過した頃からヒリヒリし始め、夕方頃まで痛んでいた。
怖くてその日はなるべく傷を見たくなかった。でも、そんな状態でもドレーン管は入ってるので、自分で日に3回ナプキンを取り替えなくてはならない。薄目でチラ見状態で取り替え作業をしたけれど、今朝までカサブタで覆われていた箇所はぺろーんと剥けていて、目のピントを合わせなくても鮮やかな赤色はわかってしまう。
意を決して、合わせ鏡で傷口をじっくりと観察することにした。壊死した皮膚は表皮だけでなく真皮にも及んでいたため剥がした部分の厚さは2〜3mmくらいある。クレーターのように窪んでいて、見えているのは筋肉組織だから“赤身肉”で、縁から霜降りに脂肪が滲んでいる。自分が「肉」なんだと改めて認識したけれど……怖い、怖いよお。
ところで、私の2週間前に再建手術したHさんは、先週、退院後初めて主治医の診察に行って再建胸を見せてきたそう。最初は先生の態度も「どれどれ、それじゃS先生のお手並み拝見しましょうか」って感じだったのに、見た瞬間「この大きさの胸を背中の組織だけで作ったの? 本当に?」と固まっちゃったとのこと。
いろいろな方法のある自家組織での再建だが、広背筋皮弁法では固い小さな胸しか作れないというのが、一応定説になっていて、確かに本やネットにもそう出ている。腰の部分の脂肪をも大きく取ることで柔らかくボリュームのある乳房を作るS先生の方法は、理論上では大丈夫とわかっていても、いざそれだけの組織を切り取ってくるのはかなり思い切りが必要で怖くてなかなか出来るもんじゃないらしい。つまり、見よう見まねでそこらへんの外科医がやったら背中も胸もみんなメチャメチャになるはずだって。
Hさんのかかっている病院は1000床超の大病院だから、乳癌の症例数も多いだろうし、再建患者もそれなりに診てるはずの乳腺専門医がそう言うんだから、そうなんだろう。外科医がびっくりするくらいなんだから、とんでもなく身体にダメージ食らわしているわけで、回復に時間がかかるのも当然なんだ。それでもなんとか頑張れるのはひとえに胸の出来がいいから。これで胸はびっこだわ移植した組織は定着しないわどんどん萎んで変形してくるわだったら、やりきれない。
その胸だが、形状は変わらず綺麗なものの、ここ数日ものすごく痛んで少し赤く腫れてきた。以前の異物断固拒絶体験から赤くなることには私はめちゃめちゃナーバスになっている。脂肪が定着しないで溶けちゃう場合、赤く腫れて縫い目から黄色い脂肪がでろでろと出てくるのだという。……怖い、怖過ぎる、それって。私の縫い目は今のところ綺麗だし、そこまで質の悪い脂肪とは思いたくないのだけど……。
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