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1年めの検診を迎える

皮膚パッチテストの一週間

検診結果は無事クリア

手術に備える3ヶ月間

いよいよ入院

乳房再建のためのデザインを施す

手術まで首を洗って待つのみ

手術──再び辛く長い一夜

なんでこんな手術受けちゃったんだろう……

再建乳房と感動の初対面!

再び苦しむ激痛の夜

入院生活のタイムテーブル

快復停滞の分岐はどこにあるの?

そろそろ退院が視野に入ってきたかな

30日ぶりで外の世界へ

背中の大怪我、続行中

ドレーンを入れての強制排液

「カサブタ剥いじゃおうね」

恐怖の溶解脂肪ダダ漏れ事件

医療従事者と患者との間には温度差がある

傷口が裂けちゃった!

背中の傷に植皮を開始

遺伝性乳癌による予防的乳房切除に思うこと

いっこうに脂肪流出が止まらない

乳癌治療に関するいくつかのニュース

そろそろ心が折れてきた

身体はちゃんと頑張っていたんだね

旅立ってしまった友

サバイバー3年生に──道はまだ続く


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サバイバー3年生に──道はまだ続く

自家組織での乳房再建手術から7ヶ月、2013年の8月も終わる頃。猛暑爆裂の毎日だったが、私は基本的に元気もりもりだった。3ヶ月半におよぶ溶解脂肪漏れも止まり、毎日数回のガーゼ交換からも怒濤の通院の日々からも解放されて、心理的な要因が大きい。なにより、胸の大きさや柔らかさが左右揃ってきて本当に乳房らしくなってきたことが嬉しくてたまらない。もちろん傷は痛む。痛み方にもいろいろな種類があって、気圧が安定しない日は特に酷い。良くなっていく箇所はまず酷く痛んで、それから徐々に快方に向かっていくという感じがする。
なんか奥歯も痛いなあーと思っていたら、歯医者で「ちょっとすり減っちゃってるね」と言われたのには驚いた。クラウン被せた歯に対抗している歯なのだが、おそらく痛みのために歯を食いしばることが続いたからのようだ。確かにこの半年は奥歯をキリキリ噛み締めることがあまりに多かった。それにしても……びっくり。

背中の植皮が終わった5月末からスポーツジムに復帰したのだが、最初はウォーキングマシーンやエアロバイク、それから踏み台昇降運動やエアロビクスの初心者クラス、続いて初級クラスと、徐々に運動強度を上げていった。人とぶつかってしまうことが恐怖なので、参加者が混んでいる日は避け、スタジオの一番後ろの隅っこでこそこそと。
でも、毎週同じレッスンに出ていると、少しずつ身体の可動範囲が広がっていくのが如実にわかる。先々週には恐る恐る伸ばしていた腕が、翌週はもう2〜3cm遠く伸びるようになり、今週はさらに2〜3cm遠くに……という具合に。動かすのが怖かった肩甲骨も、そろそろながら動かせるようになってきた。引きつる体側部や腰まわりもだいぶマシになってきたものの、ウエストを捻る動作をするのはまだ怖い。

エアロビクスのレッスン後のクールダウンで、マット上での腹筋運動を7ヶ月ぶりにやってみた。もともと腹筋は弱いので、半年以上のブランクでとんでもないことになっているかも? と思ったら、思ったより衰えてなくて意外に上がる……というか、結構楽に上がる……というか、手術前よりよく上がる。背中はまだこんなに痛いのに、どうして? 常に背中に緊張があったから無意識にお腹に力が入り続けてインナーマッスルが鍛えられていた?? 骨盤矯正できるウエストニッパーを半年間装着し続けていた功績もあるのかも。これはちょっと嬉しい副産物だった。

腹筋の密かな強化に気をよくして、広背筋の筋トレもゆるゆると始めてみた。一部切り取られてしまった筋肉を他の筋肉で補わなくてはならないのだから、いつまでも甘やかしておくわけにはいかないのだ。背中を動かすと胸も連動して引っぱられような感覚は少し前からあったのだが、試しにごく軽いウェイトをかけて肩甲骨周りの筋肉をぐいっと寄せてみると、再建乳房がピョコン!と跳ねるように動いた。背中の一部がつながったまま前にきているというのがこれほど実感出来ることはない。ただ、こんなふうに不用意に勝手に動いてしまうのはかなり気持ち悪い。
で、背中を動かしても胸が動かないように練習したら、背中を動かさなくても再建乳房だけをピクピクぴょこぴょこ動かせるようになってしまった。つまりは、筋肉が萎えずにちゃんと血流や血行が良好だという証拠なのかな。

例年より半月も早く梅雨明けしてしまった2013年は、残暑もいつもより長引いていて、10月に入っても東京には真夏日が続いていた。想定外の暑さに汗だくになりながら10月9日に私は誕生日を迎え、翌日の10日に2年目フル検査の結果を聞きにY先生のクリニックに行ってきた。午前中にS病院の婦人科に寄って、子宮頸癌と子宮体癌の検診結果ももらってくる。今年は私は自治体の検診が受けられる対象年齢ではないので、本当なら自費で受けなくてはならない。もちろん私もそのつもりで受付ではその旨を伝えていたのだが、カルテを見ていた婦人科の先生が、乳癌治療のフォローアップ検査という名目で保険診療で扱ってくれた。服用しているホルモン剤のせいで子宮体癌リスクが上がるからなのだが、同じ薬を飲んでいる乳癌仲間たちはほとんどが自費で受けているようなので、便宜をはかってくれる先生に当たって私はラッキーだった。

で、結果はと言うと、子宮頸部に軽度炎症があるのと、健側乳房に小さい良性腫瘤があるけれど、とりあえずは追加検査や治療の必要のあるものではなく、ばっちり問題なしだった。腫瘍マーカー数値が低いのは無論のこと、その他の血液検査の数値もこれまでの人生で一番いいんじゃないかってくらい。HやRはひとつもついていない。肝臓も腎臓も肺もみんな綺麗で、去年黄色信号が点った骨密度は今年はなんの問題も出なかった。素晴らしいほどの超健康優良児状態だった。まさしく “一病息災” だ。癌になったために、いろいろ生活を見直すことになって、結果的に健康になるなんて。
今年もY先生に「よーし、100点!」と言われて、ガッツポーズでハイタッチができた。毎年、誕生日の頃に検査結果を聞くのは、10年間の私の儀式になるんだなあ……。願わくば、毎年「100点!」と言ってもらいたい。

10月21日には3ヶ月ぶりで形成外科を受診してきた。7月末までは毎週のようにM病院に通いつめていたので、とてつもなく久し振りで来たような気がする。
そして、来年の2月に乳頭乳輪再建手術をすることに決めてしまった。背中の傷の縫い直しとまとめてやって欲しかったけど、まだ傷が硬いからもう1年くらいおいた方がいいそうだ。周辺の皮膚感覚も血流もまだまだおかしいので、綺麗にするために手術するのに変な負荷かけて壊死しちゃったら意味ないしね。それに、乳頭乳輪再建と瘢痕治療とを一緒にやると混合診療になっちゃうんだそうだ。

ともあれ、あと4ヶ月で私の右乳房は一応の完成をみるわけだ。艱難辛苦ばかり降りかかってきているような気がするけれど、再発も転移もなくすんでいるからこそ再建にだけ全力投球できるのだ。再建叶うことなく亡くなった友人のことを思うと、痛い思いばかりしてるけど幸せなのかな私……としみじみ思う。

2年目検査を無事クリアしてサバイバー3年生となり、再建完成も視野に入ってきた。それでもまだまだ道は続いていく。

乳頭乳輪再建・経過観察編へつづく

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