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乳房再建は心の再建
乳頭乳輪を再建してちょうど4週間めの3月18日、Y先生のクリニックを受診した。
「先生〜! ニップルちゃんが出来ましたよ〜〜、おっぱい完成!です」診察室に入るなり、挨拶もそこそこに、バッグや脱いだコートをおろすこともせず、ウキウキとVサイン。
「えっ、あっ、そうだったね。見せて見せて」私のハイテンションにつられて先生の声もトーンが一段階あがる。
「すごいんですよ、すごいんですよ! もう感激ですッ」
「うんうん」
「もうね、早く先生に見てほしくってぇ!」
第三者が一連の会話の流れを聞くとかなりとんでもない内容だ。乳腺科の診察室限定で、乳腺科医と患者同士でしかできない会話だ。
まだ抜糸も3分の1ほど残っているけれど、一部カサブタも残っているけれど、全体の色はこころもち赤黒いけれど、かなり完璧に乳頭乳輪だ。左の健側と完全に左右対称。
「うんうん、なるほどなるほど。これはもうちょっと色が薄くなって境目も落ち着いてくるよ」
「“普通に” “順調に” 治っていってるんですよね??」
「うん」
「もうね、今度もまた何かトラブル起きちゃうんじゃないかって、そればっかり気になって気になって」
「いろいろあったもんなあ……」
「はい。最初は半年でケリつけるつもりでしたもん。それが2年半!」
「……長い道のりだったねえ」
「…はい」
「えーと、いくらかかったって言ったっけ?」
「……85万。税込で」
「そうかあ、85万の乳首かあ」
「月末にカード請求来ちゃうんですぅ」
「うー……ん」
「でもね、海外旅行を2回くらい我慢したと思えば。仕事も余計に請け負うつもりと思えば。保険金もおりてるし」先生は私の言葉のひとつひとつにニコニコと相づちを打っていたが、つと言葉を区切って私にまっすぐ目を合わせ、一呼吸のちに「本当によかったね。頑張ったもんな」と破顔した。
Y先生の「頑張ったもんな」の言葉を聞いた瞬間、私は涙ぐみそうになった。そうだよね、頑張ったもん、私。もう一度、自分の再建乳房に目を落としてみる。
不思議なもので、乳頭乳輪がつくと俄然「ちゃんとしたおっぱい」らしくなってくる。目鼻がつくようなものかしら。乳房の膨らみが戻っただけでもずいぶん嬉しかったのに、今度こそ完全に乳房を取り戻した気持ちになった。
乳房再建は傷ついた心をも同時に再建してくれるのだ。
翌週の3月24日、残りの抜糸をしにM病院へ行く。この日は研修医の見学もあった。なかなかイケメンの若い先生で、一瞬ちょっと恥ずかしくなる。いや、イケメンじゃなければとか年食ってたら構わないとかそういうわけではないけども。
「これがねえ、乳頭乳輪再建から1ヶ月の状態ね」イケメン先生は真剣な表情で覗き込みながら、S先生の説明にいちいちフンフンと頷く。抜糸作業はずべてS先生の実況説明つきで、私にも逐一伝わってくる。
何となく気詰まりになって「何針くらい縫ってあるんですか?」などと尋ねてみる。 「ん〜〜、たくさん縫ってるよお」
「100針くらい、とか?」
「うーん、そのくらいかな……そこまで多くはないかな」
「80針くらい?」
「そうね、そんなもんだね」十分に多いではないか。
S先生と私との会話にもイケメン先生はいちいちフンフン頷いている。
「薄皮剥がしたらヒリヒリしちゃったんですけど平気?」
「平気平気」
「でも、保湿はした方がいいでしょう?」
ということで、ヒルドイドクリームをどっさり処方してもらう。背中の傷にも毎日塗るのでたくさん必要なのだ。
3月も末になる頃には、ほとんどカサブタと薄皮は剥がれ終わった。
なかなかスッキリと暖かくはなっていかず、春の嵐とも呼べるような悪天候が何日か続いて、腰のあたりが重苦しく痛む。低気圧が来ると背中の縫い目に突然キリキリキリ…と痛みが走ったりもする。脂肪を取った部分の皮膚表面がピリピリ痛む。感覚が戻って来たのかな?
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