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先輩風を吹かしまくる

「ハイ、終わりました〜、お疲れさまでした!」
T先生に声をかけられて緊張感がフッと解けた。局所麻酔では痛みは感じないけれど、皮膚を引き寄せて引っぱられている、レーザーメスで切られている、瘢痕を引き剥がし削り取っている、ステープラーでぱちんぱちん留めている、その針を引き抜いていく、ちくちく縫い合わせている……そういう感覚はすべてわかっていた。だから肉体的にも精神的にも全身ガチガチに固まっていたのだ。そういえば私は滲出液が多いからドレーン入れるかもって言ってなかったっけ? そういう気配なかったけど?
「液が溜まる余裕なんかないくらいピタピタに引っぱってるから!」T先生は笑った。
「もうね、ドレーン入れるスペースもないくらいピタピタだから!」

自力で手術台から下りて車椅子で病棟まで戻り、まず水をごくごく飲んだ。緊張感で喉もカラカラだったのだ。それからトイレをすませて、すぐに痛み止めの座薬を入れる。食べるつもりだった昼食がキャンセルされちゃったのでお腹もぺこぺこ。でももう1〜2時間もすれば夕食の時間だ。自分で歩いてラウンジまでお茶を淹れに行く。全身麻酔だったらこうはいかない。お茶を飲みつつ一息ついているところに手術着から着替えたT先生が顔を出してくれた。先生は明日明後日の土日はお休みなのだが、私はおとなしく安静にダラダラ過ごしていればいいとのこと。そのつもりでDVDを大量に持ち込んできている。

夕食後に経口の鎮痛剤と抗生剤を飲んだ。M病院に入院したのは2年半ぶり、鎮痛剤などの処方薬をもらったのは1年4ヶ月ぶりだが、すべての薬がジェネリックに変更されていた。ロキソニンもボルタレン座薬も抗生剤のフロモックスも。
2年半前の再建手術の痛みとは比べるべくもない軽さなのだが、久し振りの背中の痛みで眠れなかった。ちゃんと6時間以上経っているか数えて夜中に鎮痛剤を飲む。あの時の痛みコントロールのマイルールに則って、入院中は経口の痛み止めを6〜7時間おきに3回、眠りにつく直前に座薬を入れることにした。自己暗示の意味もある。

考えてみると傷痕や縫合部の痛みは鎮痛剤で抑えられているみたいだ。脇腹からお腹にかけての部分、背中の中心寄り部分、腰のウエスト部分が引っぱられるように痛い。ずーっとつねられているような感じ。これは痛み止めでは鎮められるものではないのかもしれないなあ。

入院中、若いナース数人に再建した胸を見せて欲しいと頼まれた。
病棟の編成替えがあったのはほんの3ヶ月前なので、ここのナースたちも形成外科担当経験が3ヶ月しかなく、新規の再建患者のケアをようやく覚えたところなのだ。乳頭乳輪の再建手術も外部のクリニックだし、その後のケアも外来で行われるので、完成した再建乳房を見る機会はないのだ。まして触った感触など知る由もない。こんな私で役に立てるならと、見せて触らせて体験談もいっぱい話した。

4人部屋の患者は全員が私と同じ乳房再建患者だった。一昨日手術した人、2週間前の人、3週間前の人。別の部屋に1週間前の人、4週間前で明後日退院予定の人。みんな、想像以上の激痛と傷の酷さに苦しみ凹んでいる真っ最中だった。彼女たちに対しても私は先輩風を吹かしまくった。ハッキリ言って、私は再建に関しては人一倍のトラブルメーカーだった。それでも2年半経った今、乳房の状況はY先生いわく「花丸つきのExcellent!!」なのだ。縫合痕にはまだ若干の赤みがあるけれど、柔らかさに関しては実際に手を触れた誰もがびっくりしていた。私も先に再建した人たちに胸を見せてもらってモチベーションがずいぶん上がったのだ。今度は私が後に続く人たちの希望となれるとしたら、嬉しいことだ。

手術から3日経った15日の朝、外来診察の前にT先生が病室に寄ってくれた。
傷口の状態はよいようで、そのまま退院してもよかったのだが、もう一日だけ延長することにした。持ち込んだDVDも全部見切れてなかったし、親しくなった再建患者さんたちともっといっぱい話がしたかったという理由もある。
翌日6月16日の朝、退院した。もう痛み止めの必要はなかった。

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