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番外編/日曜夜の救命救急は阿鼻叫喚

「○○さん、着きました、病院着きましたよ!」
すかさず何人かの病院スタッフが迎えてくれて「大丈夫ですよ! ここはもう病院ですからね!」彼らの声がどれほど頼もしく聞こえたことか。ストレッチャーに乗せられて休日診療の待合室のようなところを走り抜ける。待たされてる人たちの視線も感じるけれど、こっちはこの状態なの、順番抜かししてごめんなさい。救急隊員はストレッチャーに併走しながら「○○さん、○歳! 昨晩からの腹痛でなんたらかんたら、なんたらの可能性あり、なんたらかんたら!」ああ、私の名前とか年齢とかそんな大声で……くの字になって呻きながらも、そんなことを思う余裕はあったりする。

救命センターの診察室は個別ではなく、だだ広いスペースをカーテンやつい立てでところどころ区切ってあるだけだった。さまざまな声や音があちこちでわんわんと反響している。私は壁際の寝台に移され、腕に鎮痛剤の点滴が刺された。一瞬であれほど的確に針を刺すとは、救命救急の看護師ってさすがだ。のたうつ私に「目を開けて!」との声かけもしてくれる。「目をつぶると余計に痛いですよ!」
本当だった。目を開けると天井の蛍光灯や白いカーテンや点滴パックなどが見え、そうした視覚情報が入ると痛みが3割くらい和らぐのだ。それでもやっぱり痛みに耐えきれずにまた目をつぶってしまうと「ほら! またつぶっちゃってる! 目を開けて!」
そうやってたくさんの救急の患者さんたちを励ましてきたのだろう。

日曜夕方から夜にかけての救急センターは阿鼻叫喚の騒ぎだった。救急隊員が患者の状況を伝えていたり、病院スタッフがが声かけたり指示出したりしているのが、かなり丸聞こえ。

私と前後して隣に運び込まれてきた老人は脳梗塞で、明け方に台所の入口に倒れていたのに、酔っぱらって寝ているのだと夕方まで放置されていたらしい。発症から4時間が勝負の脳梗塞で半日以上の遅れは命取りで、老人は完全に半身麻痺になってしまった。老人にはその状況が飲み込めていないようで、呂律の回らない口調で奥さんを呼び、帰ると言って寝台から落っこちかけるということを何回も繰り返していた。ところが奥さんはというと、救急車への同乗を拒否した上に自分には関係ない勝手に治療すれば?という態度だそうで、これまでとこれからの夫婦関係が容易に想像できてしまう。スタッフが何度言っても振り払っている様子だったが、ほどなく病室の準備が整ったようで、わめき呻いているまま連れ去られて行った。この時、私はまだ病名が完全に判明せずに絶賛悶絶中。

明らかにヤク中かアル中かで錯乱の極みにある中年女性もいた。
「殺される、殺されるうううう! 宇宙人が、宇宙人が来るのおお」というようなことをエンドレスで絶叫し続ける。
えぐえぐとしゃくり上げる若い女の子に「どうして死のうとか思っちゃったかな……?」と優しく諭している声も聞こえる。

これまでは縁のなかったさまざまな人生模様の交錯を垣間見ながら、悶え呻き脂汗ダラダラで問診や触診を受け、造影CTなどの検査同意書にサインさせられた。CT撮影の瞬間、身体を伸ばさせられるのがとてもつらかったが、診断はその場ですぐについた。結石ではなく急性虫垂炎だった。CTで見る限りでは虫垂が丸ごと全部腫れていて、壊死している可能性すらあるそうで、すぐに切除しかないと言われた。納得だ、もう早いとこ麻酔かけてもらってとっとと切ってくれという心境だった。

手術や麻酔についても説明を受ける。麻酔については「大丈夫です、私、手術7回目だから。麻酔の後も気持ち悪くなったりしませんし」と伝えておいた。皮膚が弱いから、いろんなテープ類を乱暴に剥がさないでねということも併せてお願いする。
手術は腹腔鏡で行うけれど、場合によっては開腹するとのことだった。
手術と入院が決まって説明も受けたものだから、また何枚も何枚も書類を書かされた。

手術室や病室の準備がつくまでしばらくかかり、21時過ぎに病室に連れて行ってもらえた。消灯時間を過ぎた病棟はすでに真っ暗。
個室には数人のナースが待っていて、手際よく入院や手術の準備を整えてくれる。この頃には点滴の鎮痛剤が効いて、痛みも楽になってきていた。
「手術は9時半からですって」
「えッ? 朝の?」
「いや、夜の。今9時10分ですから」
ナースたちは私を手術着に着替えさせようとして、背中にたくさん貼られたテープを見てびっくりしたようだ。
「あ……実は3週間前に手術したばかりで……」
「ええ? それは立て続けに大変ですね」
「ええと、この胸は実は再建したもので……」
「へええ、初めて見ました! こういうふうになるんですか! へえ」

腹腔鏡はおへそと左脇腹と下腹部中央の3ヶ所に穴を開けるとのことで、念入りにおへそのゴマを綺麗にしてくれた。陰毛も上部のあたりをちょっと剃る。
そのまま慌ただしく手術室へ運ばれる。私はとにかく早く麻酔をかけてもらって痛みから解放されたかった。今回の全身麻酔も即座に“落ち”た。

瞬時で麻酔に落ちて、すぐに名前を呼ばれるのもいつもどおりだった。ただ、今回はそのタイミングがほんの数秒早かったらしい。名前を呼ばれて「ハイ」と返事をしようとしたら、声が出せず、それどころかいきなり窒息しそうになった。まだ挿管を抜いている途中だったのだ。お願いですから、ちゃんと抜き終わってから声かけてくださいよ……。

病室に戻って来た時にはもう日付が変わっていた。3時間近くかかったようで、虫垂炎の手術としてはちょっと長め。なんとか腹腔鏡で手術できたようで、開腹せずにすんだのはよかった。虫垂は糞石という石でパンパンで、付け根は大腸との境目ギリギリまで腫れていて、先っぽの方は壊死して真っ黒で破れる寸前だったらしい。破れてたら大腸菌が腹腔内にバラ巻かれて腹膜炎起こすところだったし、もう少し腫れが大腸の方に及んでいたら切除範囲が大がかりになって、開腹は免れないところだったそう。
考えてみれば、再建手術のせいで痛みに耐性がつき過ぎていたのかもしれない。だってあれほど悶絶した痛みでも、再建手術の痛みに比べれば遠く及ばない。だから少しくらいお腹が痛くてもあまり緊迫感はなかった。それを強力な鎮痛剤で抑えてしまい、さらに患部をカイロで温めてしまったので、一気に炎症は悪化したわけだ。
いずれにしてもあのタイミングで救急車を呼んだのは正解だった。

お腹に傷の痛みはあるけれど、さっきまでの激痛に比べれば50分の1くらいでしかない。痛み止めの持続点滴も入っている。私は安心して眠った。

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