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番外編/何にも持たない入院生活

7月4日の朝6時半、自分のスマホのアラームに叩き起こされた。手術室に向かう直前に充電器に繋ぐだけはしたものの、アラームの解除までは考えが及ばなかった。それにしても手術した直後でこんなによく眠れたのは初めてだった。 術後はすぐ歩け、どんどん歩けというのは虫垂炎の場合も同じで、朝一番に尿道カテーテルを抜かれ、一番遠いトイレに行かされた。点滴棒にすがりながらのヨロヨロ歩きでも、やっぱりお腹に力がかかって痛い。水を飲むのは午後までお預けとのことなので、口をすすぎたいと言って紙コップをもらったら検尿用のカップだった。いくら未使用といっても何だかなあ……とちょっと思わないでもない。

私は着の身着のままで担ぎ込まれ、そのまま入院になってしまったので、入院物品が何もない。タンクトップと短パンの上にカーディガン、つっかけサンダル、財布に化粧ポーチにスマホと充電ケーブルだけ。幸い腹腔鏡手術だったので、何事もなけれは3〜4泊で退院できるとのこと。最低限のもので乗り切ってしまおう。

とりあえず今は手術着を着ているけれど、この病院にはレンタル病衣があるらしい。胸のレントゲン撮影をしに行かなくてはいけないので、ナースが付き添ってくれた。といっても不案内な私を階下まで連れてきてくれただけ。
「ここが寝間着とタオルレンタルの受付で、そっちが売店、あっちがレントゲン室なので、終わったらひとりで帰って来てくださいねー。それから、ちゃんと入院手続きしてないので、後でしておいてくださいね〜」と放逐されてしまう。
レンタル寝間着は2日ごとの交換だというので2着分の手続きをした。売店に回って、スプーンとタオル、替えのショーツを2枚、ミネラルウォーターを3本買った。カップは検尿コップでいいや、もう。本屋もあったので適当な文庫本を1冊選んで病棟へ戻った。

午前中は多方面に向けてメールを打ちまくった。進行中の仕事が3本あるというのに、背中の手術を無理矢理ねじ込んだのでスケジュールはみちみちに詰まっていた。とりあえず来週納期の1本だけは数日延ばしてもらうよう頼まなければならない。個人事業主は融通もきくけれど代わりがいなくて不便でもある。仕事の段取りは何とかなって一安心だが、そのかわり何が何でも数日で回復して退院して、巻きを入れて仕事を仕上げねばならない。
午後になって保険の担当者に電話した。
「あれ? 何か書類に不備がありました?」背中の手術の給付のために診断書用紙を取り寄せたばかりだったら、そう思うのが当然の反応だ。
「いえ、もう一式欲しくて。実は……」救急搬送から緊急手術の顛末を話す。
「えーーーっ、それはまた、立て続けに災難な……ていうか、笑っちゃいけないか……」
「いやいやいや、これはもう笑うところでしょう!」
あ、そうだ、来週のM病院の予約もキャンセルしておかなくちゃ。

ひととおりの連絡をすませてから、自分が今いる病院のことを調べた。さっきまで名前も場所も知らなかったけれど、なるほど、そこそこの規模の病院らしい。執刀した医師はずいぶん態度が大きかったけれど後期研修医なのか、ふーん。でも外科部長が指導医としてついたというし、急性虫垂炎の腹腔鏡手術は年間130例ともあったので、3日に1回はやっている計算になる。それなら不慣れということもあるまい。
研修医に手術されたことに文句はないけれど、研修医たちが10人くらいの集団で回診に来るのには閉口した。ぐるりとベッドを囲まれて晒しもののように覗き込まれるのだもの。皮膚縫合のある再建乳房も丸見えだったはずだけど、みんなどう思ったかな。主治医にあたる外科部長先生はふらっと空き時間にひとりで来てくれるので気楽だった。

午後遅くになってようやくコップ半分の水を飲ませてもらえ、流動食の夕食が出た。乳癌手術の時も再建手術の時も食事制限はいっさいなかったのでこういう食事は初めてだ。重湯と具のない味噌汁。小鉢にピンポン玉くらいの丸いものがふたつ並んでいる。赤いのはトマトジュースのゼリー、オレンジのはマンゴーのゼリーだった。どちらもほとんど歯ごたえのないゆるゆるで超薄味。唯一固形物に近かったのは卵豆腐。それでも二日ぶりに口から摂る食事で美味しかった。
翌日からはおかずは普通のものが出てきて、朝が三分粥、昼が五分粥、夜が全粥。重湯はきちんと塩味をつければお米のポタージュ≠ニ思えなくもなかったけれど、三分粥と五分粥は本当に不味かった。こんなもの食べさせられるくらいなら早くよくなりたいと頑張るために、わざわざそうしているのではと思わせるほどに不味かった。 翌朝に完全に普通食の朝食が出て、それを食べ終えたら退院だった。そうそう、売店でスプーンは買ったけれど、お箸はナースステーションで余ってた割箸でしのいだ。お箸で食べるような食事は2回くらいしかなかったのでこれで正解だ。予定通り三泊四日の入院ですんだ。

タンクトップと短パンに適当なカーディガンを羽織って裸足につっかけサンダルの格好ではとても電車には乗れないので、病院玄関からそのままタクシーに乗って帰宅する。過去の入院では大騒ぎしながら準備万端整えたけれど、こんなに何にも持たなくても入院して手術受けることも出来るんだなあ……というのは、新たな発見だった。でも、もう当分手術も入院も嫌だ。

ちなみに私の病名は「蜂窩織炎性急性虫垂炎」というものだった。これで手術は打ち止めと思っていたところに、とんだ番外編だった。海外旅行先などでこんなに急激な痛みに襲われてたらと思うとゾッとする。短期集中型の強烈な痛みで、これまでの人生で二番目の痛みに躍り出た。一番はもちろん自家組織再建の痛みだ。今のところこの痛みに追随する痛みはない。というか、あの痛みを上回る痛みなど、もう想像したくもない。

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