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母の乳癌、9年目の骨転移?

私の実母も乳癌罹患者である。2006年に77歳で乳房全摘とリンパ郭清の手術をした。当時はセンチネルリンパ生検という画期的な検査が登場してすぐの頃で、専属の病理部を持つ施設に限られていた。母が治療した病院は数えるほどしかないうちのひとつだったけれど、まだ保険適用ではなかった。
術前の検査ではリンパ転移の可能性が疑われたので問答無用でまるっと郭清したけれど、術後の病理ではひとつも転移はみられなかった。her2は陽性だったけれど、ハーセプチンの保険適用はまだ再発患者に限っていた。ほんの3〜4年でセンチネルリンパ生検も初発からのハーセプチン使用も標準治療で保険適用になるのだから、乳癌治療の変化と進歩は本当に目覚ましいものがあると思う。

母の主治医は、母の77歳という年齢を考えていっさいの術後治療を省いてくれた。経口のホルモン治療くらいならしてもよかったけれど、母はホルモン受容体が陰性だった。結果的に不要なリンパ郭清はしてしまったものの、リンパ浮腫などを起こすこともなく、古傷が痛むようなこともなく、彼女はいたって元気で一年に一回の定期検査だけを受けていた。5年目を超える頃には「病院行くの面倒臭い」と駄々をこね始め、それは私自身の乳癌治療が始まった時期であった。自身の治療と自営業の仕事との合間を縫いながら、なだめすかして病院に連れていき検査を受けさせるのが本当に骨だった。

術後9年めにあたる2015年、6月12日に背中の縫い直し手術を受けたのは、母の検査予約が6月末だったからだ。検査の数日前になって、彼女はまた病院に行きたくないと盛大に駄々をこね始めた。私は退院してまだ3〜4日しかたっておらず、傷は痛いわ仕事はたまってるわでイライラはMAXで、派手に口論をしてしまった。
年に一回の母の定期検査は、血液、尿、乳腺エコー、マンモグラフィ、CT、骨シンチ。移動にせよ衣類の着脱にせよ、ことごとく時間のかかる高齢者をすべての検査予約に合わせて院内オリエンテーリングするのは本当に大変。年を経るごとにその大変さは増していった。各検査の間隔には十分に余裕を持たせているので、これまでは途中で院内のスタバで母の好きな抹茶フラペチーノでご機嫌とりする余裕があったのに、今回はまともな昼食休憩すら取れないほどにとにかく時間が押していく。私の胃はキリキリ痛み続け、無事完遂した時には心から安堵してぐったりした。それから数日で急性虫垂炎で救急搬送されたわけだから、たぶんその兆候だったのね。

予想外の手術と入院がはさまってしまった7月15日の診察の日、いきなり9年目の骨転移の疑いを告げられた。右の股関節あたりが怪しい、子宮のあたりもモヤモヤしているとのこと。この病院には来年まで来なくていいと思っていたのに、早速来週にMRI検査と婦人科受診しなくてはならなくなった。その後7月から8月にかけて婦人科のエコー診、細胞診、組織診と何回か通う羽目になったが、問題はないという結論が出た。

骨転移疑いの方はというと、完全にシロとは言いがたいがクロである決め手も出なかった。母のかかりつけの整形外科でも相談してみたが、高齢者だと骨転移と紛らわしい兆候はしばしばあるそうだ。年齢が年齢なので積極的治療をするつもりはなかったけれど、痛みが酷かったり骨折して歩けなくなってしまうと可哀想だから……。とりあえずは様子をみましょうという結果になって、やれやれ。

それにしても、毎年きちんと定期検査をしていても、9年10年経っていても、90歳に近い高齢でも、突然再発とか転移とかしてしまう……乳癌恐るべしである。つまり、そういう病気に罹ったのだな、私も。

そんなこんなでとても密度の濃い2ヶ月間足らずだった。

つづく

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