1995年7月2日。会社で遅めのランチに出た帰り、販売機に缶ジュースを搬入しているトラックの足下にその小さな薄茶色のものを見つけました。その近所にすずめが巣を作れそうな場所は見当たりません。たぶん、そのトラックの上に落ちたのでしょう。そしてここまで運ばれてきたのでしょう。炎天下のアスファルトの上で腹ばいのまま羽をバタつかせているこの小さな小さな生き物をそのままにはしておけませんでした。
生後10日〜2週間くらいでしょうか、赤裸ではなくなんとか羽毛が生え揃ったくらい「たぶんすずめかな?」とわかるくらいでした。

はじめは、とりあえずこのヒナをなんとか蘇生させることで頭がいっぱいでした。それまで小鳥のヒナなどに触れた経験はなく、正しい育て方など見当もつかず、思いつくままのことをしました。
なんとか水を口に含ませるまで15分くらいかかりました。さらに練り餌を飲み込んでもらえるまでには1時間くらいかかりました。真夏とはいえクーラーのきいた部屋。保温のために厚いダンボールで箱を作り新聞紙をたくさん敷き詰めました。この方法が結構正しかったことは後で知りました。

脚には親鳥の羽毛がぐるぐるに絡まっていました。ピンセットを使ってほどくのはかなり大変でした。そしてこのまま彼の指は変形してしまうことになります。

餌を食べて少し落ち着くと、ヒナは少し元気になってきました。弱々しくはあるけれどピーピーと鳴きはじめ、覗き込むと顔中を大きな口にして首をのばしてきました。練り餌のスポイトを差し出すといくらでも食べ、満足すると新聞紙にもぐりこんで眠りました。これを1時間おきに繰り返さなくてはなりませんでした。
こうして、私の子連れ通勤生活が始まったのです。



すずめと暮らそうと最初から考えていたわけではありませんでした。自分で餌が取れるようになって飛べるようになるまでの里親のつもりでした。やはり野鳥は野にあるべきだと思うからです。
だから必要以上に愛情を注がないようにと思いました。彼に愛着を持ってしまっては放せなくなってしまう、と。名前もつけず写真を撮ったりもしませんでした。なので、ヒナの時の写真は1枚きりです。「ポチくん」という名前がついたのも3週間ほどたってからでした。

手探りでのヒナ育てでしたが、ポチくん自身に生命力があったのでしょう、どんどん元気になっていきました。好奇心いっぱいに部屋じゅうを歩き回り、少しずつ飛べるようになってきました。はじめは「時間をかけて落下している」という風情でしたが、だんだん水平に飛べるようになり、私たちの側に来たい一心から1メートルくらいの高さの囲いを飛び越えて来れるようになりました。
もう巣立ちの時期なんだろうな。なんだか淋しい気持ちでそう思いました。



ポチくんの身体は成長していきましたが、外での生活への適応はなかなかうまくいきませんでした。虫を与えても食べようとしない、水浴びや砂浴びを覚えようとしない、窓の外のすずめを見ておびえる…そして脚の指の変形が治らない…止まり木になんとか乗っかってはいるけれど、握ってはいないので、よろけては落ち、すべっては落ち。こんなんで外で生きていけるのだろうかと。

それでも、やはりすずめは外で暮らすのが自然な姿であると思っていました。長生きは無理かもしれない、放した翌日にでも死んでしまうかもしれない、それでも…
一方、この小さな生き物の存在が自分の中でどんどん大きくなっていくことに困惑してもいました。

ポチくんは窓から外を見てはいても、外での生活に興味はなさそうでした。いっそこのまま強引に巣立ちさせてしまっては、と、いきなり窓を開けたこともあります。外のすずめが気付いて近寄ってきましたが、ポチくんはびっくりしてパニック状態で腰がくだけ、開いたまま口が閉じなくなってしまい、部屋の奥へと逃げていきました。
すずめを怖がるすずめ…彼にとって外での生活は恐怖でしかないようでした。外の風景はそこに自分が存在するものではなくガラス越しに眺めるものでしかないようでした。

私の葛藤と逡巡は堂々回りでした。
わかった、一緒に暮らそう、あんたをこんなヘンなすずめに育ててしまったのは私なんだからきちんと責任を持って一生を全うさせてあげよう…そう決めた頃にはもう9月も半ばになっていました。



私がネットを始めたのは1997年でした。ポチくんは2歳になっていました。なんとなく「すずめ」と検索し、すずめしんぶんというサイトと出会いました。ああ、すずめのことが好きな人たちがこんなにいる…嬉しくなって撮りためたポチくんの写真と物語をたくさん投稿しました。ネットを通じてたくさんの里親友達が出来ました。
ここに掲載した1〜12の話は、その頃投稿したものをリメイクしたものです。ほとんどの写真が1996年から1998年にかけてのものです。ポチくんは2歳から4歳。足の指は曲がったままでしたが、一番元気な時でした。



平穏無事に淡々とポチくんとの通勤生活は続いていました。あいかわらず私の生活は不規則でしたが、彼もそれなりに適応していました。すずめに対しては恐怖を抱く彼ですが、人見知りはいっさいしませんでした。人の出入りの多い事務所に一日中いて慣れていたからでしょう。1週間ほど人に預けて旅行に行くことも出来ました。餌と水を用意しておけば丸一日くらいなら留守番も出来ました。会社帰りに寄り道しても3時間くらいなら紙袋の中でおとなしくしていました。

予想外の事故にあったのは2000年の元日の朝のことでした。お節の重箱に寄り添って眠っていたポチくんに気付かなかった私の母がそこにひじをつき、彼をはさんでしまったのです。
ポチくんは右の羽根がねじれ、身体が小刻みに震え、目をむいたまま口から泡をふいていました。もう完全に駄目だと思いました。このまま彼の大好きな手の平の中で看取ってあげる覚悟をしました。
午後になった頃、ポチくんがもぞもぞと動き始めました。水を含ませるとごくごくと飲み、餌も口にしたのです。それから3日ほどは時々餌を食べる以外は一日中こんこんと眠ってばかりいました。


この直後に事故にあいます。

4〜5日たってよたよたと歩くようになりました。でも右羽根は付け根からねじれたまま浮いた状態で、10cmの高さのマットレスの上にさえ飛び乗れませんでした。今まで自由に飛べていたジレンマがあるんでしょう、何度も何度も飛ぼうとしては飛べない姿を見ているのは悲しいものでした。
こうして彼は飛べない鳥になりました。そのあと3ヶ月くらいかけて多少回復はしていくのですが、羽根のねじれは治らず、なんとか椅子の高さまで飛び上がれる程度でした。

それでも感じるのはポチくんの生命力の強さです。今まで何度か死んでもおかしくないような状況はありました。神経の細い子ならあっさり死んでしまうような…
彼のいい意味での「ずぶとさ」が幸いしたようです。



2000年8月。会社の近くで上司がすずめのヒナを拾ってきました。ヒヨちゃんです。この子ははじめから元気いっぱいで人見知りもせず、盛大に餌をねだっていました。ただ8月も半ばの頃のヒナにしては、いくら遅子だといっても少し身体が小さすぎるように感じました。やはりどこか悪かったのかもしれません。たった3日の命でした。
一方この3日間はポチくんにとっては受難だったようです。なにしろ彼は「すずめが怖い」。ヒヨちゃんにしてみれば、餌をくれる(はずの)大人のすずめがいるものだから、歓声をあげて走り寄っていきます。大人でありながら飛んで逃げることの出来ないポチくんはとにかく走って逃げるしかない。なんとかヒヨちゃんの目の届かないところに逃げ込んでハアハアしているしかない。



2000年の暮れいっぱいで私は退職し、独立することになりました。ポチくんにとっては通勤する場所が変わっただけです。私たちはあいかわらず毎日一緒にいました。一時期椅子の高さまで飛び上がれるようになっていたポチくんですが、いつの間にかほとんど飛び上がることは出来なくなっていました。羽根のねじれはひどくなる一方で、脚で背中をかいたりすると、羽根の上に脚が出てしまうようなこともありました。彼の骨格はガタガタだったのだと思います。

それでもポチくんは元気でした。毎日たくさん餌を食べていました。彼の食欲旺盛さは元気のバロメーターなのです。瀕死の時でも餌だけはきちんと食べた食いしん坊のポチくん。この強さが彼の生命力だったと思います。

4月に入った頃、そのポチくんがあまり餌を食べなくなってきました。羽のつやもなんだかパサパサしたかんじになって、私が仕事しているパソコンの脇で眠ってばかりいることが多くなってきました。歳をとってきたのかな…でもポチくんは強いからね…何度も死にかけても蘇生してるものね…

4月23日夕方のことでした。キーボードの脇でちょこまかしているポチくんを横目にしばらく仕事に没頭していました。ふと気付くとモニタの陰に目を閉じたポチくんが横倒しになっていました。こんな姿勢で眠ったことは一度もありません。抱き上げると、まだほんのりと温かかった…
いつ? 私の目の前にいたのに…いつ? 気付いてあげられなくてごめんね。半開きの口を閉じてあげ、脚も折り畳んであげました。曲がった羽根も整えました。まだ柔らかい羽毛を何度もなでました。ポチくんの大好きだった手の平の中で、ポチくんの一番好きだった姿勢のまま、彼はだんだん冷たく硬くなっていきました。

5歳と10ヶ月…あと少しで6歳だったね。

ポチくんは幸せだったんだろうか…と思います。本来の野鳥のあるべき生活をねじ曲げられてしまって。短くても自由に生きた方が幸せだったんじゃないだろうか、と。側に置いたのは私のエゴではなかったか、と。基本的に野鳥は飼ってはいけないものです。傷付いた野鳥を保護することとペットにすることとは違います。私はその境界線のどこに立っていたのでしょうか。

比較することは出来ませんが、ポチくんは私と暮らして幸せであったと信じたいです。少なくとも私はとても幸せでした。小さいものが小さいというだけで愛しいことを知りました。「ポチくんの幸せだった日々」というよりは「ポチくんとの幸せだった日々」でした。
ありがとうね。

ポチくんは、渋谷区の閑静な住宅街にある公園の桜の樹の下で眠っています。毎日たくさんのすずめや子供たちが遊びに来ています。だから淋しくないよね。



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