2000年の暮れいっぱいで私は退職し、独立することになりました。ポチくんにとっては通勤する場所が変わっただけです。私たちはあいかわらず毎日一緒にいました。一時期椅子の高さまで飛び上がれるようになっていたポチくんですが、いつの間にかほとんど飛び上がることは出来なくなっていました。羽根のねじれはひどくなる一方で、脚で背中をかいたりすると、羽根の上に脚が出てしまうようなこともありました。彼の骨格はガタガタだったのだと思います。
それでもポチくんは元気でした。毎日たくさん餌を食べていました。彼の食欲旺盛さは元気のバロメーターなのです。瀕死の時でも餌だけはきちんと食べた食いしん坊のポチくん。この強さが彼の生命力だったと思います。
4月に入った頃、そのポチくんがあまり餌を食べなくなってきました。羽のつやもなんだかパサパサしたかんじになって、私が仕事しているパソコンの脇で眠ってばかりいることが多くなってきました。歳をとってきたのかな…でもポチくんは強いからね…何度も死にかけても蘇生してるものね…
4月23日夕方のことでした。キーボードの脇でちょこまかしているポチくんを横目にしばらく仕事に没頭していました。ふと気付くとモニタの陰に目を閉じたポチくんが横倒しになっていました。こんな姿勢で眠ったことは一度もありません。抱き上げると、まだほんのりと温かかった…
いつ? 私の目の前にいたのに…いつ? 気付いてあげられなくてごめんね。半開きの口を閉じてあげ、脚も折り畳んであげました。曲がった羽根も整えました。まだ柔らかい羽毛を何度もなでました。ポチくんの大好きだった手の平の中で、ポチくんの一番好きだった姿勢のまま、彼はだんだん冷たく硬くなっていきました。
5歳と10ヶ月…あと少しで6歳だったね。
ポチくんは幸せだったんだろうか…と思います。本来の野鳥のあるべき生活をねじ曲げられてしまって。短くても自由に生きた方が幸せだったんじゃないだろうか、と。側に置いたのは私のエゴではなかったか、と。基本的に野鳥は飼ってはいけないものです。傷付いた野鳥を保護することとペットにすることとは違います。私はその境界線のどこに立っていたのでしょうか。
比較することは出来ませんが、ポチくんは私と暮らして幸せであったと信じたいです。少なくとも私はとても幸せでした。小さいものが小さいというだけで愛しいことを知りました。「ポチくんの幸せだった日々」というよりは「ポチくんとの幸せだった日々」でした。
ありがとうね。
ポチくんは、渋谷区の閑静な住宅街にある公園の桜の樹の下で眠っています。毎日たくさんのすずめや子供たちが遊びに来ています。だから淋しくないよね。
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