一路帰国の途へ……のはずが

乗客の搭乗はサクサク進み──まあね、免税店もレストランも空港施設が全部終わっているのだから、みんな手持ち無沙汰でゲート近辺に早々と集まっていたわけだが──20分ほどでほぼ全員が乗り込めた様子。

この便の機材は往路で乗った二階建てのA380機ではなく、馴染み深いボーイング機だ。チケット購入の際、あえて最後尾の席を指定しておいた。中央4列席の左側2席。最後尾2列は通路幅が若干広くなっているのでヒナコの出入りが容易だし、トイレやギャレーもすぐ近くだ。昼便なら人が行き来してザワザワ落ち着かない席のだが、深夜なら眠っている人がほとんどでかえって静かなんじゃないかと踏んだのだ。実際静かかどうかはまだわからないが、私の隣席は空席のようだった。ラッキー♪ どうせ眠ってしまうとはいっても、閉塞感や圧迫感の感じ方がだいぶ違う。さあ、23:20の出発時刻まであとわずか………のはずなのだが?

床下からガコンガコンと響いていた荷物の積載も終わり、機体のドアもしっかりと閉められた様子、乗客たちは無論のこと乗務員たちも準備万端。もう離陸を待つばかりというのに、機体はサテライトに貼りついたままぴくりとも動かない。30分以上もそうしていたろうか、うたた寝していたのでハッキリしないが、ようやく入ったアナウンスによると、機体の準備はばっちりで管制塔の許可もばっちりで滑走路の順番待ちというわけでもなくて、牽引車が故障したから動けないというのだった。替わりが来るまで待ってくれ、と。

>> ここで無知をひとつ曝そう。私は飛行機というものは自走して滑走路まで行くものだと、この瞬間まで思っていた。うわー知らなかった! 牽引されていたんだ………全部がそうなの? 着陸してターミナルビルまでは自走してるのよね? ねえねえ教えて! 詳しい人!

CDGはこれだけの規模の空港なんだから、航空牽引車なんて山ほどあって替わりなんて即座にやって来るものだと思っていたら、いやまあコレが待てど暮らせど来やしない。「替わりが来るまで待ってろ」とアナウンスしたきり放ったらかされている。そういえばもう15年以上前のことになるが、シベリア上空を飛ぶ航空機が1時間当たり何機と制限されていた。ヨーロッパのどこに行こうとしていたのかは忘れたが、その制限に引っかかってしまい、搭乗してから1時間以上待たされたことがあった。成田発のJAL便だったのだが、乗務員たちは自分の過失のように「申し訳ありません」と謝罪してまわり、ワゴンを押して飲み物サービスをしてくれた。いかにも日本の会社の日本人的対応である。

対してエールフランスの乗務員たちは完全放置プレイだ。ギャレーに引っ込んでしまい、客室を見回ることもしなければ水一杯配ることもしない。しかし一日中観光してクタクタになっていた身体は、狭く硬いエコノミークラスのシートであっても、そこに預けた途端にぐにゃぐにゃに弛んでしまい、そのままズブズブと眠りに引き込まれていった。ふっと目覚めた時にまだ飛行機は停まっていたので、ああ一瞬だけ眠っちゃったんだなーと思ったのだが、時計を見たら2時間近くが過ぎていたのでびっくりした。どうしたんだ? 牽引車!

ようやく離陸したのは夜中の1時をとうに回っていた。全然揺れていない機内でしっかりと熟睡したためか、妙に頭と身体がスッキリしてしまった。おかげで夜中の機内食ももりもり完食。ワインのお代わりまでもらってしまう。はは……、夜中にこんなにバクバク食べてていいんでしょうか(笑)。

最後にとどめの波乱の余滴?

食後、再び爆睡モードに入った。夜便というのは一日目一杯観光して(最終日だから心残りないようにという気合も追加され)目一杯疲れた状態で乗り込むので、狭苦しいシートでもしっかり眠れるのがメリットだ。やっぱり長距離フライトでは眠って過ごしてナンボですもん。そういうわけで、機内照明の点灯とアナウンスで起こされた時は、もう成田まで2時間半ほどの位置まで飛んできていた。6時間ほとんどノンストップで眠っていたようだ。おかげで頸が固まっていてちょっと痛かった。
ヒナコは何度かトイレに立っては通路でストレッチしたり、ギャレーに立ち寄ってはジュースやアイスクリームをもらったりして、勝手に過ごしてくれていた。機内では通路側の席にさえ座らせておけば、面倒見なくても一人で何とかしてくれるのは大変助かる。

ずいぶん前のことのような気がするが、日本を発ったのはほんの11日前でしかないのである。そういえば出発の朝は季節はずれの嵐だった。ずぶ濡れになってヒナコがくじけて駅まですら歩けなくてタクシー乗ったら渋滞して道路が冠水してて結局電車に乗換えて予約したリムジンバスにギリギリ間に合って……ああ思い出した。フライトの前段階ですでにヘトヘトになっちゃったんだった。旅の前半に体調崩してしまったのも参ったなあ。熱を出したのなんて何年ぶりだったろ……? あのまんま最後まで体調不良だったらどうしようかと思ったよ。食べたいものいっぱいリストアップしてあったんだけど半分くらいしかクリア出来なかったな。でも全部クリアしたらそれはそれで体重とか血糖値とかいろいろ青ざめることになるだろうしな(笑)。

……などど、機内食のチーズオムレツをつつきながら旅のあれこれを回顧しているうちに、成田空港に到着した。2時間以上も離陸が遅れたにもかかわらず、飛行機は頑張って飛んだようで……いや違う、ジェット気流にうまく乗ったようで、20時ちょっと前の着陸だった。定刻の19:10より1時間弱しか過ぎていなかった。よかった、自宅に辿り着くのは深夜になるかもと覚悟してたから……。
東京の気温は異常に暖かいようで12月半ばの夜だというのに18℃もあるという。うわー、一気に15度以上も気温が変わるのかあ!

到着ロビーは暖房が効いていて生暖かいくらい。CDGで衣類を減らしておいてよかった、あのままパリの気温仕様の重ね着をしていたら脳みそ茹だっちゃうところだった。リムジンバスに乗る前に財布の中身をユーロから日本円に入れ替えておこうとしたところ……えええええっ !! 日本円がない!!!!!!?

ちょっと待て、落ち着け落ち着け。もう一度丁寧に財布をひっくり返して探してみた。ない。硬貨は1000円ちょっと入っているが、紙幣が一枚もない。私は普段は二つ折り財布の愛用しているが、海外旅行の時は取っ手のついたポーチのような長財布を専用に使っている。カードホルダーや仕切りが多くて使い勝手がいいのよね。現地通貨はATMで入手するので、帰国するまで出番のない日本円の現金はファスナーのついた仕切り内に格納しておく。その仕切り内にコインしか入ってないのだ。そもそも財布に現金を幾ら入れてきたか記憶が曖昧なのだが、一万円札を3枚と小銭がちょぼちょぼってところだったと思う。タクシー乗って、空港の売店で買い物して、お寿司食べたりしたから1万円弱くらい使ったはず……とすると残っているのは2万2〜3千円……どこにいった?

最後に搭乗口手前のドトールでコーヒー買ったっけ。きっと、あの時だ。思ったほど時間が残ってなくてコーヒーは火傷しそうに熱いしヒナコはトイレに行きたいとかゴネるしで、ものすごくドタバタした。そのとき重ねて小さく畳んだ2万数千円を落としたのだと思う。タクシーや寿司屋のレシートも見当たらないので一緒に挟まって落ちたのだろう。先払いしてあったリムジンバスの切符引換券は無事だった。お金下ろさなくてもとりあえずおウチには帰れる……。
それにしても最後に気持ちががっくりする出来事だなあ。気がついてなかっただけで最初にやらかしたことなんだけどね。落っことすくらいなら、もっと高いレストランの食事にでも使いたかったよ(笑)。

エピローグ、のようなもの

旅行記を書き上げるのにこれほど苦慮したことはない。ほぼ1年を費やしてしまった。

この1年の間に遭遇したたくさんのこと──震災、原発事故、そして私自身もある病を得て手術を受け、現在も加療中である──は私の価値観や心のありようを大きく揺るがし覆すものだった。旅の途中の細々した出来事は小まめにメモをとっていたので、綴りなおすのもさして苦にはならなかったが、変わってしまった価値観のフィルターは「旅していた時の気持ち」を素直に思い出すのを困難にさせた。
旅行記の前半と後半では文章のトーンが明らかに変わってしまい、通して読まれた方には違和感があるかと思う。お許しください。

 
       

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