旅先でのネット接続について思いを馳せてみる
昨晩は12時前に速やかに眠りについたはずなのだが、深夜2時半にパチリと目が覚めた。年齢を重ねるとともに若い頃のように熟睡や爆睡はできなくなるのだけど、それにしてもちょっと早過ぎるでしょ。2時半っていうと日本では朝の10時半か……確かにちょっと朝寝坊しちゃったという時間帯だなぁ。もうちょっと眠ろうと試みてはみたけれど、なんだか目も頭も変に冴えてくるばかりで、結局3時過ぎに起きてしまうことにした。明日以降の下調べは一応してあるけど復習してみたり、さっそく多方面にメールを書いてみたりと、それなりに時間をつぶすことはたくさんあるのよね。
今のイタリアでは多くのホテルが無料Wi-Fiサービスを提供しているから、旅先でのネット接続も気軽に出来るのが当たり前のようになっている。でも12年前の南イタリア旅行記を読み返してみたら、驚いたことにダイヤルアップ接続をしていたのだ。有線LAN接続の出来るホテルもあったけど、多くはなかったので、ダイヤルアップが確実な方法だった。若い人は知らないでしょ、ダイヤルアップ接続。
事前にプロバイダ提携の接続ポイントを調べ上げておき、電話のモジュラージャックを引っこ抜いてPCに挿し、ちんたらと通信していた。接続時間がそのまま電話料金になるものだから、メールの文章はあらかじめ書いておいて、繋いで送ってすぐ切って。回線がひ弱でブツブツ切れたり、アクセスポイントを認識してくれなかったり、市外のポイントに繋いでチェックアウト時に思いのほか高額な電話料金の請求をされたり、古い建物では壁から直接電話線が出ている電話機でどうしようもなかったこともあった。
そういえば観光客やバックパッカー向けのインターネットカフェがあちこちにあったし、観光インフォメーションには無料ないしは安く使えるPCが設置してあるところが多かった。日本語の閲覧は出来るけど日本語変換はできなくてローマ字で文章打ったりしてね。この頃はインターネットは日々の生活である程度欠かせないものになってはいたけれど、モバイルはまだまだ立ち後れていたのだ。うーん、10年ひと昔だのう……
などと感慨にふけっているうちにようやく外が明るくなってきた。朝食に向かう途中で少しパティオを散策してみよう。
部屋からこんな感じのパティオに直接出られる
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ひとつのパティオを何部屋かで共有しているので、パジャマや下着姿なんかでフラフラ出ない方がよいかと……
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今日はシラクーサに移動するのだけど、15時台の電車かバスに乗るつもりだから14時頃まではカターニア市内を歩くことができる。不味いわけではないけれど特別美味しいというわけでもない至極普通な朝ごはんを食べながら、超早起きして練った半日観光スケジュールを反芻してみたりした。
朝食ルームに面したパティオ。夏だったらここで朝ごはんすると気持ちよさそう。たぶん緑がもっと色濃くて涼やかな影を落とし、花々はもっと鮮やかで豊かなのに違いない
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特筆するべくもない程度に普通な朝ごはん。でも、私の記憶ではイタリアの朝食って割とシンプルだったような………? 3星くらいのホテルでは、2種類程度のパンとクラッカー、ジャムとバター、たまにチーズがつくくらいで、ハムや卵なんかはつかないところが多かった。時代が変わったの? それとも地域の違い?
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昨晩レセプションにいた男性と同じく、午前中シフトの男性もとても感じがよかった。彼はフランチェスコと名乗った。
「ステイは楽しんでいただけた? 部屋は良かったですか?」
「広い部屋にしてくれてありがとう。ゆっくり眠れました(3時間しか寝てないけど)」
「パティオが素敵だったでしょう?」
「はい。とても綺麗でした」
「僕は日本や日本人が大好き」
「ほんと? ありがとう」
「日本人は真面目だし清潔だし礼儀正しいし」
正確には聞き取れていないけれど、おそらくそんなような内容の褒め言葉をフランチェスコは羅列した。
「トリップ・アドバイザーを知ってる?」
どうやらホテルについてコメントを書いて欲しいようだった。トリップアドバイザーはずいぶん参考にはさせてもらってるけどユーザー登録はしてないんだけどな……。でも、とりあえずその場では「OK」とにっこり笑っておいた。
エレガントなドゥオモ広場へ
今回の旅のテーマは、シチリア南東部の「ヴァル・ディ・ノート Val di Noto(ノートの谷)」と呼ばれるエリアのバロック様式の魅力的な町を巡ること。1693年に大地震被害で壊滅した町々が、18世紀に後期バロック様式で再生・復興されたというもので、8つの町が世界遺産に登録されている。ここカターニアもそのひとつなんだけど、私がこの街を歩きかった理由は別にある。
とりあえず、街の中心部に向かおう。海岸通りを少しだけ南下してヴィットリオ・エマヌーレ2世通りをひたすら直進していけばいいはず。
いつも最初に街歩きに踏み出す一歩はわくわくしながらもちょっと緊張があるのだけど、今回は緩やかに心がほどけていくようなリラックス感の方がずっと強かった。5年ぶりのヨーロッパであるにもかかわらず、やっぱり自由な一人旅であることが大きいのだと思う。今の私は同行者と感動を共有する楽しさよりも、自分のペースで思うままに歩き回れる喜びの方が何倍も大きいのだった。
「さあ〜〜、歩くぞお〜!」空を仰いで大きく伸びをし、深呼吸をひとつする。
鼻歌混じりでスキップまでしそうな勢いで私はウキウキと何の変哲もない道筋を歩いていった。何の変哲もないというよりは、若干煤け気味でちょっと陰気な感じがする町並かなあ? でもゴミなどは落ちていないし、荒んだ雰囲気はない。
カターニアは、今も現役火山のエトナ山の噴火被害をさんざん受けてはその度に逞しく甦ってきた街。石畳の敷石や建物の建材に溶岩が使われているので、街全体が黒っぽいせいもあって暗く感じるのかもしれない。それに今日はどんよりとした曇天だし。気温は15℃ほどで東京より寒くはないけれど。
>> 1990年代前半までは、カターニアはマフィア闘争や治安の悪さでイタリア中にその名を馳せていた。街の中心部、特に歴史的中心地区が見違えるように綺麗になったのは、2002年にヴァル・ディ・ノート後期バロック様式の町の一つとして世界遺産になってから。道路や広場が整備され、治安も格段に向上したそうだ。
10分ほど歩くうちにドゥオモのものらしきクーポラが見えてきた。さらに進むと突然に広大な空間が開けて、そこがドゥオモ広場 Piazza Duomo だった。広場を取り囲むのはダークグレイと白のモノトーンのエレガントなバロック様式の建物群。これはエトナ山の黒い溶岩とシラクーサの白い石灰岩を組み合わせてあるんだそう。バロック建築や装飾には軽やかな華やかさがあるのだけど、黒い石造りのためか落ち着いた重厚感も感じる。きちんと都市計画に基づいて設計した広場ならではの統一感と安定感もある。
バロック様式の教会や宮殿がまわりを取り囲んでいるドゥオモ前広場。巨大モニターがインフォメーション映像を流しているのは現代ならではの風景
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広場の中心に立つのは街のシンボル・象の噴水。18世紀のバロック様式の設計だけど、象は古代ローマ時代のもので、突っ立てるオベリスクはエジプトから持ってきたものだとか
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なんだか目つきがおっかない割には口元がにまーーっと笑ってる象さんは、溶岩から作られているので真っ黒。彼には Liotru という名前までついているらしい。なんて読むの? リォトル?
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ドォーモ広場の中央にあるのはバロック様式の象の噴水 Fontana di Elefante。白っぽい曇天のせいか、傍に寄って撮影してみてもあまり見映えがしない。うーん、やっぱりシチリアに似合うのは青い空≠セな。カターニアは晴天率が高い街って聞いたのにな。
噴水の後ろにあるのはカターニア市庁舎で、その名もエレファンティ宮 Palazzo degi Elefanti(象の宮殿)。2階の窓のところに象のレリーフ装飾があるのが可愛い。
カターニア訪問の目的その1「聖アガタ詣で」
広場の東側、ぐるりと取り囲む建物群の中でひときわ壮麗で燦然と輝いているのが街のメインの大聖堂ドゥオモ Duomo di Catania で、正式名称はサンタ・アガタ大聖堂 Cattedrale di Sant'Agata。カターニアの守護聖人聖アガタ Sant'Agata に捧げられている聖堂だ。聖アガタ──私は彼女に逢いに来たのだ。
シックでエレガントなファサードを持つドゥオモ。後方にクーポラと鐘楼が見える
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ガランとした印象を受ける教会内部。意図的にバロック装飾を取り除いてしまったからだそうだけど、壁や天井が白く明るいので、なおさらそう感じるのかも?
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聖アガタはシチリアのアガタとも言われるキリスト教の聖女で、シチリアに生まれ殉教したとされている。権力者の求婚を袖にしたために、逆恨みされて両方の乳房を切り落とされる拷問を受け、それでも屈せずに神に身を捧げたという逸話があり、近代では乳癌患者の守護聖人ともされている。私は自分自身と同病の仲間たちのために彼女に祈りを捧げたかったのだ。
つい5日前の2月5日には「聖アガタ祭 Festa di S.Agata」があったばかり。イタリア三大祭りのひとつだそうで、カターニアっ子の郷土愛&宗教熱が炸裂しまくったわけだ。その狂乱直後の反動もあるのか、朝9時過ぎの聖堂内は人はまばらだった。入ってすぐの側廊部分に、今年の聖アガタ祭で使ったのであろうお神輿が全部で11基も並んでいた。ここにあるのはみんな商工会などが自分たちでお金を出し合って作ったお神輿なんだそうで、そういうところは日本と同じね。
日本のお神輿や山車とはずいぶん様相が違うけれど、とても精緻で綺麗に作られていて、大切にされているのだろうことはよくわかる
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こじんまりしているけれど黄金に光り輝く聖アガタの礼拝堂。主祭壇よりよほど美しく神々しいかもしれない
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人形でアガタの物語が再現されているお神輿があった。これは乳房を切り取られたアガタのところに聖ペトロが現れて励ましたというシーンかな
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奥に進んでいくと主祭壇の少し手前に聖アガタ礼拝堂 La cappella di S.Agata があった。彼女の像と聖遺物は柵越しでは見ることはできない。私はキリスト教徒ではないので正しい作法はわからなかったけれど、しばらく自分流に祈りを捧げた。おそらく聖アガタはそんなことでは目くじら立てずに、寛容に私たちのことも守ってくれるような気がしたから。
聖アガタのメダイを求めて
聖アガタに祈りを捧げるのはもちろんのこと、彼女にまつわる小物も何か欲しいと思っていた。まあ、神社にお詣りしてお札やお守り頂いてくる感覚なんですね、日本人だからさあ。
でも同じように思う人は多いようで、ドゥオモの入口脇すみのガラスケース内にはいろいろなサンタ・アガタ・グッズ≠ェ売られていた。ポストカードに始まり、キーホルダーやバッグにつけるチャーム、ブレスレット型のロザリオ、ペンダント……。キーホルダーなどはプラスチックのプレートにアガタ像の写真がプリントされたチャチくさいもので、これでは修学旅行生のバラまき土産以下だ。ロザリオもピンキリで、このキーホルダーレベルのものもあれば、フェイクパールなどでデザインされたファッションブレスレットのようなものもあった。シンプルなロザリオだといかにも宗教色が強くなってしまうし、ここまでアクセサリーのようだと身につける時が限られてしまう。
私は小さなメダイが欲しかったのだが、ここにあるのは18金のものでちょっとお値段が張る。ちゃちいプラスチック製か18金か……選択の幅が両極端で困っちゃう。しばらく悩んでいたが、ここに来る途中に宗教グッズショップがあったこと、他にも聖アガタの名を冠した教会があることを思い出して、とりあえずこの場での購入は保留にして、いったん外に出た。スーベニアショップを覗いてみるのもいいかも。でもやっぱり教会で買いたいなあ……
ドゥオモの左後ろ側に教会のドームが見えている。この華麗なバロック様式の教会は、サンタ・アガタ・アッラ・バディア教会 Chiesa di S. Agata alla Badia。そうそう、ここにも詣でていかなくちゃ! とても美しい外観の教会で、扉口には聖アガタのシンボルの百合と椰子と王冠が美しく象られてデコレーションされている。
内部もまた美しかった。広さはドゥオモの5分の1くらいしかない感じで、さして広くもないのだけど、豪華なバロック装飾に彩られていている。その装飾はみな真っ白な漆喰なので、とても明るく清楚な感じがする。観光客はひとりもいなかった。
ここにも宗教グッズの並んだガラスケースがあった。何気なく覗いてみると、銀色の小さなメダイがあった。2cmに満たないサイズのアガタ像──そうそうそう、これ! こういうの探してたの! ガラス越しなのでよくわからないけれど、銀製ではなくてニッケルだと思う。でも銀なのかな、と見えなくもない。
教会内で片付けをしていた女性を呼び止めて、ケースから出してもらって見てみると、やっぱりニッケルのようだった。値段を尋ねてみると「私は一時的にこの場を預かってるだけなのでよくわからないのよ」みたいなことを言いながら、ノートの値段表リストみたいなものを繰って「€10かしら……」
えっ、それはちょっとお高くない? やっぱり銀製なのかしら、それともご利益込みの値段? 彼女もその値段はちょっとおかしいと思ったようで、どこかに電話をかけて確かめている。
結局、1個€1だった。なんてお手頃なお値段なの! 友人たちの分を合わせて5個買った。
サンタ・アガタ・アッラ・バディア教会の美しい彫刻
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聖アガタのメダイは、鎖でストラップにして手帳につけた
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これでカターニア訪問の第一の目的は果たした。さて、次はどうしよう?
市場見物はいと愉し
ドゥオモ広場の真ん中に鎮座しているのは象の噴水だが、隅っこにアメナノの噴水 Fontana di Amenano というやはりバロック様式の噴水があって、その下は暗渠化した川だという。暗渠の川の上は広場になっていて、噴水の位置から見下ろすとすごい人だかりがしている。なんだか大声で叫んでいる人もいる。どうやらここがシチリアで一番大きいという魚市場 Mercato del Pesce らしい。午前中の活気のあるうちに見ておこう。
ウツェダ門は門というよりは建物の下をくぐるトンネルのような感じ。門の上にもサンタ・アガタの文字がある。左の建物はかつての司教館、右側はかつての神学校
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門の中には安っちい帽子やマフラーやスマホケースなどを売る露店が出ている。中ほどで振り返るとドゥオモ広場の壮麗な建物群が見えた
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魚市場の場所まで降りるにはドゥオモ右横の奥にあるウツェダ門 Porta Uzeda を抜けて行く。くぐり抜けると、ある種トンネルを抜けるとそこは別世界≠セった。大聖堂や市庁舎の集まる美しく設計された広場から、いきなり庶民の生活感あふれる場所へワープしたみたいだ。
とりあえずぐるっと歩いてみる。この時間はまだ閉まっているけれど、トラットリアやオステリアがある。築地場内の寿司屋のように新鮮な魚料理を出す店なんだろうな。魚市場なので魚介を売る店や屋台がほとんどだけど、八百屋やナッツ類の店、ピクルスやオリーブのマリネなどを売る店などいろいろある。
魚を買うことはできないので、八百屋でみかんを買った。何種類かあって1kg €1とか€0.6とか書いてある。2種類のみかんを4個ずつ8個買って、€0.2。ユーロのレートは130円くらいだから、なんと26円! 東京のスーパーでは1袋380円といったところかしら。
コインを渡しながら、これから日に何度も繰り返し使うことになるフレーズの「Posso prendere la poto?(写真を撮ってもいいですか)」を初めて口にしてみた。旅行中にだんだん慣れてくるのだけど、はじめのうちはちょっと照れちゃってオドオドしちゃうからか、あまり明瞭な口調ではなくて、八百屋のおじちゃんは「ん?」という顔をした。もう一度言いながら手にしたカメラを少し持ち上げて指差すと、一気に破顔して、向こうで品出ししていた自分の奥さんまで引っぱってきて肩を組んで写真に収まってくれた。
この後、お店を撮りたい時は必ず撮影していいか尋ねたが、ただの一度も断られたことはなかった。
旅のしょっぱなではまだシャイな状態で、買物をしない店には声がかけづらくて遠い位置からこっそり撮った
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紫色の巨大カリフラワーが気になる! 大きなアーティチョークも気になる! このちりちりした葉っぱの野菜はレタスの仲間? ぶっといズッキーニや茄子も美味しそう! 果物くらいしか買えないのつまんないな
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店主がお喋りに夢中になっている隙に商品の豆を盗み食いする鳩
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一番活気のあるのは、やはり魚屋さん。いろいろな種類の魚介類が所狭しと並んでいる。あちこちで大声も飛び交っているが、イタリア語なのにも関わらずイントネーションはまるで「へい、らっしゃいらっしゃい、○○が安いよ安いよ」。魚屋さんて世界中でこうなのかしら。
ダン!ダン!とすごい音の響く方を見ると、なんとカジキマグロをサーベルのような巨大包丁で骨ごと筒切りにしている。力技で筒切りにしているわけではなくて背骨の継ぎ目に刃を入れているのだろうけれど。中心に背骨のある輪切りが積み重なった横に何かそびえ立ってるなあと思ったら、長く尖ったカジキの頭が獄門さらし首のように立ててあるのだった。東京で暮らしていると切り身の姿でしかお会い出来ないカジキマグロだけど、丸くて大きな目がクリッとして意外に可愛い顔をしているのね。
ところで、職人芸ともいえる日本のマグロ解体を見たら、彼らはどう思うのかな。
カッサータに脳天直撃される
さすがに歩き疲れてきた。魚市場の近くにあるバール《Etoile d'Or》でしばし休憩しよう。ここはパスティッチェリアとしての味も保証つきらしく、店内のガラスケースの中には色とりどりのケーキやタルトやパイなどがいっぱい。ちょっと目移りするけど、ここはシチリアのお菓子カッサータと、ホテルの朝ごはんのカフェが美味しくなかったのでカプチーノを注文。合計€3.50。
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シチリアではどこにでもあるカッサータだけど、ここカターニアでは聖アガタにちなんで「おっぱいの形」をしている。外見からはスッキリ爽やかそうな味を想像したけれど、想定外の超激甘だった
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運ばれてきたカッサータをまじまじと見てみる。白くて表面はつるんと滑らかで、とても綺麗なお菓子だ。おっぱいの形としてもとても美乳ね(*^^*)
カッサータというお菓子はリコッタクリームとピスタチオクリームで作られていて、夏は冷たくして食べるらしいということしか調べていなかったので、勝手にムース状の柔らかなものを想像していた。でも、なんだかぷるるんとした感じはしないなあ、ちょっと硬そう……? 添えられていたプラスチックのフォークで切ろうとしたら、跳ね返されて切れないし刺さらない。ばかりか、フォークは曲がってしまった。このへなちょこフォークでは歯が立たなさそうなので、アーミーナイフを取り出して2つに割ってみると、思いのほかザックリと手応えがあった。な、なんだ? この硬さは!
断面部をしげしげと観察してみる。スポンジの台の上に白いリコッタクリームと黄緑色のピスタチオクリームが層になっていて、少しチョコチップが混ざっている。なんとその上に糖衣がけしてあるのだった。それも厚さが5mmはある。こんなのプラスチックフォークで切れるわけがない、金属のフォークだって刺すのがやっとだ。ナイフで一口大に切って口に入れてみた。
「うへー、甘あぁぁぁーー!」私の周りの席には誰もいないのをいいことに、思わず声に出してしまった。
脳天を直撃する甘さだった。もう一口、さらにもう一口食べてみる。砂糖味が強烈すぎて中のクリームの味が全然わからない。リコッタは比較的さっぱりしたチーズだから、そのクリームとピスタチオとのコンビなら間違いないはずと思っていたのに。試しにクリームだけ舐めてみると、リコッタの爽やかな甘みとピスタチオの香ばしさがマッチして、そこにチョコチップの苦みがアクセントを添えていて美味しかった。なのに、それらをすべて凌駕し圧倒する絶対的存在感の糖衣! だからといって糖衣部分だけ剥いてグチャグチャに残すのは抵抗があったので、頑張って食べた。ううっ、胸焼けしそう。
カッサータとは糖衣がけしてあるものだということはわかったけど、こんなに分厚いものなんだろうか? それともこの店のが特別分厚いんだろうか? 他の店と比較してみたい気もするけど、再び同じものが出て来たら立ち向かえないなあ……。カッサータを食べる機会はもうないような気がする。
>> 後で調べたところによると、カッサータは味よりも見た目を楽しむお菓子で、さまざまな砂糖漬けフルーツで可愛く華やかに飾りつけるものらしい。とにかく甘い甘いケーキなんだそうだ。
30分ほど休憩してから店を出て、市場をもう少し巡ってみた。もうもうと煙のあがっている屋台があって、何だろうと近寄ってみると、野菜を炭火焼きにして売っているのだった。スチロールのトレーにスライスしたナスやズッキーニ、パプリカなどが盛ってあり、オリーブオイルとビネガー、パセリと唐辛子の粉末が振ってある。真っ黒に焦げてるけど、きっとこれ美味しいよね。お腹が今の状態でなければ一皿買ってみたかったな。
世界遺産のクロチフェリ通りを歩く
さあ、ドゥオモ広場周辺から離れることにしよう。
ヴィットリオ・エマヌーレ2世通りをまっすぐ歩いて広場まで来たけれど、もう少し先にローマ時代の劇場跡があるはず。まずはそこを目指そうとすると、広場から先の道路が封鎖されている。パトカーが5〜6台と救急車が2台、警官が10人くらい、野次馬たくさん。え? 何だろ何だろ? 通れないの? 一瞬「テロ?」とか思ったけど、シチリアの中では比較的都会とはいえこんなのんびりした雰囲気の街でそんなこともあるまいと思い直した。ローマ劇場は見られたら見ようくらいに思ってたのでどうでもいいや。
本命の目的地はクロチフェリ通り Via dei Crociferi という小道。このたった200mほどの長さの通りがカターニアで世界遺産に登録されている部分なのだ。クロチフェリとは「十字架に磔になる人」というような意味で、つまり多くの教会や修道院がつらつら連なっているということ。その教会群はみな18世紀の壮麗なバロック様式の装飾に彩られているというのだから、期待感も高まるというもの。そのクロチフェリ通りの入口がローマ劇場の1ブロック手前にあるのだけど、封鎖されていて行けない。
仕方ないので別の路地から回って、中ほどからクロチフェリ通りに横入りすることにした。
ちなみにクロチフェリ通りのバロック建築物群は、ヴィットリオ・エマヌーレ2世通りに面したサン・フランチェスコ広場から始まり、サン・フランチェスコ・ダッシジ教会→サン・ベネディクトのアーチ→ベネディクト派修道院と教会→サン・フランチェスコ・ボルジア教会→サン・ジュリアーノ教会→クロチフェリ修道院→サン・カミッロ教会→チェラミ邸となっている。
ところが実際に歩いてみると、いささか期待外れだった。ちゃんとサン・ベネディクトのアーチをくぐらないでひょいっと通りに入っちゃったせいか、なんだかワクワク感が盛り上がらない。確かに連なる教会やモニュメントはバロック様式で装飾されているけれど「うわ〜」というほどではない。まあ、サン・ベネディクト教会 Chiesa de S.Benedetto の外部装飾はなかなか綺麗だったかな。ただ、彫刻などの部分は綺麗に保存されているものの、それ以外の壁が剥落しているところがあったり、落書きが消されてなかったりと、今ひとつ手入れが行き届いていない感じがするのだ。その他の教会も、そう特筆する感じもないなあ。
人もほとんど歩いていないので、なんだか寂れた裏通りのよう。どの教会も扉を固く閉ざしていていっさい内部を見学出来なかったせいもある。結局200mの距離を「ふぅーーん」と言いながら通り抜けるだけに終わった。まあ、いいや、バロックの街の本命は明日以降に控えているんだから。
見えているのはサン・ベネディクトのアーチ。ちゃんとアプローチできなかったせいか、教会にひとつも入れなかったせいか、人が閑散とし過ぎていたせいか、クロチフェリ通りはあまりパッとしない印象だった
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正面に見えるのがチェラミ邸かな? 元チェラミ公爵のパラッツォは、今はカターニア大学の法学部校舎なのだとか
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カターニアの街には聖アガタに捧げられた教会がいくつもある。クロチフェリ通りから左に折れてサンタ・アガタ・ラ・ヴェテーレ教会 Chiesa S.Agata la Vetere にも立ち寄ってみたが、ここも扉どころか門まで閉ざしていた。この教会はバロック装飾とは無縁の質素な外観。
カターニア訪問の目的その2「エトナ山と町並をセットで見る」
エトナ山 Monte Etna はシチリア北西部海岸線に位置するヨーロッパ最大の現役活火山。高さは今のところ3325m、噴火のたびに高さが変わるらしいけど、日本の富士山と同じくらいある。そして、富士山と同じ2013年6月に世界遺産に登録された。広大な裾野を持つ姿も、冬には頭に雪帽子を冠る様子も、富士山によく似ている。これはもうシチリア富士≠チて呼んでもいいんじゃない? ま、活火山はみんな似た形状になるんだけどね。
カターニアはこのエトナ山の懐に抱かれた街。絵を描く私としては、バロックの美しい町並や教会のクーポラと雪化粧したエトナ山をセットで見たいと思うのも当然ってもんでしょう?
聖アガタ詣での方は、とにかくこの街に来てアガタに捧げた教会に行けば果たせるけれど、天候という不確実要素の加わる「町並+エトナ山見物」はそうはいかない。だいぶ青空も出てきたけれど、とにかく雲が多くて、今のところエトナ山は見えていない。
とりあえず旧市街の北側にあるベッリーニ公園 Villa Bellini に向かってみようかな。カターニア出身のオペラ作曲家の名を冠した緑豊かな公園は、元々は貴族ビスカリ家の土地で、そこをカターニア市が買い取ったものとのこと。この公園の高台から海が少しとエトナ山が見えるというので、ちょっと期待しているの。
カターニア市民の憩いの場であるらしく、公園内はとてもよく整備されていた。なかなか起伏に富んでいて、椰子などの南国の木々が植えられ、遊歩道も張り巡らされ、子供用のアスレチック遊具などもある。ベンチにのんびり座っている老人、休憩しに寄ったビジネスマンらしき人、小さな子供を遊ばせる若いお母さん、ジョギングする人、私を含むなんとなく散策している人。
玉砂利のような敷石の間が色とりどりだなあと思ったら、たくさんの紙吹雪の残骸だった。そうか、先週の聖アガタ祭でこの公園内もお神輿が練り歩いたのだ。街中の紙吹雪は掃除したり吹き飛ばされたりしたけれど、ここは敷石の隙間に引っかかってしまって残ってるってことね。お祭りの盛り上がりっぷりも伺えようというもの。
それにしても暑い。ウェブで見た天気予報では今日のカターニアの気温は15℃とのことだったけど、せっせと歩いているせいもあって体感ではもっとある感じ。耐えかねて着ていたダウンコートを脱いで抱えた。ライトダウンなんかじゃなく、袖口にファーまでついていて、しっかりお尻も隠れる防寒仕様のもこもこの……抱えるのだって邪魔なんだけど。だって2月の東京から来たんだもの、仕方ないじゃない。それに旅先で寒い思いをすることの方がよっぽどつらいものね。
園内の遊歩道をウネウネと巡ってネオ・ゴシック様式の東屋のある高台までえっちらおっちらと登ってきた。私の数m後ろを中年の夫婦も登ってくる。
結局、ここまで来てもエトナ山は見えなかった。
エトナ山が見えるのはこっちの方向? それとも別の方向……? 雲ばっかりで全然わからない
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エトニア通りからの公園入口はなかなか素敵な雰囲気。あの東屋はあんなに高い場所にあったのね
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この人たちも一生懸命登ってきたのにね……。バロックの街の中でネオ・ゴシック様式の東屋がここだけちょっと異質な感じ。裾がシートで覆われていて中には入れない
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エトナ山遠望は諦めて公園を出た。私は裏手からなんとなく公園に入ってしまったが、メインの入口は街のメインストリートのエトネア通り Via Etnea に面している。黒白に敷石で象のモザイクになっている歩道と階段、噴水なども設えられているこちら側はかなり華やかな感じ。
エトネア通りはドゥオモ広場を南端として北に3kmほど伸びていて、ベッリーニ公園の出口はちょうど中間地点あたりに位置している。エトネアという名前の由来はもちろん、北側に鎮座するエトナ山の方向に向かっているからに他ならない。なのに、なのに、道の先にどれほど目を凝らしても白っぽい空が続くだけ。
想像以上に美味だったアランチーノに舌鼓
歩きづめでさすがに疲れた。スーパーや売店が見つけられずミネラルウォーターが買えないので、喉もカラカラ。お腹は10時のおやつのカッサータがもたれているけれど、このまま食べないわけにもいかない。むしろ、どうしても食べたいものがあるの。それはシチリアB級フードの代表選手アランチーノ!
アランチーノとはシチリア発祥のライスコロッケ──早い話が揚げおにぎり≠ナある。レストランでは前菜に出て来たりすることもあるけれど、基本は小腹満たしに気軽にパクつくもの。あちこちのバールやカフェ、パステッチェリアにある定番メニューだけど、どうせなら美味しい店で食べたいじゃない?
ベッリーニ公園のメインゲートを出てエトニア通りを対面に渡ったところに、街一番の人気店《Pasticceria Savia》がある。毎日1000個、土日には2000個を売り上げるというアランチーノは次から次へと作られては飛ぶように売れていくので、いつでも出来立て熱々とのこと。ピスタチオクリーム味やメランツァーネ(茄子)も気になるけど、まずは基本のラグーソースを試さなきゃ。これは「おやきは野沢菜が基本」「中華まんは肉まんが基本」と同じことと思うの。ビール1本とアランチーノ1個でたった€3.80だった。
シチリアの人々にはおやつや小腹満たし程度なのだろうけど、小食の日本人ならこれで軽い昼食になってしまうレベルだ。なにしろ大きい。コンビニのおにぎりの2.5〜3倍くらいあるかな? たっぷりのソースを含んだ米をギュっと固く握ってあるのでずしっと重い。掌で受けた時に、うっかり2種類頼んだりしなくてよかったと思った。
受け取ってから奥のテーブル席に座ろうとしたら、押しとどめられてしまった。なんだ、安いと思ったら立ち席料金だったのね。そちらの席はWi-Fiスポットでもあるようなので、別料金がかかるのかもしれない。座って休憩したかったんだけど、まあいいか。カウンターテーブルはいくつかあるのでササッと食べちゃお。本来そういう食べ物のようで、たくさん買ったお菓子の箱詰めを待っている間に店内をウロウロしながらパクついているマダムもいる。
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アランチーノはソフトボール大。カッサータが胃にもたれてなければ、別の味のももう1個試したかった。ビールは日本のようにキンキンに冷えてはいないけど、さんざん歩き回った後の喉には美味しい
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ビール半分一気飲みで喉を潤してから、一口齧ってみる。
薄い衣はサクっとして全然油っぽくない。中のご飯はトマトソース味だけど、酸味と甘味のバランスのとれたとてもスッキリした味わいだ。うん、美味しいかも。
もう一口、もう一口……これはトマト味ご飯としてもかなりのものかもよ? 思わずパクパクと食べ進んでしまう。真ん中にはラグーソースとチーズが入っていた。ラグーソースはいわゆるミートソースのことだけど、挽肉ではなくて塊肉をホロホロに煮込んだもので、トロリと溶けたチーズとからまってメチャクチャ美味しい。胃もたれなどなんのその、ぺろり完食。
シチリアでのアランチーノはみんなこんなに美味しいのかな、それともやっぱりこの店のは特別美味しいのかな? これはこの先の行程でも確かめてみなきゃいけないなあ。旅のテーマがひとつ加わった。
街の下には遺跡がたくさん眠っている
トイレを借りてから店を出て、お洒落なブティックなどが軒を連ねるエトネア通りをぷらぷら南下していく。体感の気温は17〜18℃以上はある感じで、コートを脱いで抱えている人も多い。私もそう。しばらく進むとステシコロ広場 Piazza Stesicoro に出た。この近くに聖アガタに関連した小さな教会が1つか2つあったはず、それからメルカート・ストリコ Mercato Storico ──直訳すると「歴史的市場」──というシチリアで一番大きい一般市場もあるはず。でもなあ……、教会は閉まってるような気がするし、野菜や魚やハムやチーズなんか買えないのに市場歩きってのもなあ。広場のベンチに腰掛けてぼーっと周辺を見回してみる。ん? エトネア通りの向こう側に見える半壊した古代ローマの柱みたいなもの、なんだろう? そうだった、この広場に面して古代ローマ時代の闘技場跡があるんだっけ。
>> 現在のカターニアで目につくのは18世紀以降のバロック建築物ばかりだけど、そもそもが紀元前7世紀には植民したギリシャ人に建設された街で、ローマの属州になってからはがんがん発展して繁栄していったのだ。と同時に、エトナ山の噴火や地震の被害を幾度となく受けては幾度となく再建されてきた街。古いローマ地代の遺跡の数々はみんな他の建物の下に埋もれてしまったというわけ。
闘技場跡は小さな公園のようなスペースが柵で囲われていた。中は草ぼうぼうで黒っぽい瓦礫が転がっている。半壊した柱がゲートのようで、脇に小屋があり係員らしき人もいるけれど入場料を払う感じでもないので、軽く挨拶して中に入ってみた。足場のように組まれた通路と階段を進んで草だらけの瓦礫の間に降りていくと、地下部分に奥が続いている。厚い壁で仕切られた小部屋のようなものがいくつも連なっている。ああ、ここは競技場の地下で、出番待ちの猛獣の檻や競技者(というか猛獣と闘わされる人)の控え室だった場所だ!
内部は厚い壁で仕切られて迷路みたいに入り組んでいる
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古代ローマ時代遺跡と18世紀バロック建築の素敵な競演
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ああ、溶岩で作られてるんだなあ。ローマ時代からこの街には溶岩がいっぱいあったんだ
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この闘技場が造られたのは2世紀中頃だそうだけど、11世紀にドゥオモ建設の石材として競技場の石が持ち出されてしまったそう。その後、建物の上部も破壊され、地震が起きて崩れ、噴火が起きて埋もれ、全部発掘できているわけではないし、これから発掘されていくというわけでもない……そういうわけで、ここに見えているのはその全貌のほんの一部でしかないらしい。
円形闘技場跡はイタリアのみならずヨーロッパ中にたくさんあるけれど、イタリア国内で大きさでここを超えるのはローマのコロッセオだけだとか! 収容着席観客はヴェローナのアレーナに次いで3番目の規模だというから、なおびっくり。ヴェローナはまだ未訪だからアレーナの実物を見たことはないけれど、夏に野外オペラやるところでしょ? 映像や写真では何度も目にしている。コロッセオもアレーナも巨大な全貌が見えているんだから、そこに次ぐ規模だなんて言われると本当にびっくり。
だというのに、外から見ると雑草と瓦礫しか見えないほぼ放置状態で、今は私を含め3人しか見物客がいない。冷遇っぷりがちょっとばかり可哀想。
先に入っていた2人連れが出て行ってしまってからは、しばらくひとりでいろんな空想をしながら歩いていたが、次のひと組と入れ違いに地上に戻った。
やっぱりエトナ山は見えなかった
予想外に闘技場跡を楽しんでしまったわけだが、もう足腰がくがくだ。母ヒナコを連れている時はノロノロ30分歩いては1時間休憩し、またノロノロ30分歩いてはトイレに15分費やし……などという具合だったけど、自分ひとりだとスタスタずんずんどこまでも歩いていってしまうので、気がつくといきなり足が棒になっている。
カターニアにいられるのもあと1時間半ほど、14時半までにはホテルに荷物を取りに寄らなきゃいけないし。もう歩くのはやめて、時間までどこかで休憩して過ごそうかな。そうだ、ドゥオモで売っていた聖アガタのロザリオ、やっぱりあれを1個だけ買おう。その後、広場に面したドゥオモ正面のカフェでゆっくりしよう。
そう決めた私は一気にエトネア通りを突き進んだ。
正方形のとても大きな広場に出た。広場東側にカターニア大学の建物があるので大学広場 Piazza dell'Uniiversita と呼ばれている。黒っぽいグレー建物がほとんどのこの街で、この広場に面した建物はみんな白っぽい石造りなので、いきなり別世界に来たような心持ちになる。季節柄か、大学という場だからなのか、広場にカフェなどが全然出ていないので、よけいに広さは突き抜けて感じられる空間だ。
>> ベッリーニ庭園のゲートのあたりの広場、ステシコロ広場、そしてこの大学広場、終点にはドゥオモ広場と、エトネア通り沿いには巨大な広場がいくつかある。これは地震やエトナ山噴火などの災害時の避難場所を確保するために都市設計されているそうだ。
急ぎ足で向かったものの、ドゥオモはもう閉まっていた。教会はいったん12時で閉め、また16時に開くのだ。あーあ、残念。やっぱり迷ったものはその場で決断しなくちゃダメね。
そういえば封鎖されてた道路はどうなったかな? ちらっと覗いてみると、野次馬やパトカーはもういなかったが、黄色いテープで封鎖されたままだった。
わかった、カターニア観光はもういい、ゆっくり休むことにする。この気温なら外のテーブル席に座ってても寒くないのでドゥオモを正面に望む特等席に陣取った。ああ、疲れたあ! でもよく歩いたなあ〜〜。
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日中の休憩時に飲むのは、エスプレッソにちょっとだけミルクを垂らしたカフェ・マッキャートがお気に入り。必ず少量の水を添えてくれるので、口直ししつつ喉の渇きも十分癒される。これはシチリアの習慣? それとも最近のイタリアではこうなの?
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旅の覚え書きをノートに書き綴ったり、象の噴水あたりにたむろす人々のウォッチングをしたり、常連のおじさんとカメリエーレの馴れ合いの様子を盗み見たりしながら1時間ほどをのんびり過ごした。それだけ長く外に座ってると腰やお腹のあたりがちょっと冷えてくる。まだ少し早いけど荷物ピックアップして駅に向かっちゃおうかな。そんなふうに考えながらふと北の方を見ると、あれっ、ずいぶん晴れてきている! もしかしてエトナ山とゴシックの町並とのセット風景見られるかも? 充分休んだので足腰の疲れは完全にリセットされている。いざとなったら走ればいいよね、時間ギリギリまでビュースポットを探してみよう。
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ここは教会のクーポラとエトナ山がセットで見える位置(のはず)。それらしきものが見えているけど、果たしてこれは雲なのか、雪を冠ったエトナ山の稜線なのか、判別がつかなかった
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一縷の期待を持って早足でエトネア通りを北上してみたが、やっぱりハッキリとエトナ山とわかるほどには見えなかった。残念だけど、見残したものがひとつかふたつあると「またここに来よう」という気持ちになれるよね。私は、そう思えることは結構好き。
さよならカターニア
心持ち早足で戻ったら、意外に早くホテルに着いた。
「お帰り。カターニアは楽しめた?」にこにことフランチェスコが迎えてくれる。預けたスーツケースを戻してくれながら「トイレは使う?」まあ、なんて気遣いの人なのかしら、フランチェスコってば!
ありがたくトイレを使わせてもらってから「Grazze mille, Francesco」とお礼を言うと、彼はちょっと嬉しそうに目を見開いて握手のための掌を差し出してくれた。
カターニアの人たちは、──まあ主にお店の人たちだけど──みんなとてもフレンドリー。必ず片言で「コンニチワ」「サヨナラ」と付け加えてくれた。そんなに日本人が大挙して訪れる場所でもないと思うんだけど。
駅まではわずか数分。私のスケジュールを考えると、このロケーションのホテルを選んで正解だった。着くなり時刻表を確かめる。イタリア国鉄のウェブページで調べた通り、次のシラクーサ行きは15:07だった。まだ15分ほど余裕がある。
日本語の記述では「シラクーサ」だけど、現地の発音は「シラクーザ」に近いという話を聞いていたので、切符を買う時に窓口でそう言ってみた。駅員は頷いて「シラクーザ! ウノ!」と切符を出してくれる。うん、やっぱり「ザ」なんだね。カターニアからシラクーサまで€6.90。
カターニアは海沿いの街なので、カターニア駅も海に面した場所にある。駅舎を抜けてプラットフォームに出ると、線路の向こうはいきなり海だ。
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曇り空のせいで海が青くないために、うら寂しい雰囲気の漂うカターニア駅。シチリア第二の都市の中央駅のプラットフォームからの光景とはとても思えない
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ゴトゴトと入線してきた列車の編成はたったの2両だった。意外に座席は埋まっているけれど、別々のグループが別々のボックス席に分散できる程度には余裕があるみたい。
列車はちゃんと定刻に出発する。車窓左手にカターニア港を見送ると、今朝歩いた魚市場のあたりを見下ろすように通り抜けていく。市場は城壁のような橋のようなものに沿って広がっていたけれど、あれは鉄道の高架だったんだ! たくさんの人々が集まってあんなに賑わっていたのに、露店も屋台もすべて撤収されて閑散としているのが垣間見えた。
列車に乗る前に水を買い忘れてしまったので、市場で買ったみかんを食べることにした。大きさは日本の温州みかんくらい、外側の皮はやや硬めで中の袋も硬め、種が多いけれど、果肉はとてもジューシーだ。甘味も酸味も薄くてサッパリしているので、果物として食べると物足りないかもしれないけれど、水代わりに喉を潤すにはこのくらいがちょうどいい。今日はよく歩いて汗をかいたのでとても美味しくて、立て続けに3個も食べてしまった。
列車に揺られているうちに猛烈に眠くなってきた。だって今朝は3時から起きてたんだもん。うっかり寝入ってしまわないよう車窓の景色を凝視して一生懸命頑張る。シラクーサまでは1時間15〜20分程度なので、なんとか持ちこたえたけど、もっと長距離だったら難しかったなあ……
シラクーサには到着予定時刻の16:25にちゃんと着いた。
シラクーサ滞在はとても楽しめそうな予感
今回の旅のテーマは「バロック都市巡り」だけど、シラクーサだけはそのテーマから外れている。ここは古代ローマ時代よりももっと昔、ギリシャ時代にアテネと同じくらい繁栄した町なのだ。誰もが知ってる天才数学者アルキメデスを生んだ町で、太宰治の『走れメロス』の舞台になった町でもある。私はずっとどちらもギリシャ国内での話だと思っていた。イタリアだったのねーーー!
シラクーサの町は本土 Terraferma と1km四方ほどのオルティージャ島 Ortigia の2つに分かれていて、観光ポイントもそれぞれ違う。本土にはギリシャや古代ローマ時代の遺構が多く残っていて、オルティージャ島には18世紀の豪華なバロック建築の教会や宮殿がある。大戦後はずっと荒廃していたオルティージャ島は1990年代後半から再開発が始まって、2005年に世界遺産に登録されると古代遺跡の町から一転してリゾート風観光地になったそう。本土側は遺跡以外は普通の新市街で全然面白みがないので、宿は絶対にオルティージャ島側に取るべき。ホテルやレストランもほとんどがこちらに集まっているし。島といっても本土側とは2本の橋で繋がっているので、ほぼ陸続きと同じこと。渡し船に乗り換えたりする必要はない。
シラクーサ駅はオルティージャ島の入口までは1kmほど離れた本土側にある。バスで来た場合も、駅から一本筋違いのターミナルに着く。ここから荷物つきで歩いても20〜30分程度かな。
とりあえずはフランチェスコ・クリスピ通りかコルソ・ウンベルト1世通りをひたすら直進していけばいい。この2本はいずれ合流して、オルティージャ島を繋ぐウンベルティーノ橋 Ponte Unberutino に続くのだから。
宿はオルティージャ島にかかる橋を渡って3ブロックほどに位置する Terra e Mare B&B [WEB]。「大地と海」という大仰な名前がついているけれど、5室のみのB&Bだ。朝食つきで€40とリーズナブルだけど、エレベーターのない2階(日本式の3階)であることと、チェックイン時間をあらかじめ伝えておく必要があること、スタッフは常駐していないことなど、多少は制約がある。
近くに来て少し迷った。この建物なんだよなということはわかったけれど、ホテルのようにちゃんとエントランスがあるわけでないので、どこから入ったらいいのかわからない。建物の周りをぐるっと一周してみる。3階のあたりの窓に目をやると、小さく「Terra e Mare」のプレートがあるのが見えた。その下の扉に「Terra e Mare B&B」の名札表示があったので、そのブザーを押す。とても元気な女性の声が答えて玄関のロックが外された。扉を開けると階段が続いていて、20代後半〜30代くらいの女性が駆け下りてきた。彼女はクリスティーナと名乗り、明るくにこやかに私を迎えてくれた。
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シングルルームはさらに階段を上った屋根裏部屋だった。この「こじんまり感」は秘密基地みたいでいい! 実際これで十分だもの
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建物は古いけれど内部は綺麗に改装されている。案内された部屋は4畳半くらいのスペースにシングルベッドと小さなデスクとクロゼーットを備えていて、ちゃんとエアコンも完備している。バスタブはないけれど専用バスルームだし、無料Wi-Fiだってある。屋根裏部屋なので申し訳程度の小窓しかないけれど、そこまで贅沢言えないよね。
渡されたキーホルダーには部屋とB&Bのエントランスと外玄関の3つの鍵がついている。いちいちレセプションを通さずに出入りできるのは、私にはとっても気楽。こういう個人経営の小さい宿は、オーナーやスタッフの人柄次第で快適度が大きく左右されてしまうけれど、クリスティーナはとても感じがいい。部屋も気に入ったし、2泊の滞在は楽しめそう。
夕暮れのオルティージャ島を一巡り
シラクーサの夕陽はとても綺麗だと聞いた。この時期のシラクーサの日没時刻は17時35分頃のはず。今日は曇ってたから期待薄だけど、とりあえず行ってみよう。
西側の海岸沿いまで急いだけれど、やっぱり夕焼けは見られなかった。夏にはきっと豪華なクルーザーやヨットが並んで華やかな雰囲気であろうマリーナも閑散としていた。2月なんて完璧にオフシーズンだものね。
マリーナからはパッサージョ・アレトゥーサ Passagio Aretusa というとても気持ちのよさそうな遊歩道が海に沿ってずっと続いている。ここを散策する人も誰もいないけれど、完全に暗くなるまではまだ時間がありそうなので、しばらく歩いてみようかな。オルティージャ島をきちんと観光するのはたぶん明後日になるけれど、街の規模を把握しておくにこしたことはないから。ついでに夕食のレストランも見繕っておこうっと。
残念ながら雲が多くて、夕焼けも夕陽も見られなかった。雲の中がほんのりオレンジがかっているみたいだけど……
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さすがオフシーズンなだけのことはあって、こんなに気持ちのいいプロムナードを歩く人が誰もいない
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かなり暗くなってきたけれど、相変わらずほとんど歩く人を見かけない。この辺りは風がめちゃくちゃに吹いていて、散策というよりは突き進んでいく感じ
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海風がかなり強い。たくさんの波が立ち、泡立つ海。でも全然寒くない
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ちょっとした公園の中にとても存在感のある樹があった
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寒くはないけれど縦横に海風の吹きまくる遊歩道を歩く間、すれ違ったのは自転車に乗った少年ひとりと女性二人連れの中国人観光客だけ。
海辺の道が終わるあたりに小さな公園のようなスペースがあって、地元の子供たち数人がサッカーをして遊んでいた。一人の子に時刻を尋ねられたので腕時計を見せてあげる。彼らの門限が何時なのかわからないけれど、もう1ゲーム出来るみたい。夕ごはんギリギリまでみんなで公園で遊ぶというようなことは、今の日本の子供たちの間ではもうないことなんだろうね。
もう閉まっていたけれど、公園には小さなアクアリウムもあった。
旧市街の小径に入ると風は一気に遮断された。嘘みたいに穏やかだけど、やっぱり人は歩いていない。イタリアのレストランがオープンするのは20時頃。いろいろな施設やショップなどは閉まってしまい、ディナーには早い18〜19時頃は街が一番閑散としているのだ。
日の長い夏ならばそぞろ歩く人たちやテラス席で食事前の一杯を楽しんでいる人たちで賑わっているのだけど、今の季節は本当に誰もいない。オルティージャ島の旧市街の中心であるドゥオモ広場 Piazza Duomo に出た。カターニアのドゥオモ広場を囲む建物群は黒っぽい色だったけど、ここシラクーサのドゥオモやパラッツォは石灰岩なので真っ白だ。同じようなバロック様式の建造物でも素材が違うとこうも雰囲気が変わるとは。
まだ18時半になっていない時間、ドゥオモ広場のこの閑散ぶりったら!
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夏であれば、ビールなど飲みながら夕食前のひとときを楽しむ人々で埋まるであろうカフェのテラス席も、みごとに無人
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ドゥオモ広場の敷石は真っ白で、磨かれたようにつるつるとしている。宵闇の空の下、ライトアップされた壮麗な建物が真っ白に浮かび上がり、路面に映る灯りが艶々として、とても綺麗。ここに来る前にに私が見たこの広場の写真には、どれにもたくさんの人があふれていた。Googleのストリートビューでこの場所を見ても、大量の観光客の姿がある。ここは常にたくさんの人を集める場所なのだ。それなのに、こんなに綺麗な光景なのに今ここには私を含めて10人足らずの人しかいない。なんて素敵な独り占め状態!
しばらく広場の景観を楽しんでいたが、いったん宿に引き上げることにした。だってもう眠くて眠くて……。でも今日は絶対に海の幸のディナーを食べたい。しっかり美味しく味わうためには一休みして万全の状態で臨まなくちゃ!
海の幸ディナーを存分に堪能する
いったん部屋に戻る道すがらに、今晩のディナーの店に目星はつけておいた。1時間ちょっとは休憩できるのだけど、うっかり仮眠してしまったらそのまま本格的に眠り込んでしまいそうな気がする。今日はちゃんとした食事がしたいもの。せっかく海沿いの街にいるんだから、海の幸を堪能しないでどうするの! それに今日のお昼は激甘カッサータとアランチーノだけなんだから、もうお腹ぺこぺこだもん。
ベッドで身体を横たえはしたもののとにかく眠らないように頑張り、ちょっと早めではあるけれど目当てのレストランに向かうことにした。ちゃんと予約しておけばいいのだけど、ひとり客の私がテーブルをひとつ占領してしまうのは、お店に対して申し訳ないなあと思ってしまうの。私がギャル曽根ちゃんだったらテーブル単価を上げてあげられるだろうけど、そうもいかないし。だから、なるべく開店直後に入店して早めに出て来るつもりでいる。
ドゥオモ広場に続くカヴール通りという細い小径には、感じのよさそうな小さなレストランやトラットリアがたくさん集まっていて、目当ての《La Tavernetta da Piero》という店は、その中ほど辺りにあった。19時50分くらいに行くと、すでに2組ほどの客がいた。ところが、空いているテーブルも全部予約でふさがっているのだと、気の良さそうな親父さんは申し訳なさそうに言う。21時過ぎなら席は用意出来る、とも。えーー! これから1時間以上も待てないよお。どうしよう? 他のお店探すしかないのかな………
オフシーズンの今、シラクーサのレストランは3分の2が店を閉めているのでそもそも選択肢が少ないのよ。まあ、この時期に開けている店ならそんなにとんでもないものは出さないとは思うけどね。ピーク時には海水浴場の海の家<激xルの店でも客はバンバン入るのだろうから、適当に入ってツーリストメニューなんか頼むと酷い目に遭う可能性も高いんだろうな。イタリア通の友人に奨められたレストランに行ってみてもいいけれど、私の宿からはちょっと遠いのよね……。
「もしよかったら、妹夫婦がやってる2号店が近くにあるのでそっちに行く?」ほんと? 他の店を探すのもちょっと億劫なので、ありがたくその提案に乗ろうかな。
「じゃあ、この子についていって」親父さんの甥っ子らしき7〜8歳の少年が店まで案内してくれた。ほんの10m程度しか離れていなかった。気の良さそうな親父さんの1号店は10席程度のこじんまりした店だったけれど、こちらはずいぶん広い。1号店であぶれた客の受け皿にしているようで、私の後にも少年や親父さんが何組かの客を案内してきた。
隅っこだけど店内が全部見渡せる落ち着ける席に案内してもらった。
まずは前菜に、インサラータ・ディ・マーレ。直訳すれば「海のサラダ」だけど、日本人の想像するシーフードサラダとは別物だ。サラダといっても野菜はいっさいない。登場したのは直径30cmの皿にてんこ盛りの「ミックス魚介蒸し」だった。一瞬「うへっ、すごい量……!」と思ったが、ムール貝やアサリは殻の占める量も多いし、魚介なら肉に比べて対処しやすいので、なんとかいけるかも。
これで一人前の前菜、海の幸のサラダ=Bあさり、イカ、ムール貝、ぶつ切りカジキマグロがてんこ盛り。レモンの風味がとても効いていて、パクパク食べられる
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濃厚な磯の香りが口いっぱいに広がるウニのリングイネ。ハーフポーションでこの量だけど、1人前でも余裕でいけたかもしれない
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食べ始めてみると、「なんとかいける」などというレベルではなかった。これは「めちゃめちゃいける」! 白ワイン蒸しなんだろうけれど、たっぷり使われたレモンがとても爽やかでオリーブオイルの香りもふんわり。少し薄いかなと思うくらいの塩味がかえって魚介の旨味を引き立てている。思わず「なんて美味しいの……」と呟いてしまった。食べながらもにま〜〜〜と顔がほころんでしまう。そこからはもう一心不乱でパクパクパクパク。
お次はウニのパスタ。量が心配でハーフポーションでオーダーしたけれど、日本での一皿ぶんはある。でも、これならなんとかいけそう。この店ではスパゲッティではなく、リングイネを使っていた。スパゲッティよりちょっと太くて楕円形の切り口でモチモチしている。これもまた美味しかった。
ウニとオリーブオイル、少量のガーリックと塩胡椒のみのシンプルな味つけ。生クリームはいっさい使っていないので、濃密な磯の香りがガツンと口中に広がる。なのに、とてもクリーミー。実はウニのパスタって南イタリア人と日本人しかオーダーしないんだって。確かに「臭い」の一歩手前の強烈な磯の香りは、北イタリアや他の国の人たちには苦手なものかもしれない。いや、私にはこの磯臭さが何ともいえないのだけどね。日本のウニクリームパスタは生クリーム味過ぎる! まろやか過ぎる! でも、一番の理由はこんなにたっぷりのウニを使っちゃったら採算が取れなくなっちゃうってことだろうけど。ここでもウニのパスタは若干高め。といっても、他のパスタが€9〜€10のところ、€12と、そんなもんなんだけど。
魚介のエキスがたっぷりしみ出したワイン蒸しの汁もウニソースも全部パンで拭きとって、さらにはグリーンサラダまで追加して、すべてペロリと完食した。さすがにデザートは無理かな。食後にカフェをもらって€26。ごちそうさまでした!
もともと眠くて仕方なかったのに、満腹になってワインも2杯飲んで、もう襲ってくる睡魔に抗えない。それでも想像以上に美味しかったディナーに満悦した私は、スキップせんばかりの上機嫌で部屋まで帰った。B&Bはエントランスもラウンジも灯りが落とされてひっそりしている。私の他の泊まり客はいるのかいないのか、いたとしてもまだ夕食から戻ってないんだろうな。
とにかく眠くて眠くて。シャワーを浴びる気力もなく、寝間着にだけ着替えてベッドに倒れ込んだ。服を脱ぐ時にジーンズにつけておいた万歩計の数字だけ見る。31193歩。わー、3万歩超えてるぅ……そう思った瞬間にはもう眠りに落ちていた。
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