Le moineau 番外編 - ヴァル・ディ・ノートのバロック都市めぐり -

       
 

スッキリ目覚めて、景観を楽しんで、朝食も楽しむ

今朝の目覚めは6時少し前だった。旅行も6日目になって、じんわりと身体に疲労も蓄積されてきたみたい。でも目覚めはスッキリしている。現地時間に適応しつつあるけど、明日はもう帰国日なのよね……。
とりあえず起き上がってベッドからバルコニーまで直行し、大階段を見下ろし、階段越しの街の風景を眺める。日の出時刻はまだもう少し先だけど、空は白んできている。なんとなく今日は綺麗に晴れそうな予感。

あたりが明るくなってきた頃のバルコニーからの眺め。階段の一番下まで見通せる

階段の上方向を眺めると、鮮やかな装飾タイルがハッキリ見える

裏手のセレクトショップに併設されたバールには、たったひとりの客である私のためだけに朝食が用意されていた。オレンジデニッシュとレモンケーキ、大きなグラスにたっぷりのブラッドオレンジの生ジュースがテーブルにセッティングされている。バーカウンターの上には、チーズが3種類、ハムとサラミが1種類ずつ、ヨーグルトが何種類か、フルーツがいくつか。ひととおりを少しずつ取り分けてもらう。それから、ご主人が丁寧に淹れてくれるカプチーノ。

いわゆる普通のパン≠ヘなかったので、ご主人お奨めのピスタチオのパイをいただいたけれど、これがまあ!超絶美味なこと!!! 果たしてパイと呼んでもいいものか──手に持った感じはずっしりとしていて、外側の皮はサクッと層にはなっているもののとても薄い。重いのは中身の大部分がピスタチオのペーストだからだった。ペーストというよりはねっとりとした硬めの重量感があるピスタチオ餡≠ナ、見た目はうぐいす餡にそっくり。
で、味はというと、結構これが和菓子の餡によく似ていて、あっさりとした甘さとピスタチオの香ばしさが口内に広がる。うぐいす餡に松の実や胡麻などのナッツっぽいフレーバーを加えたらこんな感じになるかも? これさあ、日本で「ピスタチオもなか」とか「ピスタチオまんじゅう」として売り出したら、大ヒット間違いなしな美味しさなんですけど! でも、日本でのピスタチオの値段を考えると、こんなにたっぷり使ったらコストパフォーマンス悪くて無理そうね。

甘いパンやケーキばかりだけど、とっても美味しい朝ごはん。一番右にあるピスタチオのパイはそれはもう絶品! 絞りたてのブラッドオレンジも美味。生のオレンジももちろん食べる。旬だもん

私が「ピスタチオもなか」を大絶賛しまくったので、ご主人は嬉しそうに「おかわりあるよ」ともう1個出してくれる。えっ! さすがにおなかいっぱいだよ。おやつに貰っていくことにすると、奥さんの方が「チョコレートのも美味しいのよ。持ってけば?」と、チョコレートパイも一緒に包んでくれた。いや、これはおやつにちょっと……という量じゃないでしょ。今日のお昼ごはんは自動的に決定したな……。

階段の町の観光は階段から始めよう

今日は丸一日カルタジローネ歩きに費やす予定。バスや電車に乗って移動することもなく、この小さな町を二本の足でただただ歩き巡るのよ。

まずはこの町の観光の目玉のひとつ、142段のサンタ・マリア・デル・モンテ大階段 Scala di Santa Maria del Monte、通称ラ・スカーラ La Scala をしっかりきっちり見なくては!
大階段は、踏み石部分はエトナ山の溶岩で出来ていて、垂直部分に一段一段違うデザインのタイルが貼られている。そもそもカルタジローネも上の旧市街と下の新市街に分かれていて、そのふたつを繋ぐ目的で17世紀初期にこの階段が造られたそう。142段に整備されたのは19世紀も半ばのことで、陶器のタイルで装飾され始めたのは戦後の1954年になってから。ふーーん、この状態になったのって、まだ60年ちょっとのことなんだ……。

階段は南東方向に向いているので、午前中の早い時間には太陽光が真正面から当たる。正午頃には半分近くに建物の影が落ちてしまうのだ。この町を訪れる観光客の大部分は、カターニアなどからの日帰り客かツアー途中に1時間ほどの立ち寄りなので、9時前なんて時間帯には地元の人と宿泊客しかいない。さらにはシーズンオフの2月。人がいなくて太陽光がバッチリのうちに階段をしっかりつぶさに見る──そのために私はここに2泊するのだよ。早朝でも夜中でも部屋から階段を眺められるし、一歩出れば階段の途中だし、最高なことに今日は雲ひとつない晴天だ! マーベラス !!

大階段に面している部屋の入口はこんなに可愛らしい。扉上のバルコニーも私の部屋のもの。1階にひとつ2階にもうひとつ、角位置のバルコニーがある

B&Bの建物の脇にちょっとしたスペースがあって、ショップ&バールの入口がある。夏場はここにテーブルを並べるのかな?

私の部屋は階段の中途にあるけれど、きちんと一番下からスタートしたい。だって大部分の人は、最初に真正面から階段に対面するわけでしょ? 同じ感動を味わいたいんだもの。そのつもりで昨晩の到着時も、ディナーのための行き帰りにも、タイル装飾には視線のピントを合わせないようにしていたの。だから今もあえてタイル装飾は見ないように一気に駆け下りた。階段のステップが高いので、駆け下りると膝ががくがく。
階段にタイルが貼られたのは60余年前だけど、タイルのデザインは10世紀から20世紀の幅広い時代に渡るそう。つまりはカルタジローネの陶器の歴史を具現化したものでもあるわけ、この階段は。

「サンタ・マリア・デル・モンテの階段」という説明書きが書いてある。陶器の町にふさわしく、支柱も台座も全部陶器製。さーて、改めてここから登り始めますよ……と!

下の方だからといって一番時代が古いとは限らないのかな? それは不明だけど、このあたりの絵柄には、カルタジローネ陶器の基本色の青+黄+緑が使われている

やや模様がこみいっているものと単色のシンプルなものと混在しているので、やっぱり時代順ではないのかな。基本的に幾何学的だったり蔓草模様だったりの「パターン」のもの

茶色っぽい色が使われ始め、模様だけでなく具象的な「絵柄」が登場し始める

このあたりは全体的に青みが勝っているものが多いのね

上に近くなってくると差し色で赤色が使われ始め、赤の発色もよくなってくる。焼成技術の問題か、絵付顔料の問題か……

一番上の数段には現代的な幾何学模様も登場してくる。赤色も多く使われている

老人が両手に水のボトルを下げて運んでいた。階段の町で暮らすのは大変ね

ここを訪れた多くの人がやると思われる「すべてのタイルの絵柄の撮影」を私も行った。デジカメ時代の現在であればこそできることね。フィルムカメラだったらフィルム代と現像代が怖くて出来なかったわ(^^;)

階段を登ったら、今度は降りなくてはならないのだ

ようやく142段を登りきった。撮影のために屈め気味にしていた腰がちょっと痛い。軽く腰をトントン叩きながら背中を伸ばして、真正面のテラスのタイル画を振り仰いでみるが、この絵はあまり心に響かなかった。偏った私見なのだけど、タイル装飾の絵は少しばかりデッサンが狂ってる稚拙なものの方が味≠ェあると思っている。ポルトガルでアズレージョと呼ばれる青一色のタイル絵を見た時にそう感じたの。スペイン人の画家にはゴヤとかムリーリョとかミロとかピカソとかダリとかたくさんいるけど、ポルトガル人には著名な芸術家は少ないでしょ。つまり、あまり絵が巧くない民族ってことになるけど、その稚拙さがタイル絵だと何ともいえない味わいになるのだ。
まあ、つまり、あれだ。イタリア人の描く絵はタイル絵にするには巧すぎる≠チていうことかな。私個人の見解では、ね。

崖の上のサンタ・マリア・デル・モンテ教会 Chiesa di S.Maria del Monte を下の町と繋ぐための階段なのだけど、教会は階段正面ではなくて登りきった右横にある。タイル絵のあるテラスと前階段を持つこの建物は、聖アゴスティーノのサレジオ会修道院だったもので、さらに中世以前はカルタジローネ城塞だった場所だ。
ここまで登るのは大変だけど、テラスの上から大階段越しに見下ろすカルタジローネの町の景観はみごとだ。私は部屋のバルコニーから何度か見ちゃってるけど、駅やバスターミナルからこの町に入って、階段下正面からアプローチしてきたら、感動はかなりのものだろうと思うわ。

サレジオ会修道院だった建物の前にはタイル絵の装飾が施されていた。手すりの装飾も陶器製

バロック様式ではあるものの、意外に装飾も地味な外観のサンタ・マリア・デル・モンテ教会

階段てっぺんからの眺望は感動モノではあるけれど、そう長いこと眺め続けていられるものでもない。せっかく登ったからには展望以外にも観光らしきことをしてみたいのだけど、旧サレジオ修道院もサンタ・マリア・デル・モンテ教会も内部見学ができない。じゃあ、登ったけどもう一回降りるとするか。さっきはあえて周囲を見ないようにして下ったから、今度は階段両側に店を連ねる陶器屋さんでも覗いて降りて行こうかな。……と思ったけれど、この時間ではまだどこも店なんか開けてやしないのだった。

結局、またも一気下りすることとなった。約100段を駆け下りて、142段を腰屈めて登って、再び142段降り……なんだかすでに足腰ガクガクだわ。
もちろんその時は、この日一日で階段を何往復もすることになるとは露ほども想像しなかったわけだけど。

NHKのロケに遭遇!

階段下のムニチピオ広場 Piazza Municipio を通り抜け、ドゥオモのあるウンベルト広場 Piazza Umberto まで一気に突き進んだ。ムニチピオ広場にもシチリア爺さん軍団は集まり始めていたけれど、ベンチがいくつもあるウンベルト広場にはさらに大量の爺さんズがひしめいていた。この町では集まる場所が限定的なのか、それとも今日が暖かな快晴だからかは不明だけど、これまで見てきたどの町よりも爺さん密度の高い広場だった。

足腰ガクガクだけど休めるベンチなんて余ってないので、とりあえずカルタジローネ大聖堂 Cattedrale di Caltagirone(Duomo di San Giuliano)の正面ファサードなんかを眺めてみる。これまでさんざん見てきたバロック様式だけど、今までのどの町よりあっさりめの装飾で地味な感じ。ファサードデザインは地味でも、さすが陶器の町のドゥオモ、クーポラと鐘楼の屋根は陶器製だ。今日は太陽が明るいのでキラキラがよく映えている。双眼鏡で見てみると、鐘楼の時計の文字盤は陶器で、ぐるりと12個の壺が嵌め込まれている。うわ〜可愛い!

少し距離をとって真正面から大階段を俯瞰してみると、その高さと勾配とを改めて実感する。でも、もともと崖上の教会へのショートカットだったんだものね

ドゥオモの鐘楼とクーポラ。陶器製の丸屋根が太陽にキラキラしている

ズームでよく見てみると、鐘楼の時計の文字盤部分には陶器の壺が埋め込まれている! この可愛さは私のツボにはまった。壺だけにね(^^)

広場のベンチがすべて爺さん軍団に埋め尽くされている。写真では切れている右側にもベンチがいくつかあって、そこも爺さんで……

しばらく双眼鏡で眺めるマクロな世界に没頭していて、ふと振り返ると広場の爺さんズはさらに増量していた。爺さんたちの真ん中にあるのは……TVカメラ? カメラを持っているのはアジア人男性で、爺さんズと話をしているのもアジア人みたい。何かのロケ? でもTVのロケってもっと大人数で仰々しいものじゃなかったっけ。
私は遠巻きにしてしばらく観察した。どうやらタレントや俳優の旅ルポではなさそう。それらしき人がいないし、カメラは爺さんズに向いている。爺さんのひとりがインタビュアーらしき女性に何かをまくしたてていて、隣の爺さんたちが喋ってる爺さんの肩をバンバン叩いて笑ったりしている。そのうちに数人で肩を組んで即興の唄らしきものまで始まった。うん? こういう作りの番組って……それから、あのちょっと特殊な形状のカメラは……わかった! NHKの『世界ふれあい街歩き』だ! 私の大好きな番組で、たぶん放映されたものの90%以上は見ている。わあ〜〜、ホントにこうしてロケしてるんだあ!

>> 『世界ふれあい街歩き・カルタジローネ編』は2016年4月26日に放映された。私が目撃した部分はカットされることなくちゃんと放映されていた。その後はもう遭遇することはなかったけれど、内容を見る限りでは彼らのの歩き回った箇所と私のそれは、かなりの部分で重なっていた

その後ちょっとだけ路地を一巡して広場に戻ると、爺さんズの撮影を終えたスタッフが道端で打ち合わせしているところに出くわした。ロケ隊といっても、カメラマンと音声さんとディレクターさんの3人だけ。タレントさんがいなければ、スタイリストやヘアメイクも、照明スタッフも事務所マネージャーも同行不要だもんね。さっきインタビューしていた女性は現地の通訳さんかな? どうやら撮影交渉に行っているのを待ちながら段取りだてしているらしい。思った通り、ある程度出たとこ勝負的に作ってる低予算番組みたいね。そこが自分で迷いながら歩いている感覚で面白いんだけどね。「大ファンなんですッ」って話しかけちゃえばよかったかな。

橋を渡り、公園を抜けて、町の入口へと逆行していくのだ

ウンベルト広場を離れ、町の大動脈ストリートにしてはささやかすぎるローマ通り via Roma を道なりに南下していく。ローマ通りは緩やかなカーブを描いていて、ほどなく立体交差した橋となる。このサン・フランチェスコ橋 Ponte di San Francesco は、カルタジローネの町を形成している3つの丘のうちふたつを繋ぐ目的で架けられたそう。カルタジローネって起伏の激しい町だったのね。階段や橋で繋がれる前までは、いちいち大回りして移動しなくちゃならなかったってことか……。

橋の上の道路は舗装が継ぎはぎデコボコなのに、橋の両側には陶器の装飾が施されていて、とても綺麗。

なんということのないただの連絡橋が、陶器装飾されているだけでとても素敵になる

タイルに絵付けしたのではなく、レリーフ状に成形して色付けしたもののようだ

橋を渡った先の道からややそれた場所にサン・フランチェスコ教会 Chiesa di San Francesco があるけれど、内部見学は後回し。繊細な彫刻のバルコニー装飾を持ったサンテリザ館 Palazzo di Sant'Elisa、かつての見晴らし台だったトンド・ヴェッキオ Tondo Vecchio も横目でかすめるだけにとどめて、とにかく突き進んでいくと、市民公園 Villa Comunale の北側入口に到達した。アールヌーヴォー様式の立派な正門をくぐって、広々とした園内を散策する。イギリス庭園式の設計のようで、広々した園内の草花や樹々はあまり作りこまれず自然な感じに整えられている。いたるところに素焼きのオブジェがあるのはやはり陶器の町ならではね。

2月とは思えないほど緑の濃い市民公園のエントランスには、巨大な素焼きの壺が並んでいた

園内にはあちこちに焼き物だらけ

公園の一番の高台にある音楽堂。広場のまわりをぐるっとベンチが取り囲んでいる

音楽堂の東屋には当然、タイル装飾が施されている

艶やかなタイル装飾を施された音楽堂のある広場は公園内で一番の高台らしく、その先には林の中を辿りながら下る散策路がいくつか枝分かれしている。適当にうねうねと巡っていると、ローマ通り沿いの出口に着いた。鉄道駅やバスターミナルから歩いてきた人たちが最初に目にする街の入口≠セ。公園の外側には自動車道からは一段高く設えてある遊歩道が沿っている。よし! 初めて訪れた人の気持ちになって、改めてここからカルタジローネにアプローチしていこう。

遊歩道は敷石も整えてあって歩きやすい。道路を区切る欄干の上は、陶器の植木鉢と街灯で交互に装飾されていて、特に植木鉢は描かれている絵がひとつひとつ異なるので、いちいち覗き込んでいくのがとても楽しい。植木鉢の絵は正確には半立体のレリーフで、これがまた小学生の粘土細工レベルの稚拙さで、だからこそ素朴でなんともいえない味わいがある。そうそう、こういうのはちょっとヘタクソなくらいの方がいいのよ〜。

遊歩道の欄干には陶器の街灯と植木鉢が交互に並んでいる

植木鉢には町の人々の暮らしが描かれていて、ひとつひとつ全部違う。これはおばさんがパンを焼いているところかな

陶器博物館の表玄関は劇場風の造りで一見の価値あり! でも、今はここからは入れなくなっているので要注意

遊歩道を伝っていくうちに突然、陶器でできた劇場風のゴージャスな建物が現れた。テアトリーノ Teatrinoという通称がついていて、州立陶器博物館 Museo Regionale della Ceramica の表玄関になっている……とのことだが、現在はこの入口は閉鎖されている。割と最近のことみたいだけど、私はそれを知らなくて、鎖が渡されて閉ざされている状態に戸惑った。裏側から入るのかしら……? とりあえず公園入口まで戻ってみよう。

博物館に辿り着けない!!!

私は時々、根拠なき思い込みでずんずんと突き進んでしまう癖があると前に書いた。今回の旅でもそれは例外でなく、シラクーサの考古学公園からの帰り道であやうく遭難しかけたわけで……。
「こっちだ!」と根拠なく思い込んで突き進むことはしばしばだけど、逆に「こっちじゃない!」と決めつけてしまうこともあるの。その悪い癖が出た。
公園入口の門の脇には陶器博物館の大きな立て看板がある。門を入ると左側に下り坂の小道があって、旗やのぼりがいくつも並んでいる。どう見てもこの小道が入口だってわかるし、公園内での位置関係を考えてもここに決まってる。それなのになぜか私は「この小道は違う」と、頭の中から除外してしまった。ホントに「なぜか」としか言いようがないのだけど。

そのまま私は馬鹿みたいに園内をぐるぐる歩き回った。さすがに林の中の散策路方向には進んでいかなかったけど、音楽堂のある広場を抜けてUターンしてまた戻ってきて、小道の旗が視界には入ってるくせに再び逆方向に巡って音楽堂の広場に出て……今にして思えば阿呆の極みだ。
広場と公園門との間を1周半し、いったん公園外に出て、陶器の遊歩道を伝ってまた園内に入ったところで意を決し、植木の手入れ作業をしていた二人の庭師さんに博物館の場所を尋ねた。ガタイのいい若い男性とベテランぽい爺ちゃんだ。若い男性の方が手を止めて「ついておいで」と案内してくれた。入口の方に戻っていく。え? やっぱりこっちなの??

ずんずん歩く彼の三歩後ろを楚々とついて歩いていると、不意に「チネーゼ?」と尋ねられた。首を振って「ジャポネーゼ」と答える。
彼はふんふんと頷くと、突然に空手か少林寺拳法のような動きをしながら「ハァーーーッ! フゥゥ〜〜ウ!」と息を吐き「○○を知ってるか」みたいなことを言う。えっ? な、何??
「カ、カラテ?」私が日本人だからって、何かのサービス?
「ノ、ノ、ノ。クン、フーッ!」え、わかんないわかんない。彼は拳を突き出したり蹴りのような動作をさらに繰り返す。
「クンッ!フゥーーーッ!! ハァァーーッ!」ああっ、そうか! カンフーか! それは中国のもんだもん、型だけ見せられて一般の日本人にはわかるわけないよ。
「シニョーレ・リンを知ってるか?」カンフーの動きを止めないままに唐突に問われた。は? 誰? リンさんは中国人の苗字だけどたくさんいるでしょ、それこそ世界中に。
「リンは僕の師匠だ。カンフーのマエストロだ。チネーゼの間ではとても有名なんだ」ふーん、本当に中国人の間でも有名な人なのかはともかく、シチリアの小さな町でイタリア人にカンフー教えてる中国人のこと、日本人のオバちゃんが存じ上げているわけなかろうに。

どうしたもんかとリアクションに困ったところで門の手前に着いた。「こっちだよ」と、カンフー青年が指し示す道は……私が勝手な思い込みで除外していた下り坂の小道だった。あまりに端っこに寄り過ぎていることと道の細さから、公園職員専用のものと決めつけていて、下の方にチラリと見えてる建物も公園管理事務所のようなものと思い込んでいた。道の両側ではためいているのぼりには、壺や絵皿の写真がプリントされているではないか! 陶器博物館の旗だよね……、自分の馬鹿さ加減にがっくり。

脳内で自分自身に悪態つきながらも顔だけは笑顔を作って、親切なカンフー青年にお礼を言った。青年は「旅を楽しんでね」みたいなことを言いながら、にこにこと握手のための手を差し出す。え、あの、握手するのは構わないんですけどね、あなたの手には分厚いゴム手袋がはめられたままで、おまけに泥までこびりついているんですけど。一瞬躊躇したものの、私は空気を悪くしない程度には如才なくふるまう処世術をわきまえたニッポンのオバちゃんである。にっこり笑ってお礼の言葉とともに泥つきゴム手袋と握手をした。

陶器博物館は小さいながらもなかなかの見応え

下り坂の小道を下りていくと、まるで昭和の時代の小学校のような四角い建物が見えてきた。昭和の時代といっても、戦前戦後のノスタルジックな木造校舎ではなく、高度成長期の頃の当時の最先端≠フ鉄筋建築みたいなのね。つまり、今の時代にはとんでもなく古臭く裏ぶれている建物。ヨーロッパの古い建物は数100年単位で古いから、こういう40〜50年前の中途半端な古さって、妙な違和感がある。イタリアでは小さな町の小さな博物館や美術館でも、かつての修道院やパラッツォを使うことが多く、展示物の内容はともかくも建物だけには風格があるものなんだけどね。

近寄ってみると、小学校の校舎というよりは、団地の集会所の通用口みたいな感じ。ここがミュージアムであることを示すプレートのひとつすらない、徹底した素っ気なさだ。脇にバケツとモップが立てかけてあるのも思い切り通用口な雰囲気を醸し出している。古い鉄筋建築によくあった、鉄製の枠にすりガラスを嵌めた重そうな扉が3つ並び、すべて閉ざされていたが、Aperto と Open の文字が並列した名刺大の紙がセロテープで止めてある。あ、営業してるのね、よかった。でももうちょっとわかりやすい表示にしてよ。

この日の私は「すべてにおいて、わざわざ違う方を選ぶ」という流れに支配されていた。普通は Open の紙が貼られている扉を開けるものなのに、私はなぜか@ラの扉を開けようとしたのだ。取っ手を引いたけど開かない。押したけど開かない。オープンしてるのにどうしてよ! 自分の勘違いとはいえ、ぐるぐる巡ってようやく辿り着いたというのに、あんまりじゃないの! 私は腹をたて、入口は隣の扉かもしれないということはなぜか%ェの中から除外して、取っ手を掴んでガチャガチャと扉と格闘した。古くて立付けが悪くて扉が固いんだと思ってたのかな。

渾身の力を込めて取っ手を引こうとした途端、扉が内側からすーっと開いた──紙の貼ってある隣の扉が。とても人の良さそうなおじさんが顔を出して「チャオ。入口はこっち。そっちはオフィスだよ」
ああ、またも自分の根拠なき思い込みにがっくり。扉と格闘して開けてもらうのはこれで2回目だ。

>> 後で調べたら、この博物館の創設は1965年だった。その時はピカピカの鉄筋建築だったのね。私の受けた印象は間違っていなかったってことか……。通りに面した劇場風のエントランスが閉鎖されたのはほんのわずか前のようなので、建物横のこの入口が通用口のように感じたのも間違ってなかった。今はもう少しエントランスらしい体裁が整えられていると思う

扉の内部は高度成長期時代の小学校校舎の昇降口のような雰囲気だった。だからこそ逆に、この古ぼけ方が懐かしく感じてしまったりもする。料金は€4。人の良さそうなおじさんはにこにこしながら、順路と簡単な展示物の内容を説明してくれて「いろいろ見られるとてもエコノミーなチケットなんだよ」とつけ足した。

かなり完全な形で残っている古い時代の食器。素朴な絵柄と、釉薬を使わないざらっとした質感がいい感じ

大階段を彩っていていたタイル。初期のものはほとんど青一色で模様も単純だけど、時代を経るにうちに絵柄も緻密になり定番色の青・黄・緑が登場してくる

これは先史時代の焼き物の破片。二周も三周もまわって、逆にモダンな印象がある

このあたりのものは、ゴージャスを通り越してちょっとゴテゴテしすぎだわあ……

超リアルなテラコッタの人形。赤ちゃんを脇に抱えた女性ともう一人の女性とが髪をつかんで胸もはだけてのキャットファイト。それを全力で止めようとする人たち

内部は意外に奥行きがあって、展示内容もかなり充実していた。少なくとも陶器やタイル萌えの私にとっては。先史時代から現代までのシチリアの陶器芸術を集めてあって、マジョリカ陶器の技術がどう発展してきたのか知ることができる。
展示のメインは、16世紀から18世紀頃に制作されたカルタジローネの陶器がほとんど。ところどころにパレルモの装飾タイル画などもある。テラコッタの人形の展示品も多く、精密でリアルな造形が面白い。

だけど、せっかく内容がそこそこ充実してるってのに、照明もよくないし、陳列棚にごちゃっと突っ込んだままの展示方法は杜撰で古臭すぎる。もうちょっと上手なプレゼンテーションすればいいのにねえ。でも、あんまりお洒落な空間にならない方がいいのかな、ここは。

それなりに満足して出口に戻ってくると、さっきの人の良さそうなおじさんが「カルタジローネの地図は要る?」と尋ねてきた。小さな町だし時間もたっぷりあるので歩き回るための地図は必要ないけど、観光マップなら記念にもらっておこうかな。軽い気持ちで受け取ると、マップつきの観光パンフとしてはかなり大判のもので、広げると町の鳥瞰図が全面に描かれている。ペンによる細密画で一軒一軒の建物が緻密に記された相当に美しいものだった。あらぁ〜、これは素敵だわ。もらってよかった! 実は観光案内所を見つけられないでいたのよ。

シエスタにどっぷりはまってしまった……

陶器の大階段を下りて登ってまた下りて、NHKロケを見物して、やたら右往左往した挙句に辿り着いた陶器博物館は予想どおりに面白くてしっかり見て……と、かなり濃い時間を過ごしたつもりだったけど、まだようやく正午になろうかというところ。とりあえず旧市街中心部まで戻っていくつか教会でも覗いてみましましょ。

戻りがてらにサン・フランチェスコ教会 Chiesa di San Francesco に立ち寄ってみた。ここは元ゴシック様式の教会で、やっぱり他のヴァル・ディ・ノートの町と同じく1693年のシチリア南西部地震で被害を受けてバロック様式で再建されたもの。再建ついでに後ろに鐘楼とクーポラまで付け足してしまったので、全体的にとても華やかな感じがする。外観は完全にバロックに生まれ変わってしまったけれど、内部の一部と聖具室には13世紀創建当時のゴシック様式が残っているとのことなので、見てみたいと思ったのだ。

扉を開いて足を踏み入れてみると、教会内にはお爺さんがひとり。何やら言いながら私を押しとどめてくる。呂律と滑舌が今ひとつのイタリア語なのでよくわからないけど、どうやら「ダメ」「後で来い」というようなことみたい。ああーー、そうか、昼休みで閉めるのか! カターニアのドゥオモでさえ毎日12時から16時まで長々と昼休みとってたんだもんねぇ。ということは、他の教会も全部4時まではいっさい内部見学できないってことかあ……。
早く博物館を見たくてついつい順番を間違えた。陶器博物館はノンストップでオープンしているので、昼休みの時間帯にここへ行くのがカルタジローネ観光としては効率がよいことになる。まあ、でも今日の私にはたっぷり時間があるんだからゆるゆるいきましょ。

清貧を信条とするアッシジのサン・フランチェスコ教会だけど、カルタジローネにおいては、他の教会よりも華やかな感じにバロック装飾が施されている

この町ならではの陶器製テーブルのバールで小休止。相変わらず馬鹿のひとつ覚えのカフェ・マッキャートで。喉渇いてて写真撮る前につい飲み干しちゃった(^^;)

のんびりとカフェ休憩しながら、先ほどもらった観光絵地図を広げてよくよく眺めてみた。ホントにこの細密画は綺麗だな……パネルに入れて飾りたいくらい。大判の絵地図は町のガイドブックも兼ねていて、裏面には写真もたくさん。その中の1枚、町の外側からカルタジローネ旧市街を遠望した写真にいたく心惹かれてしまった。どのくらい外側に向かって歩いたらこの風景が見られるんだろう? 私はいてもたってもいられなくなってしまった。
バールを出て歩き始めてみたが、町は完全にシエスタの中にある。教会はどこも扉を閉ざしているし、陶器の店も開店休業状態だし、広場に溢れかえっていた爺さんズも一掃したかのように誰もいない。店を開けているのは飲食店だけだけど、シーズンオフのせいかそれも半分以下でしかない。ゴーストタウンみたいになっちゃった。

とりあえず適当に路地を歩き回ってみよう。

緑の丘陵にココロ洗われる

適当にとはいっても、旧市街全体の地形と教会の塔やクーポラの位置関係を鑑みると、あの写真の風景を見るためには、なんとなく西南方向に下って行けばよいみたい。路地の中で行き会う人はほとんどいないけれど、ここが生活圏である確かな証拠はそこここにある。万国旗のように道に掲げられた洗濯物、どこからともなく漂ってくる料理の匂い、窓から漏れ聞こえる食器やカトラリーの触れ合う音。

民家の間の路地をくねくね進むと、路地の隙間から緑の丘陵風景が見えた。私有地を通らなければならないようで施錠された門と鉄柵があり、ここから街の外側≠ヨは出られない。そのまま旧市街を囲む道路を道なりに南下していくことにする。

20分ほどをてくてくと下っただろうか。いっこうに街の外側≠ヨの出口は見つからない。いや、たとえ見つかったとしても、旧市街の塊を遠望できる場所までは歩いてでなんか行けないってことを悟りつつあった。不意に道路沿い外側の建物が途切れて、青々とした丘陵の連なりが目の前に広がった。こうして見ると、カルタジローネの町がいくつもの小さな丘に跨がった起伏のある場所にあるというのがよくわかる。2月にしては濃い緑の中、吹き抜ける風が汗ばんだ額に心地いい。異国でありながらどこか懐かしさを感じ、深い部分で琴線に触れる丘陵の風景──これを見られただけでよかったわ〜〜。いや、決して負け惜しみでなく。

これぞ街歩きの真骨頂、あてどもない路地巡り。さっそく満艦飾の洗濯物に出会った

路地の隙間から垣間見えた町の外側≠フ田園風景

旧市街のすぐ外にはこんなに美しい丘陵が広がっている。マップにあった旧市街遠望風景は、おそらく丘の中腹あたりから? これは、歩いていくのはとても無理!

そのまま道なりに進むうち、左側に石壁で囲われた木々の塊が現れた。たぶん市民公園の南端だ、公園内を辿って旧市街に戻ろう。門があったので中に入る。陶器博物館の入口を求めてさんざん歩き回った公園だったけど、この南端エリアは初めてだった。両サイドに彫像の並んだささやかなプロムナードと小さな噴水がある。彫像といっても、ここでは素焼きのテラコッタなんだけどね。

人っ子ひとりいない公園のベンチでお昼ごはんにした。宿で持たせてくれたチョコレートパイと、オレンジのデニッシュ。麗らかな陽射し、時折吹き抜ける風、ささやかな葉ずれの音、小鳥のさえずり……そんなものが副菜になる。結構ボリュームがあるので十分に満腹した。チョコレートパイもそこそこ美味しかったけど、あのピスタチオパイには到底敵わないな。

プロムナードを抜け、林の中の遊歩道をうねうね登ると音楽堂のある高台の広場に出た。あのカンフー青年を探してみたけれど、もういなかった。お昼休憩中かな、それとも今日はもう上がりかな。

陶器の工房巡りでお土産探し

さて、お土産に陶器を買いたい。そのためにカルタジローネを旅程の最終にしたのだもの。
カルタジローネの陶器店はほとんどが工房を兼ねていて、基本的に一家総出で作って売ってる家内制手工業。伝統的な色柄のもの以外にその店オリジナルの柄や商品があって、つまり一軒一軒でカラーが違う。午前中に街歩きしながら、好みに合いそうな店をなんとなくピックアップはしてあった。幸い陶器店はシエスタで閉めずにノンストップ営業しているみたい。

まずは大階段の下から4分の1くらいの場所に位置する《Branciforti》[WEB]というお店を覗いてみる。何軒もある大階段に面したお店の中からここを選んだのは、絵柄や色使いに優美なテイストが加わっているような思えたから。

外から感じた印象はだいたい合っていて、棚に並んだ商品はどれも素敵。でも何を買おうかちょっと迷った。食器類や花瓶は結構大きくて、持って帰るのは大変そう。それに歳を重ねてくると日々の食事で大皿を登場させる機会はめったにないのよね。

なんとなく店内を見回すうちに、直径5〜6cmの小鉢が無造作に突っ込まれている籠が足元に置かれているのに気づいた。おそらくバラまき土産用なのだろうけれど、1個€5という値段はこういう性格のものとしてはちょっと高めかな。ただ、バラまき用であっても結構しっかりしていてきちんと手描きで絵付けされている。これ、いいなあ。ちょこっと副菜を入れる小鉢としてめちゃくちゃ実用的だわ。3色あるから3個買おう。さっそく選び出そうとすると、手描きならではで、ひとつひとつが微妙に異なっている。私は籠の前にしゃがみ込み、本格的に選別作業をさせてもらった。籠にてんこ盛りするような商品をバカ丁寧に選ぶ私を、おそらく店主らしき中年男性は静かに見守っていてくれた。

階段に面した《Branciforti》の入口。階段沿いには他にも何軒も陶器のお店がある

店の奥の工房で、壺に絵付けしている作業を見学させてもらった。絵付け担当はここの娘さんだそう。全体的に絵柄が優美で柔らかいのは若い女性が描いているせいかもね

次はローマ通り沿い、サン・フランチェスコ橋の手前にある《Ceramiche di Rosy di Natale》[WEB]という店に行ってみる。ここは観光客の集まる大階段およびムニチピオ広場やウンベルト広場から外れているので、集客的にはちょっと不利なんだろうと思う。けれど、外から店内を伺う感じがとてもよさそうなので、街歩きの時にしっかりマークしておいたのよ。

店にいた50代の夫婦は暇だったようで私を大歓待してくれた。ゆっくりと見せてもらい。店内に入ってざっと見渡した感じ、さっきの店とは違うベクトルで素敵な商品がたくさん並んでいる。

商品をゆっくり見せてもらいながら、片言の英語同士でいろいろ話をした。ここも家族経営の工房で、ご主人が成形と焼成を担当し、奥さんが絵付けしているとのこと。カルタジローネ伝統の文様に奥さんなりのアレンジを加えてオリジナリティを出しているそう。
「彼女はアーティストなんだ」ちょっとシャイな感じのご主人が誇らし気に微笑むのが素敵。それを聞いて鷹揚に笑う奥さんは、オカッパ頭に細いメタルフレームの丸眼鏡がちょっと芸術家ふう。これまでずっと奥さんがひとりで絵付けしてきたけれど、最近は娘さんがだいぶ上手になってきて、小皿やスプーンなどの小さなものを任せられるようになったらしい。
……などと、流暢にすらすら会話しているようだけど、そんなことはないのよ。身振り手振り交えての二語文で、時々Google翻訳アプリにお世話になりながらのシドロモドロ交流なの。

あっ、掛け時計や置き時計がある。ダイニングの壁にぴったり合う時計が欲しいと思っていたところなの! なかなかこれぞというものがなくて、炊飯器のデジタル表示で誤摩化してきたけれど、どうやら気に入ったものが見つけられそう。

全体的に緻密な作風のものが多い。特に時計は他の店では作っているところはほとんどないらしい。壺を平べったくしたデザインの時計はオリジナルなんだって

オリジナルの絵柄には何種類かのパターンがあって、さまざまな商品をライン展開している。つまり、テーブルウェア一式同じ絵柄で揃えられるってこと

絵柄と色合いがとても気に入った洗面台と蛇口パネル。持って帰れないし、マンションには取りつけられないけどね

そうだ、時計の他に、母にマグカップを選んであげよう。母ヒナコは2年前に軽い脳梗塞を患ってから物をつかむ力が弱くなって、取っ手のない湯飲みは危ないのだ。今使ってるマグもだいぶ古びてきたし、どうせなら綺麗なカップで毎日のお茶を飲んでもらいたい。
コーヒーをエスプレッソやカプチーノで飲むイタリアでは、デミタスカップばかりでマグカップという商品じたいが少ない。皆無なわけではないけれど、おそらくはビアマグとして使うものなのかな? ここでGoogle先生に大活躍いただく。「手の不自由な母のために安定がよくて、でも重くなくて、カップのデザインや絵柄が洒落てて、でも取っ手が持ちやすくて……そんなマグカップを探しているの」こういう微妙な希望は二語分では無理だもん。

直径20cmほどの丸皿の掛時計とマグカップで合計€78だった。イタリアの陶器は焼きが甘めで、質の割には高めの値段なのだとは思う。でも、こういうものは出逢い≠セし、旅の思い出も込みだからね。キッチンの掛時計はきっと毎日眺めるし、そしてそのたびにご夫婦との会話やシャイな笑顔をきっと思い出すだろうから。

しばしの小休止で再起動!

さて、とりあえずは重たい荷物を部屋に置きに戻ろう。結構歩き回ってしまったし、意思を伝えながら買物するのもちょっと疲れた。ついでに小一時間休憩してから出直そうかな。本気で残りの街歩きを──つまりは旅のフィナーレを堪能するためには少し英気を養っておかなくてはね! ただ、部屋に戻るためには大階段を約100段登らなくてはいけないのだけど……。

部屋に入るなり靴と靴下を脱いで足を解放した。2階のバルコニーに座ってハーブティーで一服していると、下から日本語の会話が聞こえてくる。日本からの団体ツアーだ。カルタジローネには階段だけ見に立ち寄っただけみたい。
中高年から初老の人たちばかり20人くらいいたけれど、ほとんどの人が登るのを諦めて下3分の1くらいで引き返していた。「もうアタシ先に戻るわあ〜〜」などの声が下から聞こえる。階段てっぺんからの展望は素晴らしいのになあ、勿体ないなあ……。

おじさん二人が私のいる高さまで登ってきていたが、ひとりは青息吐息になりながらここで戻ると言っている。もうひとりのおじさんは一眼レフを2台持ちしていて、明らかに趣味の写真のために機材に金銭を注ぎ込んでいるという感じの人。機材も重そうだけど、撮影せずに戻るとかそんなこと出来ないわよねぇ。案の定、頑張ってひとりで登り続けるようだけど、もう息も絶え絶えで、真上から私が見下ろしていることなど気づいていない。

どうやら階段見学には20分くらいしか時間が割かれていないらしい。それっぽっちじゃ階段登って展望楽しんで、左右に並ぶ陶器店を覗きながら下りていくとか、とても無理でしょう。ツアーって楽なんだか大変なんだかわかんないなあ……そんなことを思いながらハーブティーを飲み干し、再び見下ろしてみると、カメラおじさんが下へ向かって通過するところだった。なんとかてっぺんで景色を撮ったのね。階段とっても急だからね、慌てて転げ落ちないように気をつけてね。

実質の休憩時間は30分程度だったけれど、すっかり元気がよみがえった。再び街歩きに戻ろう。今度は町の一番北側に行ってみよう。北側は、丘と斜面にまたがるカルタジローネの一番高い部分。そう、私はまだ街全体を俯瞰するという野望を捨ててないのよ(^^)v

旧市街巡りは小さな発見がいっぱい

大階段を一番上まで登り、後は適当に目につくところから坂や階段を登っていくと、広い道路に出た。旧市街を取り巻く一番外側の道路であり、カルタジローネの町全体の一番端っこということになる。その証拠に、反対側に広がる丘陵には建物の一軒もない。旧市街南側の丘陵地帯にはぽつんぽつんと民家や農業用の小屋が点在していたけれど、こちらにはなーーーんにもない。もちろん街全体の俯瞰なんて出来やしなかった。まあ、いいや。とりあえず南端と北端両方から確かめたんだから。

また適当に目についたところから街の内側に入っていく。

町の一番北側、旧市街を取り巻くレジーナ・エレナ通り。晴れていればこの丘陵光景の向こうにエトナ山が拝めるはずだった……らしい、と後で知った

壺模様の門扉、陶器作りの職人を描いたタイル絵、陶製の手すりのあしらい、PRO ARTIGIANATO CERAMISTICOの文字……初見で陶器作りの専門学校だってわかる

ダウンを水洗いして干してしまうのも衝撃だったけど、コートもセーターもシャツも黒しかないのにも驚いた。男物、女物、子供物ひととおりあるから、ファミリーで黒ずくめなの?

途中に陶器の専門学校を見つけた。今日の授業は終わったらしく、もう門は閉ざされていて人の気配はなかったけれど。
さらに適当にうねうねと路地を巡る。ところどころで出会う小さな教会は、建物は古びているけれど教会名を記したプレートが色鮮やかなタイル製なのは、この町ならでは。

生活の匂いもそこかしこにあるけれど、寂れ荒んだ家もかなり多い。カルタジローネ旧市街の中でも最上部に近いこのあたりは、暮らすには不便なエリアなんだろうなとは思う。そんなことを思いながら歩いていると突然、鮮やかな色の塊が目に飛び込んで来た。何軒かの建物の壁いっぱいに絵が描かれていて、そのすべてに「ART STREET CALTAGIRONE」の共通ロゴが添えられている。長さにして20m程度の狭い路地、打ち捨てられた住居の並ぶ廃屋ストリートに花が咲いたようだった。たぶん、若いアーティストたちが作品発表の場を兼ねて町のために描いているのね。日本でも、地方のシャッター商店街でシャッターに絵を描くなどの試みがされているのをTVで見たことある。

こういうのに出会えちゃうから当てずっぽうに歩く路地巡りは楽しいのよねぇ。もちろん何にも出会えることなくただただ疲れるだけのこともあるけどね(^^;)

階段てっぺんのサンタ・マリア・デル・モンテ教会内部にようやく入れた。かつてのドゥオモだった教会は、白と水色という色合いのせいか派出はでしさはなく清楚な雰囲気

「ストリート・アート・カルタジローネ」の作品たち。廃屋だらけの小道が明るくなる感じ

アートストリートを抜けた先で家並みが途切れ、不意に展望が開けた。ほんのり薄ピンクに染まり始めた空の下、ところどころに灯りの点り始めた家々の連なり、ドゥオモのクーポラのシルエット、その先に穏やかに広がる丘陵風景……。ああ、今日は穏やかに晴れて気持ちのいい一日だったなあ……。私はその場で足を止め、しばし感慨にふけった。

ちょっと開けた高台から適当に進むと、サンタ・マリア・デル・モンテ教会 Chiesa di Santa Maria del Monte の真正面に出た。つまり大階段の真上だ。ああ、戻ってきたあ!

最後の一日は穏やかに暮れていく

カルタジローネのほっつき歩きはこれでほぼ終了かな。狭い範囲を朝から夕方までかけて縦横無尽に網羅しきったという実感がある。残すは最後の晩餐≠フみ! レストランのオープンまではまだしばらくあるけれど、かなり疲れてもいるけれど、ディナーの時間まで部屋に引きこもってしまうのは名残り惜しい。

階段に腰掛けてカルタジローネの暮色を味わっていたが、いくら暖かな日とはいえ2月の夕暮れともなればお尻がキッチリ冷えてくる。さすがに耐えられなくなって立ち上がった。うーん、でもまだ名残惜しい。ここから俯瞰できる階段下のムニチピオ広場には人々の姿もまばらになっている。そうだ、爺さんズであふれていたウンベルト広場ももう閑散としているに違いない。陶器に飾られたドゥオモのクーポラと鐘楼を、宵闇の広場越しに見てみよう!

自分の部屋の前の階段に腰掛けて、暮れなずんでいくカルタジローネの街並をずっと見ていた

ドゥオモ内部もやはりあまり派手さはなく清楚な雰囲気。白とクリーム色なぶん、サンタ・マリア・デル・モンテ教会よりは明るく感じる

ホントにこの大階段を何往復していることかしら。
思った通りにウンベルト広場の爺さんズはすべて引き上げていた。でもお目当てだったドゥオモの鐘楼とクーポラは、すでに紺色へと変わりつつある空の中にほぼ埋没しかけていた。なんだあ、ライトアップされてないのね……。まあ、この町の規模とこの時期の観光客の数を考えたら、費用対効果は悪過ぎるもんね。

ドゥオモ内部に入ってみたら、夕方のミサの最中だった。しばし雰囲気を味わってから外に出る。
なんとなくフラフラとサン・フランチェスコ橋まで歩いてみた。橋の手前の陶器店はもう閉まっている。
橋の上から眺めてみた。町の外側の丘陵はすっかり宵闇に沈んでいて、もうほとんど見えない。

ああ、これで私の旅も終わるなあ……。

>> 朝のウンベルト広場で見かけた『世界ふれあい街歩き』のロケ隊とは、あの後遭遇することはなかったけれど、彼らも今日一日この小さな町の中を歩き回っていたことは、2ヶ月後の放映を見てよくわかった。映像はどれもこれも確かにあの日の空気感そのものだったから。
インタビューに応じていた階段沿いのB&Bのオーナー夫婦は、私の泊まったところから10段ほど下の宿の人たちらしかった。階段中ほどの一軒では確かに内装工事をしていて、資材をかついで階段を上り下りするお兄さんとすれ違ったっけ。陶器の学校ではちょうど出てきた下校途中の生徒たちに作品を見せてもらってた。子供たちが鬼ごっこをしているのはあの廃屋ストリートで、バックに鮮やかな絵が写っていた。

ラストディナーも満足、満足!

最後の夜のディナーはどこでいただくか迷ったものの、大階段のたもとの《La Scala》というレストランにした。店名からもロケーションからも観光客相手の店なのは否めないけれど、何度か前を通りかかった感じではそんなに悪い印象はなかったから。だいたいにおいてこの時期にはクローズしているところが多く、圧倒的に選択肢が少ないのだもん。一番人気の店は今日は定休日だし、昨日の店はちょっと気恥ずかしいし、後は近場にこれといっためぼしい店もなくて……。
20時になってすぐ開店直後の店内に入った。まだガラガラ。

昨日のバレンタイン・ディナーでの前菜盛り合わせが楽しかったので、メニューから地中海の幸の前菜盛り合わせ≠ニいうのをオーダーしようとすると、「今日はもう終わった」と言われてしまった。ええー? それは残念!
でも、終わったんじゃなくて、きっと作ってないんだわ。街の様子を見る限りではランチにそれほど混雑したとも思えないし、ディナーでは私がほぼ一番乗りなんだから。だけどコマコマと何種類も作り置きしておかなくちゃならないものね、オフシーズンにはコスパが悪いよねー。
レストラン側の大人の事情はよくわかったけど、とはいえ頭の中はすっかり海の幸≠ノなってしまった。そうそう、メニューを見た時に思ったけれど、ここカルタジローネは内陸の町なのに意外に魚料理が充実している印象だった。そういうわけで前菜には、ムール貝のスチームを注文。

登場したのは、相変わらず日本人の思う前菜の分量の域を超越したてんこ盛りのムール貝だった。クルトンというレベルの大きさではない塊のトーストがいくつも突っ込まれている。早速、貝をいくつか食べてみる。ワイン蒸しかと思いきや、味つけはにんにくとペペロンチーノの効いたトマト風味だった。うーん、やや塩がきつめかな……
塊のトーストを除けながら殻をほじって貝を食べ進むうちに、皿の下には貝の旨味がたっぷりのトマトスープがたくさんたまっていることに気がつく。少し濃いめの塩味と巨大クルトンの添えられている意味をここで瞬時に理解した。ソースをしみ込ませて食べるともう! それが美味しいのなんのって! クルトンだけでは足りずに籠のパンまで二切れも動員してソースをきれいに拭い切った。
……しまった、前菜でかなり満腹しつつある。

まずは突き出しにブリュスケッタが出てくる

陶器やタイルをあしらった内装がなかなかお洒落

てんこ盛りなのには今さら驚かないけれど、塊のトーストが突っ込まれているビジュアルに一瞬ギョッとした

皿の底には貝の旨味がたっぷりのソースがこんなに! 最初は杜撰な大きさに感じたけれど、普通サイズのクルトンに吸わせたのではグズグズになってしまってダメだったわぁ……と、実感

前菜でかなり満たされていはいるけれど、パスタもオーダーしてある。まあ、まだ大丈夫だけどね(^^)
昨日のつけ合わせにあったカルチョーフィがとても美味しかったので、今日はパンチェッタとカルチョーフィのフェットチーネにしてみた。

フェットチーネって確かきしめんみたいな平麺だったと思うけど、出てきたのは手打ちの生麺だった。麺の断面は正方形に近く、ちょっとうどんみたい。大きめにザク切りされたカルチョーフィがどっさり。味つけはクリーム味だけど、パスタと具をあえるために使ってる程度で、クリームソースと呼べるほどの量は使われていない。パスタはかなり弾力がありつつふっくらもちもち、ほんのり甘いクリーム味にカルチョーフィの苦みがなんともいえない。そこにパンチェッタの塩気がキリッと効いている。あら〜〜美味しいわぁ、これ。ハーフポーションに出来ないか頼んでみたけど断られたので、食べきれるか心配していたけれど、これならOKだわ。
でも歯ごたえのあるパスタをしっかり噛むのは疲れるし、やっぱりクリーム味は最後の方には微妙に飽きてくる。前菜でほぼ満腹していたのも手伝って、ちょっと頑張ってぺろりと完食。

えーい、最後のディナーだしデザートももらっちゃおう。ホントはカンノーロの食べ納めをしたかったけれど、焼き菓子はさすがにもう無理。無難につるつる食べられるパンナコッタにしておいた。もちろんエスプレッソも一緒にね。
ラスト・ディナーのお値段は€27。うん、だいたい平均的なところね。

手打ち風の不揃いなフェットチーネはもちもち。塩気とほろ苦さとほの甘さが絶妙にマッチング

外したくなかったので、ドルチェは無難にパンナコッタの絡めるソースがけ。普通に美味しかった

明朝は宿のオーナーが駅まで送ってくれるそうだから、階段を上り下りするのもこれでもう最後だ。私は慈しむように一歩一歩を味わいながら、100段登って部屋まで帰った。……などと言うと格好いいけれど、実際はちょっとほろ酔いだったせいと、太ももがパンパンになっていて持ち上げるのが大変だったせいもある。
最終日、移動することなくカルタジローネ内だけをひたすら歩き回った歩数は33870歩だった。この中には大階段4往復を含んでいるのだ。今日も頑張った〜〜!

 
       

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