Le moineau 番外編 - 緑のハート・ウンブリア州の丘上都市めぐり -

       
 

旅の8日目は幸先良さげに始まった

早めに床について、ぐっすり眠り、きちんと5時半に目覚めた。
今日はチヴィタ・ディ・バーニョレージョへのエクスカーションを予定している。日本でも話題になりつつある "死にゆく町" "天空の町" だ。どうしてもここに訪れたくて、ここへの訪問をベースに日程やコースを組んだのよ。旅の後半に持ってきたのは、アクセスのハードルが高めのところはイタリア国内に慣れてからがいいと思って。現に体調はバッチリ、気力体力充実しまくってる。

チヴィタ・ディ・バーニョレージョに公共交通機関で訪れるには、まずバーニョレージョの町までバスで行く。バスは、ここオルヴィエートとラツィオ州のヴィテルボという町からでているけれど、多くの日本語の情報ではオルヴィエート発ばかり書かれている。ローマ拠点にバーニョレージョを目指す多くの日本人観光客に先んじるために、私はここに泊まっただもん!

乗るのはCotral社のバスで、カヘン広場始発でオルヴィエート駅前を経由して、バーニョレージョまで。バスの時刻は6:20、7:25、7:50で、次はなんと12時台。10時台とかあればちょうどいいのにね。そもそも一日に7〜8便しかないし、日曜日や夏の休暇期間は半分以下に減便される。主に通学のためのバス路線なんだからしかたないかぁ。切符は昨日のうちに駅構内のタバッキで購入済みだし、カヘン広場のどのへんにバスが着くのかもリサーチ済み。

朝食は7時半からなので諦めていたけれど、7時15分頃には朝食室のセッティングはすんでいて、食べてもいいと言ってもらえた。そう言われちゃうとお腹空いてきちゃった。ホントは7:25のバスに乗っておきたかったけれど7:50でもいいか……。柔らかめのパンを選んでハムとチーズをはさみ、オレンジジュースで流し込み、速攻でヨーグルトも食べる。時間ないくせにカプチーノも淹れてもらってしまう。よし腹は満たされた、いざ出発!

10分ほど早めに広場に着いたものの呆然とした。カヘン広場のケーブルカー駅前には大量の高校生たちがたむろしていたのだ。40人か50人はいるかしら……日本の高校生より大人びて見えるけど喋ったり騒いだりしている様子はやっぱりティーンエイジャーのそれ。もしかして、このコたちみんなバス待ってるの??
数台のバスがいろいろくるけれど、みんな車体の色が同じで、Cotral社のものは見当たらない。広場の高校生たちはどんどん増えていく。バスの運転手やケーブルカーの係員に尋ねるものの「んー……Cotralの乗場はあっち」と広場端っこを指差すばかり。だからそこにバスがないんだってば!

そうこうするうちに発車時刻のはずの7時50分は過ぎ、8時になってしまった。と同時に、広場に群れていた高校生たちがわらわらと移動し始め、広場に面した公園の隣の門の中へと吸い込まれていく。あら、ここ学校だったの? 彼らは登校してきて学校の門が開くのを待っていただけだった。
広場はいきなり見通しがよくなったけれど、やっぱりそれらしきバスはない。高校生の群れに埋もれて発車を見落としたのかしら? カヘン広場発は嘘で駅前発なのかしら? ここにいても仕方ないので、ケーブルカーで駅前に降りてみた。もう8時10分過ぎ、Cotral社のバス乗場はがらんとしているので、発車しちゃったってことよねぇ。ケーブルカーのチケット1枚を惜しまずに駅前まで降りていれば確実だったのに、意地汚く朝ごはん食べなければよかったのに……などと後悔しても後の祭り。

バスを逃し、必死に探る代替案

オルヴィエート駅前のロータリーに立ちすくんで私は途方に暮れた。12時台のバスまでオルヴィエートを見てようか……そうなると帰りのバス便のことでまた慌てることになりそうだし……いっそ諦めちゃう? いやいや、だってチヴィタが見たくて来たのに……と逡巡しているうちにハっと天啓のようにひらめいた。ヴィテルボからもバスが出てるんだった! 実は余裕があったら帰りにヴィテルボ経由で立ち寄ってみるのもいいかなって思ってたの。日本語での情報が少ないので除外していたけれど、ここはダメ元でトライしてみる価値はあるはず。急いで検索してみた。

8:59 Orvieto 発、9:25 Atligliano 着。乗り換えて10:00 Atligliano 発、10:40 Viterbo Porta Fiorentina 着。城壁に囲まれた旧市街の北側にある駅だ。うんうん。
次にCotral社のサイトを検索。時刻表では路線番号と発車時刻しか書かれていないけれど、ヴィテルボ10:50発の便があった。12:10と12:30にも便がある。うんうん。
次にGoogle Mapで検索。始点となっているバスターミナルは旧市街の西側外にあり、駅から1kmくらい離れている。ここまで10分で歩くのは無理だけど、バーニョレージョへの道筋や利便性を考えれば、駅近くを通っていくんじゃないかな?
Cotral社のサイトに戻ってバス時刻をクリックしてみると経由地らしきものがいくつか出た。その一番目にVia F.Baraccaとある。
再びGoogle Map。駅の東側にフランチェスコ・バラッカ通りというのが線路と並行して走っている。おお、この通りのどこかにバス停はある! ターミナルから5分後くらいになるのかな……果たして15分でバス停を探せるかしら……間に合わなければ12時台に乗るか……どうしても見つからなかったらヴィテルボの町を観光すればいいんだもん。よし! ここはトライだ!

とりあえずヴィテルボに向かうのだ

出たとこ勝負ではあるけれど光明が見えてきて、急に心に余裕が生まれた私。どうせ列車まであと30分近くあるので駅周辺を散策してみることにした。ちょっと離れてみたら丘上都市オルヴィエートを俯瞰できたりしないかと思ったから。でもこれはまったくの徒労に終わった。

駅から少し歩いた程度では丘の上のオルヴィエート旧市街を俯瞰することは無理だった。相当な高低差のある崖だってことは一目瞭然だけど……

ヴィテルボで15分勝負に集中しなくてはならないので、列車の中ではできるだけぼーっとリラックスして体力温存するようにした。でも、昨日のようにナメてダラけきってしまうのは論外。ちゃんと教訓になったのよ、私だって学習するのよ。35分待ちの乗換駅 Atligliano で外に出てみたけれど、駐車場と民家がちらほらあるだけで、壊滅的に何もなかった。
こんな駅でも、いや、こんな駅だからこそ構内にバールがあるので、私の休憩時の定番カフェ・マッキャートで英気を養いましょ。駅のトイレは施錠されていたので、バールのカウンターで鍵を借りて使わせてもらい、準備万端で2本目の列車に乗る。

車窓には一面の麦畑、麦稈ロールの転がる風景が広がる。これって初夏の風物詩なのね

昨日の修羅場からの学習といえばもうひとつ。外でいろいろ検索したりGPS機能を使うと一気にスマホのバッテリーを消耗するので(消耗が早いのは私のiPhoneが古いせいもある)、今日は充電ケーブルを持参してきた。昨日、テーブル下のゴミ箱の下部にコンセントが潜んでいることを発見したのだ。発見といっても、乗り合わせた青年がスマホのケーブルをつないだのを見て「おおおっ」って知ったんだけどね(^^)
ちょっと見つけにくい位置だけど、新型車両に限らずかなり古い車両でもちゃんとある。学習したので、列車移動では必ず充電を心がけることにしたのだ。

バス停探しチャレンジ、15分一本勝負のスタート!

体力気力もスマホもばっちり充電して、到着5分前から扉前に立ち、足首と膝の軽い屈伸してスタンバイ。まるで号砲を待つマラソン選手のようだわ。列車がプラットフォームに滑り込んでいくと同時に、頭の中には出走前のファンファーレが鳴り響き始めた。Read~~~~~y GO!
扉を開けて飛び降り、競歩さながらにプラットフォームから駅舎を抜ける。ヴィテルボはそこそこの規模の町で、駅前広場にもそこそこの規模のバスロータリーがあったけれど、市内バス専用のよう。この道は線路の西側なので、どこかで反対側に渡らなくっちゃ。Google Mapで見た感じでは道が線路を跨いでいたので、とりあえずそちらの方向に走る。情報を探るために目だけはキョロキョロさせて。
あっ、イタリア名物の暇な爺さん3人連れがベンチに座ってる! 確認しておこう。
「すみません! バス停どこ? Cotralの! こっち? あっち?」幼稚園児レベルだけど通じた。爺さんたちは口々にいろいろ言うけど、悪いけどその説明を理解する気はなく、あくまでこっちが一方的に確認するだけ。平行線を何本か引くジェスチャーしながら単語を羅列する。「ここの道、線路、あっちの道、バス停、OK?」通じた(^^)v

踏切を渡って東側に出た。とにかく人に聞きまくる。
「フランチェスコ・バラッカ通りはどっち?」「フランチェスコ・バラッカ通りはここ?」「Cotralのバス停どこ?」
Cotralのロゴがついたバス停標識を見つけたけれど、路線番号や経由地や何だかいろいろゴチャゴチャ書いてあって咄嗟に読み取れない。時間は迫ってる。バス停前のバールに飛び込んで「バーニョレージョ行きたいの! バス停はあれ?」
私の指差すバス停はCotralのものではあるけれどバーニョレージョ方面のものではなかった。バールのお兄さんはわざわざ外まで出てきてくれて、道の方向を指し示してくれる。わかったわ、この延長線上にバス停はあるのね! でももう11時近い、そろそろバスが来ちゃう! フランチェスコ・バラッカ通りはそこそこ交通量があり、道沿いに店や看板も多くて、つまり余計な情報が目に入るので標識が見つけにくい。焦る焦る。
「バーニョレージョ行きたいの! バス停どこ?」道端に立っていたおばさんに尋ねると彼女はニッコリ笑って「ここよ。私も行くのよ」。彼女は斜め上を指差し、そこには確かにバス標識があった。
おおおおお! やった! 出たとこ勝負に勝った! ゼーコゼーコと息を弾ませる私におばさんは「間に合ったわね」とニコニコしている。

結局バスが来たのは11時10分頃だった。このバスに乗るのに10人くらいの人に聞きまくったと思う。おじいちゃん、お兄さん、おじさん、おばさん、みなさんありがとう!

チヴィタ・ディ・バーニョレージョ──告げられた余命を生きる町

チヴィタ・ディ・バーニョレージョのことを知ったのは、私はそれほど前ではなかった。1990年代までは会社勤めの休暇の弾丸旅、2000年代までは高齢の母を連れての旅だったので、山岳都市や丘上都市の訪問は意識的に選択肢から外していたからね。だから、ここ3〜4年の "○○な絶景" ブームで知ったんじゃないかな。

最初に強い印象を持ったのは「il paese che muore(死にゆく町)」という悲しい名称だった。17世紀と18世紀の2度の大地震で住民のほとんどが去り、現在の住人はわずか8人なんだという。見捨てられ、廃墟になっていく、その過程にある町。
そうした町や村はイタリアのみならず日本にだってあるけれど、「死にゆく」「滅びゆく」という切ない響きをよりドラマチックに際立たせているのは、この町のビジュアルによるところが大きいと思う。

地震で崩れ、さらに元々の岩盤の脆さも手伝って浸食で周りが削り取られ、高台部分だけがかろうじて残っている。その小さな小さな町を繋ぐのは深い谷を跨ぐ橋だけという、まさに文字通りの陸の孤島。宮崎駿がこの町をモデルとして『天空の城ラピュタ』を作ったともいう。朝もやの中、天空に浮いたチヴィタ・ディ・バーニョレージョの姿はため息が出るほどにロマンチックに見え、いつかここに行ってみたいと、そう思わせるに十分だった。

ヴィテルボ駅近くから乗ったバスは、30分ほどでバーニョレージョの町の Via.G.Garibaldi に到着した。一緒に乗ったおばさんはいつの間にか下車していて、終点まで乗っていたのは私と若い中国人らしきカップルだけだった。一応バスの運転手にオルヴィエートへのバスもここから乗ればいいのか確認。バスが去った後を見たら路面に白ペンキで線囲みが引かれていてBUSと書いてあった。なるほどね。通りの下にまるでバスターミナルみたいな広場があってバスが何台か停まっているけど、乗場はこの道端なのね。

目指すチヴィタ・ディ・バーニョレージョは「バーニョレージョの分離集落」という意味で、町外れまで1.5kmほど歩いていかなくてはならない。バーニョレージョじたいはとりたてて特徴のない小さな田舎町で、5〜6分ほどで街並が途切れ、その後は崖沿いの道を延々と歩くことになる。やっぱり今日も陽射しが強くて暑いけれど、木々の多い道なので風が涼やかなのは助かった。

チヴィタ・ディ・バーニョレージョの風景画を売っている。お世辞にも巧い絵とはいいがたいのよね、これが(^^)

バーニョレージョの町外れに近くなり、路上駐車のクルマが増えてきた。クルマで来た人はこの辺りに停めて歩くのかな?

何もない崖沿いの道をひたすら歩いていく

あっ! 見えてきた! あれがそうじゃない?

歩くうちに道の先に岩の塊のような村の姿が見えてきた。一歩一歩進めるほどにその偉容ある姿がどんどん近づいてくる。さんざん写真や映像では見ていたのに、その現場に立ってみると、それは驚き感動し圧倒されるものだった。
そして橋のたもとで愕然とする。橋はかなりの上り勾配で300m以上の長さがあり、遮るもののない直射日光に晒されているのだから。ここまで20分歩いてきて、さらにここを登るのか!

「死にゆく町」は観光客であふれていた

炎天下の橋登りに備えて、橋のたもとのジェラテリアでレモンのグラニータを買った。グラニータはかき氷ドリンクのようなものね。ちゅうちゅうとストローで吸いながら歩くのはあまりお行儀のいいことではないけれど、我ながら賢い選択だったと思うわ。冷たくてほんのり甘いグラニータがなかったら、橋の途中で干涸びていたかもしれないもの。そのくらい直射日光と照り返しは強烈で、橋の長さと勾配は侮れないものだったから。特に町入口の手前ではつづら折りの急坂になる。

村に入るには、橋の入口に立つおじさんにチケットを渡さなくてはならなかった……らしい

緩やかな上り勾配の橋が300m続き、最後は相当の急勾配だけど、一歩一歩近づいてくる感動は何にも代え難いものがある

村の入口の門に到達!

入口の門の前はちょっとした見晴し台になっていて、みんなまずここで記念撮影をしている。まあ、延々歩いてやっと着いたー!という達成感に満たされるのよね。保護や修復費用として、€1だか€2だかの入村料金を徴収されると聞いていたけれど、橋はそのまま門の下をくぐり抜ける道につながり、アッサリ村内に入ってしまった。ん?ん? 料金所どこ?

>> イタリアあるあるの法則どおりに「エントランスとチケット売場はわかりにくく離れている」だった。バーニョレージョ側の橋たもと手前の駐車スペースのさらに手前に小さなチケットブースがあったのを帰路で発見した。橋の入口でニコニコしていた太鼓腹のおじさんは切符徴収係だったのだ。結果的に無銭入村してしまったけれど、私にはちゃんと払う意思があったことをここで明言させてくださいませ

門をくぐると "死にゆく" という言葉にはまるで似つかわしくない風景が現れた。明るい陽光の下、可憐な花々で飾られ清潔に整えられた美しく修復された村に、多くの観光客が行き交っていて、余命を一日一日数えていくようなペシミティックな印象はない。ただ一本の目抜き通りであるS・マリア・デル・カッセロ通り Via S.Maria del Cassero を歩くと、100mちょっとでもう突き当たってしまった。バーニョレージョから1.5km歩いて、300mの橋を渡って、ようやく着いた村は奥行き100m……(@.@)
ちなみに、S・マリア・デル・カッセロ通りはバーニョレージョとチヴィタを繋ぐ橋の部分も含むらしい。4分の3が橋に当たる道というわけ。

狭い村内は綺麗にリノベーションされ、花々で美しく飾られていて、まるでテーマパークのような明るい観光地と化している

突端の手すりごしには緑ではありながらどこか荒涼と寂寞とした光景が広がっていた

マリア・デル・カッセロ通りの突き当たりの空き家の脇をすり抜けて、その元民家の裏庭に出ると本当にそこが崖の突端だった。一応手すりと柵で囲われているけれど、その先に広がるのは寂寞とした谷の風景。豊かな緑が覆うところどころから、ギザギザと脆そうな岩盤が顔をのぞかせている。こんなに陽光が煌めいているのに、空はこんなに青いのに、初夏の緑もこんなに色濃いのに、汗ばむほどに暑いのに……頭の中に「ひゅるり〜〜〜〜」と風が鳴ったような気がした。

すでに "生活のある町" ではなかったということ

元民家の裏庭から広場まで戻り、狭い村内をこまこまと歩き回ってみた。 メインストリートと途中の路地を10m程度入った部分に面した建物は綺麗にリノベーションされて、たくさんの花々で飾られて、観光客たちが行き交っていて、とても活気がある。でも路地を入ると、廃屋が何軒か並んで、その先はすぐ崖の突端だ。どこから見ても緑と岩だけの寂寞世界で、村はその真ん中にぽかりと浮かんで漂う舟のようだった。連なる谷の向こうの台地に集落らしきものが少し見えてはいるけれど。

村の教会やかつて村役場だった建物が取り囲むささやかな中心広場

教会を背にして反対側からも広場を眺めてみる。猫が一匹、悠々と横切っていった

一見活気があるように見えるけれど、ここにあるのは何軒かの飲食店とスーベニアショップとB&Bだけ。役場や病院とか学校とかはもちろん、よろず屋の一軒すらないわけで……つまりは、すでに「人の暮らす町」ではないということ。そう気づいたら、この明るさと美しさが不意に切なくなった。

と、一瞬感傷的になってはみるものの、"死にゆく" どころか、ひっそり打ち捨てられた "死んだ町" だってたくさんあるはずで、そう考えればテーマパークとして "余命を生きる" というのは案外正しいようにも思えてきた。いずれにしても、私はただの通りすがりの観光客でしかないわけで。うん、私は観光客の役割をちゃんと果たせばいいわけよね。

いろいろな種類の蜂蜜やジャム類、レモンやペペロンのフレーバーつきのオリーブオイルなどなど、最適なお土産品がたくさん

いろいろなフレーバーのリキュールもある。可愛いデザインの小瓶入りのものは、これもお土産に最適

広場に面した一軒の土産物屋で、他のお客さんが切れたタイミングでいろいろ見せてもらい写真もたくさん撮らせてもらった。レモンフレーバーのオリーブオイルはサラダドレッシングにするのによさそう。瓶のサイズは大中小揃っていて一番小さいのは€2で、バラまき土産にめちゃくちゃ手頃。
蜂蜜のリキュールとチョコレートのリキュールは、ラベルにはチヴィタ・ディ・バーニョレージョの写真。アイスクリームにかけたりカフェラテに入れたりするといいのかな? これもバラまき土産によさそう。
オリーブオイルやリキュールを何本かずつ買うと、おまけにキャンディ数個とミニポスターをくれた。ポスターは朝もやの中に浮かぶチヴィタ・ディ・バーニョレージョの絵をB4サイズくらいに印刷したもので、色鉛筆かパステルで描いたもののようだけど。これがまたお世辞にも巧いとは言えない下手な絵でねぇ……。要らないとも言えず受け取ってしまう私。

にゃんこと食べるパニーノは素朴に美味しい

広場から脇道を裏側に回った《L'Arco del Gusto》というデリカテッセンの店で昼食をとった。村内の他の飲食店はカジュアルながらもランチコースなど出していて、ここが一番気軽に短時間ですませられる感じだったから。
ガラスケースの中に何種類かのハムやサラミやチーズ、マリネのようなお惣菜が3〜4種類、お菓子が何種類かあるだけの小さな店。昨日エノテカで食べたイノシシのハムがとても美味しかったので、ペコリーノチーズと一緒にパンにはさんでもらう。飲み物は脇の冷蔵庫から自分で取り出さないとならない。ライオンの絵のラベルのものが地ビールらしいけど、7〜8種類くらい色分けされていてどれが何だかわからないわ。きっと赤とか黄色とか鮮やかな色のものは甘いフレーバーがついてるんじゃないかな? そう思って一番端にあった黒いラベルを選んだ。合計で€10.50。

店内に飲食スペースはなく、店の前に簡易の折り畳み椅子とテーブルが数席置かれているだけ。私は階段に置かれた簡易椅子に座って食べた。手すりに針金でくくりつけられたベニヤ板がテーブルがわり。

店の入口に待機しておこぼれを狙うにゃんこ兄弟(の片割れ)。クルマの走らない町はにゃんこ天国なので、村内はあっちもこっちも猫だらけ

イノシシサラミとペコリーノチーズのサンドイッチによく冷えた地ビール。シンプルながらも、その美味しさは感動モノだった

時間もあまりないし、がっつり量も要らないしと消去法で選んだランチだったけれど、実に大正解の美味しさだった。ここはウンブリア州ではなくローマのあるラツィオ州に位置しているので、ペコリーノ・ロマーノは本場なのよね。羊乳から作る長期熟成させたハードタイプのチーズで、羊独特の匂いがあり塩気が強い。イノシシのハムは塩気はあまり感じないけれど、普通のプロシュートに比べて滋味が深い。羊もイノシシも気になる人にはダメなんだろうけど、私にはノープロブレム、というか大歓迎。パンは固くて素っ気ないものだけど、噛みしめていると味わいがあり、かえってハムとチーズの味を引き立てている。なんていうか、いいお米といい梅干しのおにぎりは美味しいよね、という感覚かしら。
そしてよく冷えたビール! 黒いラベルはビターながらもすっきりした飲みやすいビールだった。

入れ替わり立ち替わり訪れる客は長居せずに食べたらさっさと去っていく。その足元を兄弟らしき二匹のにゃんこがウロウロしていて、目の前にきちんと正座して上目遣いで「にぃあ〜」なんておねだりしてくる。うーーん、可愛いけどハムやチーズはしょっぱいよねえ。少しだけパンをちぎってみたら見向きもしなかった。ううーーこいつらったら……! ハムやサラミの味を覚えちゃダメだよお!

「死にゆく町」はたぶん、しばらく死なない

辿り着くまでは大変だったけれど、滞在は食事時間も含めて1時間ちょっと。まあ、奥行き200mもない村なんだからこんなものよね。オルヴィエートに帰るバスは確か14:25だった。橋を含めて炎天下を1.5km歩かなくてはならないので、途中でペースダウンする時間も加味して早めに戻っておこう。

橋から崖を見ると、今も少しずつ崩れていっているというのがよくわかる。でも、あちこちで補修工事をして食い止める努力はしているようだった

さーて、またこの橋を延々と渡って戻っていかなくては

戻る道筋でいろいろ考えた。明るい陽光の下でのチヴィタ・ディ・バーニョレージョは見たけれど、朝もやの中に浮かぶ "天空の町" の姿は見ていない。霧やもやが出ていなくても、朝夕の横からの太陽光はくっきりと陰影がつき、立体感のある光景になるのだ。そのために7時台のバスに乗って8時半頃に到着するつもりだったのになあ……。
村内にB&Bが2〜3軒あったっけ。そこに泊まれば朝の風景が見られるのかな? でもスーツケースを引いてバーニョレージョの町からここまで歩き、さらにこの橋を渡るのはつら過ぎる。だいたいあの狭い村の中で時間をどう過ごせばいいの? そうか、ヴィテルボに荷物を預けて一泊分の用意だけ持って来ればいいんだ、最終バスで夕方に着くようにすれば。それもいいなあ、ヴィテルボの町もちゃんと見たいし、いつか実現させてみよう。あっ! でも朝もやに浮かぶ姿を見たいんだったら、村内にいたんじゃダメじゃん。バーニョレージョに泊まって、早起きしてここまで30分かけて歩いてこないと。うわー絶景見るのってやっぱり大変……などと考えているうちに橋を渡りきった。

死にゆく町が本当に死んでしまう前に訪れなくては……そんなふうに急いでいたけれど、たぶん当分大丈夫なんじゃないかなと思えてきた。確かに生活する町ではなくなっているから、延命処置を施して無理に生かしている町とも言えるけれど、それはそれでひとつの道なんだし。もちろん、日本と同じく地震の多い国でもあるから、一瞬にして崩れ去ってしまう可能性だってある。

振り返ってもう一度眺めたチヴィタ・ディ・バーニョレージョは、真上から当たる日光のせいでのっぺりと平面的に見えた。

プチ知識は得たものの、バスにただ乗りしてしまう

バス停まで戻る道は、予想通りに暑さと疲労とで40分近くかかってしまった。バス停にはすでに数人が待っている。こういう時にはとりあえず確認しておくに限る。
ベンチに座っていた3歳くらいの女の子を連れたおばあちゃんに「あなたもオルヴィエートに行くの?」と尋ねてみると、「散歩の途中で休憩してるだけよ」という答え。じゃあバス停のベンチに座るなよ紛らわしいなあと日本人なら思うところだけど、イタリアの年寄りにとっては結構当たり前のこと。むしろバス停のベンチって、乗客のためでなく地元年寄りの休憩所として存在している感じ。でも、脇に立ってたおばさんが「私は乗るわよ、ここでいいわよ」と言ってくれたので安心する。

他には韓国人の若い女の子三人連れとアジア人の若い青年がひとり。韓国の女の子たちはみんな華やかにウエーブをつけたロングヘアに濃いフルメイク、柄物や原色のミニスカートやショートパンツにヒールの靴、鮮やかなリボンのついたカンカン帽をかぶっている。韓国ではこういうファッションが流行っているの? この場所にはそぐわない気がするけどねぇ……。

時刻表にある14時25分を10分過ぎてもバスは来ない。オルヴィエートに行くというおばさんが平然としているので大丈夫なんだろうけど。私が時計と時刻表とを交互に見ていると、ベンチのおばあちゃんが「ここはふたつめのバス停なのよ、時刻表はひとつめのものなのよ」と教えてくれた。えっ、途中のバス停の時刻表って、通過する時刻じゃなくて、始発地の出発時刻が書いてあるってこと?
これは目からウロコだった。バスの通過する時刻は読めないからってことだろうけど、いや、そもそもバスは時間通りに走れるもんじゃないって概念なんだろうけど、なるほどぉぉ! その誤差を計算してバスを待たないといけないってことね。納得したものの、それにしてもふたつめならそろそろ来てもいいんじゃないの?

結局バスが来たのは55分になっていた。なんと30分遅れ……!
実はオルヴィエート駅のバールで事前に切符を買う時に、片道しか買ってなかった。ヴィテルボまわりで帰ってくる可能性も考えていたので、バーニョレージョからヴィテルボも同じ切符で乗れるか尋ねたら、代行して売ってるだけなので知らないと言われたし。でも、ヴィテルボのバス停で一緒に待ってたおばさんから、切符はCotral路線で共通で、事前に買えば€1.30で車内は€1.50という情報を得たので、持ってた切符はその時に使ってしまった。バーニョレージョの街中でタバッキを何軒か見かけたので安心してたけど、戻る時にはシエスタの時間帯でことごとく閉まっていた。でも€0.20高いだけで買えるんだしね。ところが運転手にそう申し出ると「今、切符持ってないよ」と言う。えッ!

私が固まっていると、運転手はバスが何台か停まっていた広場の端っこの小屋を指差して「あそこで買えたんだけど……まあ、いいや、乗って」と言ってくれた。入村料金払いそびれてしまって、さらに帰りのバスもただ乗り……うわあ、ごめんなさい。

>> ということで、ヴィテルボからでもオルヴィエートからでもバスの切符は共通ということが判明した。バーニョレージョでは買えないから往復で買っておくよう情報にはあるけれど、シエスタ時間を外せばタバッキで買える。バス停近くの広場の小屋でも買える。車内でも割増で買えるけど、それは運転手が切符を持っている場合に限られる。ホント、イタリアはバスに料金箱設置してくれよ……せめて切符売場をバス停に隣接させてくれよ……。でも、この不便さがイタリアなんだよね

ただ乗りの私と、ちゃんと切符を持っている数人の客を乗せてバスは走り出した。

5番バスは一瞬の旧市街遠望に超お奨め

バスはカーブのきつい山道をガンガン飛ばし、途中でほとんど停車もせずにわずか20分ちょっとでオルヴィエート駅前に到着した。たぶん、これ遅れた分をほとんど帳消しにしたよね。

バスの車窓から遠くにオルヴィエートの町が見えてきた

木々の隙間から町が見える。かなりのスピードでカーブに突っ込んでいくバスの中から撮影するのはちょっと大変だった

さて、オルヴィエート旧市街に戻るわけだけど、ここはケーブルカーであっさり行かずにバスを使ってみよう。滞在中一回はバスで行き来してみたかったのよね。そう思ってバーニョレージョ行きのバスもカヘン広場から乗ろうと思ってたわけだけど……ぶつぶつ。

ケーブルカーが10分おきに頻発しているし、旧市街内のコミュニティバスも連動しているので、駅前から直接のバスの本数は少ない。共和国広場行きの5番のバスは、1〜2時間に1本、一日に8本ほどしかない。次は15:50なので、駅前広場のすみっこの地元民御用達のようなバールで時間をつぶした。もちろん、私の休憩の定番のカフェ・マッキャートで。こういうところはカフェが€1くらいなのでありがたい。

5番バスも小さなコミュニティバスだった。客は私と若い男性の2人のみ。ケーブルカー乗場は楕円形のオルヴィエート旧市街の東端にあり、バスは西側からのルートのはず。ところが旧市街の崖裾を半周まわった後、さらにどんどん旧市街から遠ざかっていくではないの! えッ、登らないの? でも行き先にはちゃんと「Piazza della Repubblica」ってあったし、最終的に着けばいいのよね。
バスは旧市街に背を向けてさらに畦道のようなところに入っていく。舗装もデコボコなので小さな車体がぼこぼこ弾んで、つかまっていないと振り落とされそう。でも、背後のには丘上都市オルヴィエートのほぼ全貌が見えている。わあ! 期せずして全体が俯瞰できるとは! やっぱりこのくらい離れないとダメなのね!

緑の丘や畑越しのオルヴィエートの町の遠望を一瞬だけ堪能できた。30枚近い中の奇跡の1ショット

片手でしっかり手すりをつかんでシャッターを切るものの、なんせ窓ガラスは埃まみれ、バスは大揺れ。今時の高性能デジカメをもってしてものブレブレ写真や、座席のドアップ写真などを大量生産してしまった。さらに舗装もしていない土の道をくねくね走り、畑の真ん中の停留所に停まった。一応ベンチと屋根と囲いがあるけれど、待っている人はいなかった。ここでUターンして旧市街に向かうらしい。なるほど! そういうルートになっているのか! ここが丘陵地帯の中の岩山の上の町だってことがすごくよくわかり、埃ガラス越しでもなくブレてもいない奇跡の1枚は、Uターンのためにスピードが落ちた時に開いた窓から撮れたもの。

バスは再び弾みながら畦道を戻り、つづら折りの崖道を登り、ガタガタの石畳を転がるように走って、共和国広場すみっこのバス停に着いた。わずか10分ちょっとのラウンドトリップだったけど、すごく楽しかった。一回はこのルートで旧市街に入ってみるの、超お奨め!
バス停で待っていたおばさん2人が入れ違いに乗り込んだ。このバスが無人で折り返さずにすむようで、なんかホッとする。いや、私がバス会社の経営状態を心配する筋合いはないんだけどもね(^^;)

やっぱり楽しいオルヴィエート・アンダーグラウンド

共和国広場には近隣の農家が売りに来ている市が立っていた。小瓶入りのフレーバー蜂蜜が楽しそう。5個セットのものは、レモン、桃、ラズベリー、ストロベリー、クランベリー。ヨーグルトに入れたりすると美味しいだろうし、バラしてお土産にするのもよさそう。フレーバー蜂蜜にはなんとペペロンやにんにく、オレガノなんてものまである。ペペロンを試食させてもらったら、確かに蜂蜜と唐辛子の両方の味がした。不思議なハーモニーを生み出しているとか、マリアージュが絶妙とかいうことは全然なく、それぞれの味が同時かつ別々に主張している。うーーーん、話の種としては面白いけど……これって使い道に困るよねぇ。結局、フルーツフレーバーのものだけ買った。

オイルやらリキュールやら蜂蜜やら瓶モノばっかりでゴロゴロ重くなったバッグをぶら下げ、そのままフラフラとドゥオモ前広場まで歩く。ドゥオモのファサードはもちろん美しいけれど、一昨日の夕陽を浴びた神々しさを堪能してしまった私には物足りない。贅沢なことよのぅ……。

広場に面した観光インフォメーションの隣にはオルヴィエート地下ツアー Orvieto Underground の受付がある。ああ、これは15年前にも見て面白かったのよね! だけど時間が合わなくてガイドがイタリア語だったのと、70代の母ヒナコを連れていたので世話に忙しく、内容が半分もわからなかった。もう一度見てみようかなあ? 受付で尋ねてみると、ガイドツアーは一日に4回あり、英語とイタリア語が交互に2回ずつで、所要時間は1時間。英語ツアーは17時半からで、明日だと11時45分からとのこと。明日は13時頃には列車に乗りたいのよねぇ……ということで、今日のツアーに申し込むことにした。€6の料金を払い、予約票をもらう。まだ小一時間あるので、ホテルに荷物を置いてきて、10分前に受付に戻って来た。

ガイドさんは表情も豊かで、ジェスチャーも交えての説明はとてもわかりやすかった

天井には掘ったノミの跡がびっしり。とても柔らかくて掘りやすい岩質なんだそうで、実際に触れさせてもらうと指先でもポロポロ削れてくる

食糧としての鳩を飼っていた穴は地下のあちこちにある。鳩たちは崖の側面に何ヶ所か開いている窓から出入りして、ここに眠りに帰ってくるというわけ。鳩団地だね

ツアー参加者は20数人というところかな、非イタリア人のいろんな国のいろんな顔が集まっている。アジア人は、私の他には韓国人らしい若いカップルだけ。小柄な女性ガイドに案内され、みんなでゾロゾロついていく。ドゥオモの左脇奥はささやかな公園のような緑地スペースがあり、その先はすぐ崖の縁になっていて、ここからの眺望が素晴らしいのなんの。公園の端っこに施錠された鉄格子の扉があって、ここが地下探索ツアーの入口。そうだ、そうだ、ここから入ったんだったわ〜、思い出した!

ガイドさんの説明はとてもわかりやすくて、私の英語力でも70%くらい理解できた。実はイタリア人の英語の発音ってローマ字読みに近くて日本人には聞き取りやすかったりするのよね。
オルヴィエート旧市街のほぼ全域に地下があるそうで、それってつまり、切り立った丘の中には網の目のように地下通路が張り巡らされているってこと? オリーブオイルを巨大臼で絞って貯蔵する仕組みとか、ワインを濾過する仕組みとか、食用の鳩を飼っていた穴とか、多分前も見たし聞いたけど改めて「なるほど、なるほど、へえええ」だった。地球の歩き方には欄外に数行しか書いてないけど、個人的に超お奨めスポット。サン・パトリッツィオの井戸よりも、断然。

今日のディナーはオーガニックに

鉄格子の扉を出たところでツアーは解散。ガイドさんが大きな南京錠で再び施錠する。毎日毎日毎日書いていることだけど、ようやく日中の凶暴な陽射しが弱まって気持ちのいい風が吹き始めてきた。ホントに連日この時間になると「やっと暑くなくなったー」ってホッとするんだもん。でもまだまだ明るくて、ディナーにもまだまだ早い時間帯。なるほど、こういう時に一杯引っかけてダラダラするわけですね!

まだ客が増える前のエノテカのテラス席でドゥオモを側面から見上げ、心地いい風に吹かれてビールを味わう至福のひととき

ドウォモ広場のテラス席でビールを飲みながらしばらくぼーっとしていると、斜め上から鐘の音が響いてきた。
広場入口近くにあるマウリツィオの塔 Torre di Maurizio という時計台の時を知らせる鐘だった。塔上部にある銅像が鐘を叩いている。へえ、さり気ないないけど、いいね。なんか、気持ちがほどけていくわぁ……

ディナーはオーガニックとグルテンフリーを売りにしている《Antica Cantina》という店で。ホテルのすぐ近くにあって、中心ブロックからだいぶ外れているのに毎晩賑わっていて、何となく気になってたの。さて、グルテンフリーのパスタやパンやケーキってどうなんだろ? メニューを見るとそんなに品数はないけれど、ほとんどのものにグルテンフリーのマークがついている。自家栽培のオーガニック野菜マークのついているものもある。

グルテンフリーでどうやって作ったのかわからないけれど、モチモチしていて超美味しいウンブリケッリ

正体がわからない青菜のソテーはイタリアでは珍しく歯ごたえが残してあった

チョコレートとリコッタチーズのトルテはやっぱりイタリアには珍しく甘さ控えめ。これもグルテンフリーなんだって!

しばし悩んだけれど、せっかくなのでトリュフのウンブリケッリをオーダーしてみた。ウンブリケッリはスポレートではストランゴッツィって呼ばれてたパスタとほぼ同じもの。卵を使わないモチモチのうどんみたいなあのパスタをグルテンフリーでいったいどうやって作るのか疑問に思ったのと、あの美味しさをもう一度味わっていたいとも思ったから。付け合わせは青菜のガーリックソテー。パスタは少なくしてと頼んだら量も値段も半分にしてくれた。トリュフは高いからラッキー♪ さて、お味はというと、これがどうしてどうして、モチモチ柔らかで美味しい。塩味も脂もかなり控えめで、トリュフはたっぷり大盤振る舞いで、馥郁とした香りのおかげでパスタ材料の素性なんてどうでもよくなる。半量なので、美味しい美味しいといっているうちに食べきれた。
青菜もなんだかわからないけど、オーガニックの自家栽培なんだよね。ちょっと苦みがあってこれも美味しい。

よし、デザートも食べちゃおう。これもまたグルテンフリーのリコッタチーズとチョコレートのトルテにしてみる。これも味つけは軽やかで甘さも控えめ、私にはとても美味しかった。でも、ヨーロッパの人々にはこういうあっさりした甘さは物足りないんじゃ? ワインや水、食後のカフェも追加してしめて€25。日本だと、こういうオーガニック売りの店は結構ふざけた値段設定してくるものだけど、めちゃくちゃリーズナブルじゃないの!

こうしてオルヴィエート最後の夜は幸せに暮れていった。

 
       

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