Le moineau 番外編 - すずめのポルトガル紀行 -

寂しい朝食

今朝も朝の目覚めはあまりよくなかった。肉体的にもそろそろ疲れがたまってくる頃合でもあるが、ヒナコを連れての日中の観光は神経のかなり奥まった部分に根深い疲労をもたらすものなのである。そもそも、私の脳みそのCPUはさほど高性能ではないのだ。8ビットくらいかもしれない。
昨晩気がついたことだが、昨日の朝オビドスのホテルでシャワーを浴びた時、洗顔フォームをバスルームに置き忘れてしまったようだった。脳の出力装置がトロくなっている証拠である。残すところ何日もないので、今さら洗顔料を買うのも面倒。ホテル備え付けの石鹸で洗っちゃえ。……こうして不用意に日焼けしたお肌に、さらなるダメージが加わっていくことになるのである。

何だかミシミシいう音で目覚める。ぼーっと開いた目に入ってきたのは、部屋中央の「無駄に広いスペース」で何やら不思議な体操をするヒナコの姿だった。体操というよりは、何だか得体の知れない踊り。何故かは知らないが、このヒトはこういうスペースがあると踊っちゃうのよねぇ……。彼女曰く「体操」なんだそうだが。でもまあ、体調もよく御機嫌なようである。

ホテルのクラスからいって期待してはいなかったが、朝食はシンプル極まりないものであった。美味しくも不味くもないパン2種類、シリアル1種類、卵やハム類なし、果物ヨーグルト類なし、パックのバターとクリームチーズとジャム、恐ろしく薄いジュースとコーヒー。……これが3日間かぁ。まあ、いいや、外で美味しいモン食べるから。

朝食ルームも、内装自体は古風で雰囲気はいいのだけどね。外のレストランもそうだが、テーブルクロスにランクの違いは出る。
高級なところは布。客が変わるごとに毎回替える。クリーニング代も料金に乗っているのだから当然だが。次に布のクロスの上にペーパーのランチョンマット。客ごとにマットだけ取り替える。3星クラスの朝食堂ではほとんどがコレだ。ランクが低くても、このマットとクロスと皿の色などをコーディネートして小洒落た感じにしているところはたくさんある。一輪挿しが各テーブルにあったりしてね。
このホテルには、そういう小洒落たセンスというものは欠片もないようだった。部屋のカーテンやベッドカバーもそうだったけど、実質一点ばり。テーブルに布のクロスはかけてあるのだが、その上に天板と同じサイズの紙マットが50枚くらい重ねてあるだけ。むしり取って捨てるだけだから、合理的といえば合理的だけどねぇ。せめて紙の色合わせくらいして欲しいが、色も素材もほとんど藁半紙

ホテルのHPよりお借りした、ウソつきな写真である。食堂の内装自体はクラシカルで素敵だが、紙マットを積み重ねたテーブルは如何なものか……

悪口いっぱい書いているが、なにしろ都市部のツインで€ 55なんである。観光拠点としての立地は申し分ないのだし、通された部屋に無駄に広いスペースがあるおかげでヒナコは朝の「踊りもどき体操」も出来るんである。朝食がショボイとか、センスがないとか、トイレが狭いとか、従業員が無愛想とか言っちゃあいけないよね(笑)

エレベーター脇の廊下には、リスボンの風景画が何枚か掛けられていた。申し訳ないけど、あまり上手くない。ていうか、全然上手くない。この時頭に浮かんだこと──ポルトガル人の有名画家って誰か知ってる? お隣スペインには、ムリーリョやベラスケスやゴヤなどの宮廷画家から、ピカソ、ミロ、ダリ…と巨匠てんこ盛りだけど。もしかして、ポルトガル人て……絵はあまり上手くない……? 修道院の彫刻なんかは見事なんだけど、二次元での表現……下手?

石畳とケーブルカー──古き良きものたち──

ホテル出口から20mも歩けば、カモンイス広場Pr. de Luis de Camões。ポルトガル最大の詩人カモインスの像を中心に、彼の叙事詩をテーマをモザイクで歩道に描いた美しい広場だ。観光客にも人気の市電28番の停留所もここにある。

ポルトガルの歩道は、5〜6cm各くらいの石を並べて隙間に砂を詰めて固めただけのもの。全体的に白っぽい石なのだが、広場や人通りの多い道の歩道には黒い石を混ぜて絵や模様が描いてある。これがまたいちいち綺麗なのだ。「絵画」と呼んでいいような緻密な絵柄もあり、幾何学風な模様もあり、花や海などのテキスタイル風パターンもあり、店名などの文字もあり、横断歩道も白黒モザイクになっていたり。今ひとつ歩行のおぼつかないヒナコは足元を見つめて歩くので、私よりもたくさんの歩道石畳パターンを見ているかもしれないね。とにかく全部違うんで楽しいのである。
考えてみると、色石をいろいろ並べて絵を描くモザイクは古代ローマ時代のもの。ヨーロッパ中あちこちにローマ遺跡のモザイク画が保存されているが、どの国でも現在の街中の石畳は黒っぽい御影石を敷き詰めているだけだ。ポルトガルにだけ、石畳に模様を描くという風習が脈々と残っているのは面白いなーと思う。



これまでの街で見かけた白黒モザイクの石畳の歩道

カモンイス広場を通り越して200mほど進むと、リスボンに3路線あるケーブルカーのひとつビッカ線Ascensor da Bicaの乗場がある。両脇にぎっしり立ち並ぶ家々の間を黄色いケーブルカーがごとごと走る、最もリスボンらしい風景といえる場所。マスターカードの「プライスレス」シリーズCFの舞台になったところだ。あのCF、確かにと〜っても異国情緒溢れていて良かったけど、あえて突っ込ませていただく。このビッカ線の通る道は情緒はあるが、下町の住宅街である。起点にも終点にも、あのような家族連れが好んで入るレストランもないし、泊まるホテルもない。あんな時間に子供連れで帰るのなら、タクシー乗った方がいいよ? まあ、いいや。能書きたれているが、とにかくこのリスボンらしい風景に出会いたかったからこそ、わざわざ来たのだから。

ケーブルカー車両が停車していたので、乗り込んで待つ。80歳はとうに越えている老夫婦が運転手の手を借りてよろりよろりと乗り込み、すでに座っていた婆さんに挨拶して世間話を始める。30代の運転手も会話に混ざる。若い人たちはケーブルカーなんぞには目もくれず、脇の階段をスタスタと降りて行く。繰り返される地元の日常風景だ。観光客には珍しいけれども、この街の老人たちには必要不可欠な交通機関なのだ。
飴色になった木のベンチや窓枠の車内光景は、「郷愁」という感情の奥深い部分を柔らかく刺激する。私がヨチヨチ歩きの頃のボンネットバスの車内はこんなだったかもしれない。はっきり記憶があるわけではないので、「創られた郷愁」なのかもしれないが……。こういうものがいまだに現役を務めている姿を見ると、胸の奥で何かがきゅぅんと動くのは確かである。

チリチリンと小さく鉦を鳴らしてケーブルカーはごとごとと急坂を下り始めた。車体の両脇には人ひとり分の歩道階段があるだけ。途中に少しだけ道幅が広くなる場所があり、そこで昇り車両とすれ違った。坂道の先には青く輝くテージョ川。直線距離にして300mはないだろう、乗車時間はほんの数分だ。

絵葉書よりスキャニング。遠くにテージョ川を望んで、ぎっしり並んだ家々の隙間の急坂をごとごと昇り降りするケーブルカー。新型ピカピカ車両を導入せずこのロートル車体に頑張って欲しいと思うのは、観光客の勝手な感傷かなぁ……

ケーブルカーを降り、「ケーブルカーの走る町並」写真を撮るために、同じ坂道を今度は歩いて登る。なんならヒナコはもう一度ケーブルカーに乗って戻ったら? 私の愛ある提案は、すげなく却下されてしまった。考えてみたら彼女は、エレベーター(自宅マンションと私の仕事場のあるマンションと3ヶ月に一度通う眼科医院の3箇所を除く)にもひとりで乗れないのであった。何だか知らないけどさ、怖いんですってさ。だから異国でケーブルカーに乗れるわけがないのだ。たとえ乗場に連れていってあげてもね。じゃ、私はベストスポットを探しながらウロウロ登るから、ヒナコはマイペースで歩いてなさい。

土曜日のせいもあるのか、この時間は15分間隔での運転のようだ。その間に、周囲の建物がイイ感じであり且ついい感じで車両の入るベストアングルを探さなくてはならない。昇り降りがすれ違う心持ち上あたりに、バッチリの場所を見つけた。しゃがんだ位置からあおり気味に切り取ると、坂道の急な雰囲気が強調されて、良さそうだ。じっと待つ。

急な坂道ではあるが、両脇にはびっしりと住宅が並んでいるので、そこには当然日々の生活というものがある。ケーブルカーの通る合間を縫って、配達の自動車やゴミ収集車などが行き来する。その早業と運転技術は、まあ大したものである。

周囲のモチーフをじっくり検討して待った甲斐があり、本当にいいアングルの写真が何枚も撮れた。若干自画自賛だが、ケーブルカーが日常風景に溶け込んでいる絵だったと思う。同じアングルで同じ建物をバックに撮った写真は見つからない。描きたかった風景が幻になってしまった……

レトロな市電に揺られて

再び坂道のてっぺんに戻ってきた。ここから28番の市電に乗る。西側の高い位置にあるバイロ・アルト地区から一番平らなバイシャ地区、その東側の高いアルファマ地区Alfamaを結んで走る市電28番は、地元の人の重要な足であるとともに観光客にも美味しいルートネのだ。ベレン方面に行く25番は新型の2連車両だが、石畳の細いくねくね路地を進むこの路線は、小さなレトロな車両が現役で走っている。木の窓枠やベンチはやはり飴色、ゆらゆら揺れるつり革は革紐である。……そうだよ? 革で作ったから「つり“革”」っていうんだよね!

チンチンと鉦を鳴らして路面電車はゴトゴトと走る。カモンイス広場を過ぎ、テージョ川方向に急坂を下り、大きくカーブしながら賑やかな繁華街のバイシャ地区をかすめ通る。小さな教会の前でくいっと曲がると今度は登り坂、次に見えてきた教会を回りこむと、坂道正面にカテドラルの堂々とした姿が見えてくる。ここで一旦下車。

簡素なロマネスク様式の建物だが、多分付け加えられたものだろう、正面に見えるバラ窓は後世のゴシック様式ならではものだ。威風堂々としたカテドラルの脇を回りこむように坂道がうねり、レトロな市電車両が行き交うここもまた、絵になるアングルである。今朝ホテルの廊下で見た下手くそな絵もカテドラルと市電を描いたものだった。

内部祭壇はバロック様式だが、堅固で剛健な外観に相応しく、派手な華やかさはない。振り返って正面入口の上を見上げると、艶やかな色彩のバラ窓が薄暗い聖堂に優しい彩りを添えている。ここには有料で入る宝物館と回廊があるのだが、ケーブルカー横の登りでヒナコの歩みがノロかったため、パスすることとする。だって、他に見たい場所がたくさんあるのだもの。

絵葉書よりスキャン。実際はわざわざ待って、もっと引いたアングルで、左側の建物と隙間を廻りこむカーブ、車体の位置も違うものを撮ったのに……

色鮮やかなバラ窓のステンドグラス。観光局のHPよりお借りした

アルファマ地区のてっぺんのサン・ジョルジェ城Castelo de São Jorge [>>WEB ]に向かうため、カテドラル前の停留所から37番のバスに乗る。小さなマイクロバスだ。しばらく普通サイズのバスや市電と同じルートを走るが、ベンチの設えられたサンタ・ルジア展望台Miradouro de Santa Luziaの角で市電線路から逸れて丘へ登る脇道に入る。ここからが凄い。細くて急なうねうねの石畳道を、縦横に揺れながら弾みながら、軋むように登るのだ。「よじ登る」と言った方が適切か。よちよちと歩いて登っている観光客たちは、バスの姿を見ると大慌てで壁に貼付くように身を寄せる。信じられないことに、対向車とすれ違ったりもする。うへぇ…こんなところヒナコに歩かせたら、すぐにはね飛ばされてあの世行きだよ、きっと。

バスは跳ねるように走って城門下の停留所に停まった。
ヒナコは座ってたクセに「あぁー、怖いバスだったぁ……」
あのねー、私なんて立ってたんだからね! 踏んばった足とつり革握りしめた腕とがつりそうになったんだからね! 隣の重量級のオバちゃんが倒れこんで来た時はどうしようかと思ったんだからね!

最古の城からのパノラマ

バス停から城門までも急な坂だ。入場料はリスボンカード提示で30%オフの€ 3.5。この城はユリウス・カエサルの時代に要塞として建てられ、1500年の間に居住者はその時代の権力者に次々と替わってきた。現在はリスボンの大パノラマを望む展望台となっているこの場所で、時の居住者たちはどういう風景を見たのだろうか。私の目にいま映るのは、「7つの丘」と呼ばれる豊かな起伏の上に、白い壁と朱い屋根の波が織りなす光景だ。

吹き渡る風の心地よさに腕をのばして深呼吸したところ……手に持った入場チケットを1枚飛ばしてしまった! あっと思う間もなく、チケットはひらひらひらと風に舞い、遥か下方へ……。どうしよう? 一応この入口でモギリに切ってもらってはいるが、要塞部分に入る時に係員がいて見せろと言われるかもしれない。でも、もう落としちゃったもんは仕方ないし、咎められたら言い訳をしようっと。「このヒトが無くしちゃったんですぅ」とヒナコのせいにするか「風に盗まれました」なんて言うのも文学的でいいかな。

以下すべてパンフレットよりスキャン。雛壇状に積み重なる家々の上方に鎮座するサン・ジョルジェ城の古い城塞

木陰と風とが気持ちのいい展望台テラス。ここでチケットを飛ばされてしまった

要塞の城壁。上をぐるりと歩け、監視塔の内部に入れる。オビドスの城壁ほど足場は悪くない

監視塔の上からは、リスボンの景観が360度ぐるりに広がっている

城壁で囲まれたクロワッサンの形をした敷地の中には、この広い展望台広場と、今は古い壁が幾つか残るのみの(カフェやレストランやエキシビション・ミュージアムなどになっている)かつての王宮跡、庭園、最も高い部分にさらに城壁に囲まれた四角形の要塞Castelejoがある。今は干上がってしまった堀を巡らした中世の城には、石造りの橋を渡って入れる。心配したチケットチェックはなかった。よかった。

城にはもう建物は残っていないが、ぐるりと囲まれた城壁の上と四隅に残る10個の監視塔の中を歩ける。要塞入口の上に立つユリウスの塔Torre de Ulisseeに登ると、文字通り360度の一大パノラマ! 二重の城壁に囲まれ、東と南に2つだけ残る楼門、北と西は急峻な崖である。城に侵入され包囲された場合、この砦が最後の強固な抵抗場所であったことがよくわかる構造だ。最後の最後に確保されていた逃げ道なのだろう、人ふたり分ほどの幅の長い通路が1本だけ谷底に伸びている。

ピッコロのようなフルートのような笛のメロディが風に乗って流れている。中世の楽団員のような服装をしたおじさんが、要塞部出口で吹いているものだった。ただそれだけならどこにもいる大道芸人なのだが、恐らくチップの大半を稼いでいるのは演奏する彼よりも横にいる茶色いトラ猫の方であろう。毛布を敷き詰めた箱の中に正座して眠っているだけなのだが……。箱には各国語で「ありがとう」の文字──記憶に残る限りでは「Obrigado」「Thank you」「Merci」「Gracias」「Grazie」「Danke」「あソガとラ」(笑)──が書かれていて、中にはかなりたくさんのコインが入れられていた。私も€ 0.5コインを一枚入れて彼らの写真をパチリ。結局失くなったんだけどね……この写真も。

かなりの時間を城内で過ごしてしまった。この後は迷路のような路地の入り組むアルファマ地区の散策だ。きっとかなり歩き回ることになるだろうから、ちょっと休憩しておこう。今日のおやつは甘いものにしようかな? コロッケみたいなものにしようかな? 城門の真ん前にあったパステラリアのガラスケース内には、ピンとくるモノがなかった。店先にパラソルを並べた外観が観光客が入りやすい感じなのか、混んでいる。何軒か先のもっと小さな地元御用達っぽい店にした。こっちの店のケース内のもの方が、私の嗅覚にはヒットした。カンみたいなものでしかないんだけどね。

揚げ春巻そっくりのものがある。コレいってみよう。もうひとつ三角形をした揚げ物とカフェ2杯、ミネラルウォーターをもらった。
ガラス越しに春巻に見えたのだが、小皿に乗せられたそれを近くでよーく見ても、春巻の皮で具をあの形状に包んで揚げたものだった。中身は炒めて塩胡椒しただけの千切りのキャベツとニンジンとハム。ちょこっと何かスパイスの香りがする。味付けは中華風ではないけれど、これはこれで美味しいじゃないの! 三角の揚げ物は辛味の効いた挽肉を包んだものだった。こういうB級フードが美味しいのって嬉しいなぁ。

石畳の迷宮アルファマ

再び37番のバスで丘を下る。細いくねくね石畳の急坂を跳ねるように走るミニバスは、ジェットコースターさながらのスリル。今度は私も座席に座れたが、立っていたらもっともっと怖かったと思う。必死で手摺を握りしめていたので外を観察する余裕がなく、サンタ・ルジア展望台で降りようと思っていたのに、気がついたらカテドラル前まで戻って来てしまっていた。慌てて下車。

カテドラルは二叉路の股部分に建っている。さっきは左側を登って行ったのだが、今度は右側に行ってみよう。どのみち坂は登らなくてはならないのだ。
ここアルファマ地区Alfamaには特別なモニュメントといえるものはない。1755年の壊滅的なリスボン大地震の際、被害をあまり受けなかったこの地区は、結果的に最古の町並を残すこととなった。細い路地や階段が入り組み、洗濯物が軒にはためく、下町の庶民の生活の場なのだ。こういう場所を歩く時、私は自分だけのアングル探しにイジョーに燃える。気の向くままに迷うことを楽しみ、お気に入りの一画を探すのだ。
迷ってしまったら、上に上に辿ればサンタ・ルジア展望台のある広場に戻れるだろうし、下へ下って行けばテージョ川の方向に出られるだろう。どちらに着いてもバスや市電に乗って次の移動が出来る。

絵葉書よりスキャン。入り組んだ路地や階段、はためく洗濯物、昼寝する犬や猫、井戸端会議のオバさんたち……

決められた観光ルートがあるわけではない路地巡りは、ホントーに楽しいものだった。当たり前に流れる人々の生活がそこにある──。名もなき小さな教会、テーブルが3つ4つあるだけのな食堂、万国旗のように窓に軒に翻る洗濯物、窓から漂う昼食の焼き魚の匂い、木箱を並べた八百屋、3階の窓から顔を出して通行人と世間話をしている婆さん、大きな買物袋を両手にぶら下げた小母さん、小さな広場でサッカーに興じる子供たち。

こんな階段の途中みたいな場所で子供の頃からサッカーやっているのだもの、ポルトガル代表が強いわけだとつくづく思う。心肺能力だって脚力だって鍛えられるだろうし、外したボールは下まで一直線だ。東洋人の中年と年寄り親子に気を逸らされたのか、ミスしたボールが飛んできた。拾ってあげると、少年たちはわらわらと走り寄ってきて口々に「Desculpe(ゴメンナサイ)」「Obrigado(ありがとう)」と小さな手刀を切ってくれる。10歳くらいかな、可愛いなー。

2歳くらいの子を三輪車で遊ばせている若いお母さん、足元に4〜5歳のお兄ちゃんがまとわりついている。珍し気にこちらを見ている彼に目顔で挨拶すると、彼はニコっと笑い、前屈みで三輪車を押す母親のジーンズをいきなりずり下げた。あー、もう、男のコのやるコトといったら……(笑)。彼流のサービスのつもりなのか? 通りすがりの東洋人に半ケツ晒してしまったお母さんこそ気の毒である。「きゃっ、何するのよ、アンタはもう!」みたいなこと言って、笑いながらお兄ちゃんの頭をペチペチ。

以下すべて観光局のHPよりお借りした。細い路地と階段。決して袋小路ではなく、どこかへ通ずる道となっている。このエリアではホントーに魅力ある一画を切り取れた写真が何枚も撮れたのに……たまらなく残念

当てずっぽうに歩き回るうちに小さな教会前の広場に出た。地図を見てもどの辺りなのかわからない。とりあえず下に見えているテージョ川の方向に降りてみよう。曲がりくねった狭い路地階段は、ホントにこっちに進んで大丈夫?という感じもするが、今まで歩いてみたところ袋小路というものは存在しないようだから。くねくねと坂道と階段を降りると、淡い桃色に外壁を塗った建物の正面に出た。ポルトガルの民衆歌謡ファドに関する物を集めたファド博物館Museu do Fad [>>WEB ]だった。

>>後でHPを調べてみると、古いポスターなんかもあって結構面白そうだった。寄っていけばよかったかな……

ランドマークになるべき場所に辿り着いたことで、ようやく現在の場所が把握出来た。地図を広げて起点から方向を類推してみると、思いつくまま足の向くままな動いた割には、アルファマエリアをほぼ隈なく歩いたようだった。

タイル三昧の美術館

さて、この後は、すずめ的にはリスボンで一番楽しみにしていた国立アズレージョ美術館Museu Nacional do Azulejo [>>WEB ]だ。タイル好きの私としては絶対に外せない。事前の情報収集時でも楽しみにしていたが、これまでポルトガル中あちこちでタイル装飾を見てその綺麗さにはいちいちウットリしていたので、さらに期待高まりまくりなのだ。

この美術館は市内中心部からはちと遠い。交通手段はバスしかないのだが、その794番路線がファド博物館裏手を通っている。いそいそと道路に向かうと5分も待たないうちにバスが来た。運転手に「降りるところ教えてね」と頼んで乗り込む。

古い修道院のマドレ・デ・デウス教会Igleja de Madre de Deusを改装して美術館にしたところだ。だから、中には礼拝堂や回廊なども残されていて、エントランスに続く中庭などもいい雰囲気。アズレージョはポルトガル芸術を語る上では欠かせないものだと思うので、やっぱりココは必見だな。リスボンカード提示で料金は無料。



以下すべて美術館のHPよりお借りした。古いタイルの並ぶ展示室が20室以上ある

観光局のHPよりお借りした。美術館内のカフェレストランも綺麗なアズレージョで飾られている

果たして期待を思いきり上回る展示内容であった。一番古いものは14世紀のもの。製法を示した展示から、模様であったり史実や物語などを描いた大パネル作品、近代アズレージョ作家のギャラリーもある。子供たち向けの焼き物教室みたいな部屋もあった。飽きて廊下で鬼ごっこをしているガキどももいれば、製型に余念のないコもいる。うーん、このグループに小学生時代の私を放りこんだら「もう終えなさい」と言われるまで粘土こねてるだろうな……。真剣な目つきで何か拵えている女のコに遠い昔の自分の姿が重なった。私も絵付けしてみた〜い!!

一番古い時代のタイルは、イスラム風の幾何学模様。柚薬の違いなのか、新しい時代のものより色艶が鮮やかに感じる

たくさんのアズレージョを見ているうちに、私なりの結論が出た。ポルトガル人ってあんまり絵が上手くない──現にポルトガル出身の有名画家は少ない──のだが、このアズレージョの場合は「巧すぎない絵」の方がいい味を醸すのだということ。デッサンも微妙に狂っているし、人間や動物の顔なんてよく見るとかなりヘンなのだが、焼き上げた時には少し下手くそな絵の方がしっくりくるということ。結構乱暴で偏見な意見かもしれないけどね、私はそう感じた。



勿論、青一色のものも、たくさん

建物の壁などにあったものを丸ごと移したものだろう。色鮮やかな絵柄のものがたくさん

ひとつひとつに貼付いて食い入るように見ていたので、かなりぐったりしてしまった。1階に併設されたカフェレストランは当然、綺麗なアズレージョ装飾されたお洒落な空間だった。ドライフルーツ入りのタルトと卵黄クリームのロールケーキで、おやつ休憩。ちなみにトイレのタイルもとっても可愛かった。タイル三昧で満足満足、お菓子も美味しくてさらに満足。

迷走──悔恨の事件への導入

大きな失敗というのは、いきなり起こることではない。ほんの些細なことの積み重ねが、結果を導くのである。軌道修正可能であった箇所を後で考えることも出来るのだ。「あの時……!」と。ただ、その時は、そういう風に流れていってしまうのだけど。

かなり歩き回って疲れていたので、一旦ホテルに戻ってヒナコを昼寝させるつもりだった。素直に794番のバスを待てばよかったのだ。そのバスならカイス・ド・ソドレ駅まで1本なのだから。ホテルはそこから徒歩でも行けるし、メトロでも一駅なのだから。
だがバスはなかなか来なかった。暇なものだから停留所にある路線図を眺め回し、794番以外のバスに乗ってもメトロ駅にリンクする場所で乗り換えればいいんじゃん、などと考えてしまったのだ。さっきと同じルート走るより、その方が楽しいじゃない?などと。今日はいろいろ物事がスムーズに運んだので、軽く考えてしまったのだ。100本近く網の目のように張り巡らされた都市部の路線バスというものをナメてはいけない。

最初に来たのに乗ろうと決めていたが、15分以上どの路線も来なかった。ようやく見えたバスは794番ではなかった。だが、その後ろにすぐ続くもう1台は794番。今思えば、ここが分岐点だったのだ。車窓から降りる場所が確実にわかる794番に乗るべきであった。
途中に観光客が立ち寄るスポットを持たないその路線は、完全に地元の生活者のものだった。走る道も普通の市街地でしかなく目印になるものがない。停留所の数を数えたつもりだったが、ダブったり飛ばしたりしてしまったのだろう、降りてはみたもののメトロの駅にはどうリンクするのかわからない……。ああ、運転手に声をかけておけばよかった! バス停で待つお婆さんに「近くにメトロ駅はあるか?」と尋ねてみたが英語を解さないようだ。ポルトガル語会話帳を開いて尋ね直すが、やはりうまく通じない。

乗り放題のチケットがあるので、路線図を頼りに他のバスに乗ってみるが、迷宮の深みにハマるばかりだった。頭の中に「おうちがどんどん遠くなる」のメロディが流れる。縄張りを越えて遠くへお散歩に出てしまった猫が、他の猫にどつかれ追われ逃げてるうちに、迷ってしまうのに似ている。そうなのだ、都市部の路線バスは、慣れない旅行者が一朝一夕で使いこなせるシロモノではないのである。現に40ン年暮らしている東京のバスだってよく使うものしか把握してないのだから。それでも日本のバスは停留所名をアナウンスしてくれるだけ100倍マシ。とにかく、メトロとか市電とか「線路のある乗り物」のところに辿り着くしかない。

ホテル前まで行ける市電28番乗場を目指すことにして、バスを乗り継いでみる。28番の起点には白亜のエストレーラ聖堂Basílica da Estrelaなるものがあるので、ランドマークになるかと考えたのだ。
見当をつけて降りた場所は、道路が3段の立体交差になっていた。白亜の聖堂なんでどこにあるの? ああ、ここもきっと違うという感じガプンプンする。交通量は多いのだが“最後の頼みの綱”のタクシーは流していないのだ。もう頭の中はぐちゃぐちゃ。ホトホト困り果てて停留所の路線図を指で辿る。何路線も通る停留所は何箇所かに分かれていて、何がどうなっているのか訳わかんない。そのバス停には初老の夫婦2人と、その息子か娘らしき30代後半の夫婦が座っていて、若い奥さんひとりだけが片言の英語を話せるようだった。ホトホト困り果てた表情の私に声をかけてくれた。

このヘンテコな建物がアモレイラス・ショッピング・センター。何故にここに辿り着いたのか、ルートは説明困難。やけくそになって何路線か乗り継いだので

「どこに行くの?」
「エストレーラに……(ていうか)ここは…どこ?」
彼女は斜め向こうに聳えるヘンテコな形状の巨大ビルを指さし「アモレイラス・ショッピング・センター」と答えた。映画館やショップを集めた複合施設だ。地図を広げて見せ、場所を示してもらう。ええー!? 全然見当違いの場所に来ちゃったのね。どこをどう迷走したのやら……。
残りの3人は英語は解さないが、親切心には満ち溢れていた。ポルトガル語で、ああしたらこうしたらと、いろいろ言い立ててくれる。えーと、全然わかんないんだけど、ご心配いただきありがとうございます。
外野はやいやいと騒いでいるのだが、片言英語の彼女は、不慣れな旅行者の私が考えていること──「『線路のある乗り物』のところに行きたい」を察してくれたようだった。
「市電に乗るの? メトロではダメ?」
「あっ! それ! OK、OKです!」
跨線橋を渡った向かい側のバス停を示し、そこからポンバル侯爵広場Praça Marques de Pombalへのバスに乗れると教えてくれた。ようやく解る場所に到着出来る!! 彼らは跨線橋を渡る私たちをずっと8つの瞳で見守ってくれていた。バス停に着いて、道の向こうの彼らに感謝をこめて大きく手を振った。

女性に教えられた通りの乗場からバスに乗って3〜4つ目、中央に侯爵の銅像が立つ広場が見えてきた。
海洋王国ポルトガルの礎を築いたのがエンリケ航海王子なら、近世国家としての改革をしたのがポンバル侯爵である。なかなかに独裁権力を振りかざす啓蒙的専制ではあったようだが、壊滅的打撃を受けたリスボン大地震の際、いち早く街を再建した功績は大きいのだろう。だからこそ、一番の市内交通の要衝地に彼の銅像が建ち、彼の名前を冠した広場となっているのだ。

円形の広場の回りはロータリーになっていてクルマがぐるぐる、さらに外側には大規模な中級〜高級ホテルが並んでいる。ライオンを従えた侯爵の銅像が真直ぐ見つめる正面には、テージョ川の方向へ下るリベルダーデ大通りAv. da Liberdadeが一直線に伸びている。その背後にはエドゥアルド7世公園Parque Eduardo VIIが豊かな緑色の斜面を見せている。リスボンの生活圏を1時間半も迷走してしまったせいで、ヒナコにお昼寝をさせてあげる時間がなくなっちゃったね、ごめんね。素直に794番のバスでさっさと戻っていたら、しばらくベッドで横になってパワー再充電、今頃元気にどこかを歩いていたはずなのに。

観光局のHPよりお借りした。ロータリーになっているポンバル侯爵広場。手前がリベルダーデ通り、背後がエドゥアルド7世公園。パックツアーで使いそうな大型ホテルが周りにたくさんある

…というわけで、どうする? 背後のエドゥアルト7世公園も展望台としてはよさそうだが、なにしろ長大な急斜面。てっぺんまで歩くのは大変そう。この広場下には地下鉄駅があるから、それで戻ろうか。ところが広場が大き過ぎて、メトロの入口がすぐ見つからない。それなら緩やかに下るリベルダーデ通りをのんびり歩くのもいいか……。1500mくらいだし、下り坂だし……。だが入口を探してメトロに乗るべきだった、今思えばこの判断も分岐点のひとつだったのだ。こうして悔やんでも悔やみ切れない事態へと続いていくのである。

悔恨のカメラ喪失事件

ポンバル侯爵広場からリベルダーデ通りをしばらくゆっくり下っていった。今日こそはしっかりと良い場所を確保して夕日鑑賞に臨みたい。「ポルトガルのシャンゼリゼ」の別名を持つこの道は歩道が広くて歩きやすいし、プラタナスの街路樹や石畳の模様は美しい。しかし上半分はビジネス街なのである。土曜日の午後ということもあって、歩道は閑散としていた。カフェやショップもない、綺麗だけど退屈なのだ。必要以上にヒナコの足を疲れさせるのもどうかと思い、ほんのちょっぴりだけどバスかメトロに乗ってしまうことにした。ここも分岐点。半分以上歩いたのだからもう少し頑張ればよかったのだ。その辺りからはカフェや土産物屋が増え始めて少し賑やかになってきていたのだから、退屈な風景ではなくなってたはずだ。2時間近くの市内迷走で、私は身体より頭が疲労困憊していた。カフェのテラス席でも陣取って少し休憩をしたらよかったのだ。

2駅だけのバスにするか、一駅だけのメトロにするか……最後の分岐点で選択を誤った。悔恨のカメラとデータ喪失事件は、バスの中で起きたのだ。

あそこがバス停だ、あっバスが来た、急いで急いで! ヒナコを急がせてハァハァさせてしまった。これがまずひとつめの失敗。
とりあえずカメラをジャケットのポケットに放り込んでしまった。すぐ取出して写真を撮りたい場所を歩く時、一時的にポケットにカメラを入れることはあるが、必ず一緒に手も入れているか、腕やバッグや壁などを押し付けて押さえるようにしている。もう15年も昔、スリの被害に遭って以来、徹底してそうしている。市電やバスや地下鉄の車内は気をつけなくてはいけないのに、ポルトガルののんびりした雰囲気につい気が弛んだのか、ポケットに入れてしまった……これがふたつめの失敗。

飛び乗ったバスは混んでいた。土曜の夕方という時間帯、人のたくさん集まる中心部を走る路線(地元の人だけの場所、おのぼり観光客しかいない場所というのは、かえって安全なのだ)であることなどの条件が重なって、混んでいた。彼女は20年前に高血圧症を発症して以来、右手右足に力が入りにくいので、電車やバスで立つ時には縦棒を両手で抱きかかえないとダメなのだ。すぐ降りるんだからの私の言葉に、彼女は一目散にバーに取り付いて握りしめる。私は真後ろから覆いかぶさるように彼女の二の腕に両腕を回して、カメラを入れたポケットを押し付け、揺れと盗難の両方の防御。勿論、バッグの開口部をきちんと脇に挟んでいる。ふたつの失敗はしたけれど、カモ丸出しの無防備状態だったわけではない。…言い訳になるけれどさ、今さら。

実は、ヒナコがよたよたと乗り込んで一目散にバーに突進してた時、優先席にいた男性が譲ろうとヒナコの腕に手を触れたのだ。彼女は気づかず進んでしまった。2つばかり座らせるのも面倒なので、私も気づかなかったふりをした。この男性が「あれ、譲ろうとしたのにな。まあいいや」と考えてくれる人ならよかったのだ。しかし彼はとことん親切だった。親切過ぎた。わざわざ立ち上がりヒナコの手を引いて、ここに座れと言った。彼はまだ50歳代だろうから、実感として解らないのであろう。足腰の弱った年寄りが揺れる狭い通路で方向転換し座席に座るのは、彼が考える何十倍も大変であることを……。

私はお礼を言って断った。が、とことん親切な彼は「危ないから。ほらほら座りなさい」と彼女の手を引っぱる。うーん、せっかくそう言ってくれているし厚意に甘えようか、と思ってしまった。わざわざ譲ってもらう距離ではなかったのに……これが三つめの最大の失敗。

ヒナコを後ろから抱きかかえる格好で身体を反転し移動させようとした時、ひとつめの停留所に停まり、バスが大きく揺れた。座っている人の上に倒れかからないよう、ヒナコに怪我をさせたりしないよう、私は必死で踏ん張る。よからぬ考えの誰かが、カメラを抜き取るのはそのわずか2〜3秒の時間で十分だったはず。カモの気を引く行為をし、仲間がその隙に仕事をするということはザラにあるけれど、この純粋に親切な男性は多分無関係だろう。
結局、座った区間は一停留所分のみ。馬鹿みたい。どうして固辞しなかったのだろう。

「うわ〜広くて綺麗な広場!」「うん、ここがロシオ広場だよ」
写真を撮ろうとポケットに手を入れ、指が空回りするのに気づき、ざーっと血が引く音を聞いた。ホントに聞こえたのだ。
やられた! 今! 今のバス! あの倒れかけた瞬間! 盗まれた一瞬が特定出来るのがあまりにも悔しい。
直前まで市内を迷走し、さほど高性能ではない脳味噌の処理能力が、いっぱいいっぱいにはなっていた。しかし、注意力のパーセンテージがヒナコの方に大きく傾いて、一瞬、本当に一瞬、ポケットに対しておろそかになったのは確か。だがヒナコがいなければ、私ひとりだけの行動であれば、もしくは自分のことは自分で100%面倒みられる連れと一緒なのであれば、こんなことは起きなかったのも確かなのである。

観光局のHPよりお借りした。リスボンのヘソに当たる、一番賑やかで綺麗なロシオ広場。土曜午後、楽し気な人々で広場は埋め尽くされていた

ロシオ広場Rossioは旧市街の中心、周辺にカフェや土産物屋が店を連ね、噴水の飛沫が陽射しにきらめき、鳩が群れをなして歩き回っている。土曜午後のどこか開放的な雰囲気に、集まる人々の表情も伸びやかに明るい。この浮き立つような空気の中、どよどよと暗い目をしているのは私たちだけ。あまりに落胆が大きく、ヒナコを責める言葉は口に出来なかった。でも彼女は自分のせいだと認識しているようだった。うつむく私の腕や肩を、泣きべそ顔で黙ってさすり続ける。

落ち込み後、猛烈に腹がたってくる

噴水の縁に腰掛けてじっとうつむいていたが、頭の中は何も動いていなかった。フリーズ状態といってもいい。しばらくそうしていたが、突然じわじわっと怒りがこみ上げてきて、リスタートがかかった。誰に? 勿論スリに対してだが、一瞬無防備になったことを否定出来ない自分に対しても。

それにしてもカメラを盗られるとは思わなかった。10年以上昔ならともかく、今やコンパクトデジカメなんて普及品で、みんなそこらで無防備にパチパチしている。お金やパスポートの盗難防止には心を砕いていたのに。
CanonのIXIの最新モデルだったので安くはなかったけれど、高級一眼レフではない。充電器だって付属ケーブルだって私の手元に残ったままだし、第一操作表示が日本語だよ? 盗ったはいいけどアンタ、使えるの?

ううん、カメラより何より、この3日分のデータ、あのSDカード1枚を返してほしい。写真データは、毎日持参のパソコンに移していたのだ。それがここ2日毎晩眠くて眠くて容量に余裕があるのをいいことにそのままにしていたのだ。ああ! 一昨日のオビドス! 昨日のベレン地区! 今日のリスボンの写真を返してぇぇぇ!
失くしたデータは400枚近いと思う。同じようなモノどうでもいいモノもたくさんある。その場所に立てば、誰が撮っても同じものが撮れる構図もある。だが、自分の足で見つけた自分だけのアングルには、どうしてもどうしても惜しいものが何枚かある。記憶に残る僅か20数枚だけでも返してもらいたい。

IXIの軽さとコンパクトデジカメにしてはかなりの性能の広角レンズが気に入って、長年愛用したフィルムカメラも今回は持って来ていないので、この後の写真ももう撮れない。使い捨てカメラを買うことや、携帯電話で撮ることも考えたが、絵を描く題材レベルのものは期待出来ない。私は自分の目で直に見たものの色は記憶出来るので、色の悪い絵葉書やガイドブックの写真からでも自分の絵は描けるだろう。この後はとにかく両目を開けてじっくりと観ることに決めた。

>>せめてもの救い。カメラに関しては、カード付帯の旅行保険の「携行品の盗難」が適用され、免責の¥3000を引いただけでほぼ全額購入金額が戻ってきた。新品だったので減価償却分もマイナスされず、領収書も保証書もきちんと残してあったため。従って、とても使い勝手のよかったIXIの同一機種を再購入出来た。羽振りのよかった正社員の時代にゴールドカードを保有しておいて、よかったよかった。

時間がたった今でこそ、冷静に分析らしきことをして書き連ねているが、この時はこんなに順序だてて考えられる状態ではなかった。「ああー悔しい」「なんかもうやる気なくなった」「腹たつなあ、データ返せぇ」「写真撮るための旅じゃないでしょ」「残念残念残念」「まだ行程は残ってるんだから楽しまなくちゃ」「しっかり見て空気感じることが大事でしょ」「写真は副産物でしょ」いろんな気持ちがぐるぐるぐるぐる。

なんとか気持ちを切り替えねば!

気持ちがぐるぐるしていたもんだから、足もぐるぐる歩き回ってしまった。広いロシオ広場を動物園の熊よろしく行ったり来たり。足が痛いはずのヒナコが半べそでカルガモのヒナのようについてくる姿を見て、ハッと気がついた。口に出して彼女を責めてはいないけど、この行動って無言で八つ当たりしている以外の何ものでもない……と。そして、こうして目を開けていても、私はこの綺麗な広場の何も見てはいなかったということを。

少し気分が落ち着いてきた。そう、五感で風景をきちんと味わうのだ、曇った気持ちで観ていたらこの後出会う風景たちに申し訳ない。…えーと、リスボンであと廻りたいところはどこが残ってたっけ? カメラを盗られる前、最後に考えていたことは何だったっけ? 「今日こそいい場所を確保して夕陽鑑賞に臨む」だ!
処理速度が鈍くなっている頭で一生懸命考えた。この場所からすぐに登れる展望台……サンタ・ジュスタのエレベーターElevador de Santa Justaか、サン・アルカンタラ展望台Miradouro de São Pedro de Alcântara。とりあえずエレベーターに乗ってみることにした。起伏の多い街ではエレベーターさえも公共交通機関になり得るのだ。

時は夕刻少し前。高いところで夕焼けを見ようと考える人がいるのは、当たり前。エレベーターの乗場には大量の行列があった。これでは並んでいる間に陽は沈んでしまいそう。やめ!やめ! ここは後日。
来た方向へ逆戻り、ロシオ広場を通り越し、ケーブルカーのグロリア線Ascensor da Glória乗場へ向かってわっせわっせと早歩き。ラッキーなことに発車寸前で飛び乗ることが出来た。

観光局のHPよりお借りした。ケーブルカー・グロリア線。ビッカ線の方が周辺風景の風情はあるが、移動手段として使い勝手がいいのはきっとこの路線の方だ

朝に乗ったビッカ線よりも旧勾配。やはり横には細い登り階段の歩道があり、よちよち歩く人もいる。車内のベンチの数もこちらの方が多いが、周囲の景色はビッカ線の方が風情あるかも。歩いて登ればハードだろうが、ケーブルカーならあっという間。下車したところは昨晩夕食を食べたあたり、サン・ロケ教会の裏側だ。教会とは逆側に小さな公園になっているサン・アルカンタラ展望台がある。夕刻の空の具合は、日没ジャストタイムという色合い。ちょっとバタバタしたけど、結果オーライじゃ〜ん! ラッキー♪と、ウキウキと展望台の方角へ……思いきりアンラッキーだった。汚いトタン板とベニヤ板でがっつりと覆われて、公園丸ごと閉鎖されていた

カメラがないと気づいた時に血の引く音を聞いたが、今度は高揚感がしゅうぅぅぅと萎んでいく音が聞こえた。何だか、裏目裏目に出るなあ。いや、前半はサクサク進んでいたんだ、アズレージョ美術館まではとても楽しく観光してたんだっけ。やはり美術館からのバスは794番に乗るべきであった。あそこで流れが変わってしまったのだ。頑張って強引に膨らませた気持ちをヘコまされるのって、すごくダメージが大きいのね……。
ぺったんこにヘコんだ私の目には、汚いトタン板の陰でいつの間にか沈んでしまった夕陽は映らなかった。すぐ近くのサン・ロケ教会もカルモ教会ももう終っている時間、ここからホテルまでは徒歩10分足らず。ぺったんこのまま、帰還する。

ホテルに戻って、しばらくベッドの上で放心していた。晩ご飯どうしようか……。なんだか、いろんなことが面倒になってしまった気がする。
開け放した窓から、土曜夜の人々の賑わいが聞こえてくる。大道芸人の演奏するアコーディオンの旋律、人々の陽気な笑い声……。そうだよ、今度こそ気持ち切り替えて楽しまなくちゃダメだよ! 今晩はファドハウスに行って、歌を聴きながらちゃんとしたディナーをとろうよ。気分を上向けよう!
ファドとは、ポルトガルの民衆歌謡。フランスにシャンソンが、イタリアにカンツォーネが、スペインにフラメンコがあるように、ポルトガルにはファドがある。

シャワーを浴びて化粧をし直した。ちゃんとしたワンピースは今回は持って来ていないが、スカーフなどを巻いてそこそこ身綺麗にする。形から気分を盛り上げるのって、結構重要だからね。

ちょっと贅沢なディナー

ゆっくりきっちり身支度をして、9時過ぎにバイロ・アルト地区へ向かう。このエリアはカジュアルなレストランからそこそこ味自慢の店、洒落たバーなどの集まる夜の街だ。ファドハウスも何軒かある。一応トップクラスと言われる店は『ア・セヴェーラA Severa』と『オ・ファイアO Faia [>>WEB ]』。どちらの店もさほど遠くない。
予約をしないで飛び込みだが、土曜の夜だし大丈夫かな? 最初に訪ねた『O Faia』で、ドアマンに聞くと、飲物だけなら11時頃にして欲しいがディナーを取るならOKとのこと。勿論食事するつもりだったので承諾。

入口を入ったところはカウンターバーになっていた。カウンター隣の扉の奥から女性の歌声が漏れ聞こえてくる。歌の合間までしばし待たされ、黒服のお兄さんに席に通される。
ホールのほぼ中央がステージになっていて、ギタリストが3人と歌手が1人。奥の半分に団体客が固めて押し込められ、手前側が個人客のテーブル。その一番前のテーブルだった。歌い手とは、ほんの2〜3mしか離れていない。歌っているのは20代後半くらいの若い女性だった。高音部が少しキンキン響く感じで、この席がいいのか悪いのか判断に迷う。

とりあえず彼女が歌っている間はオーダーは取りに来ないだろう。歌を聞きながら豪華な装飾の店内を見回す。ドレスコードが必要なほどではないが、もうちょっと綺麗な格好だったら、もっと気分よかったろうな。どこの国の人たちかわからないが、奥の団体客の服装はカジュアル全開だし、カジュアル通り越してラフな人もいる。でも、個人客の人たちは、ちょっと綺麗めにしてきました、という雰囲気。

若い女性歌手が歌い終わると、店内の灯りが少し明るくされた。食事とお喋りは歌手が交替する間に楽しむのがルールらしい。
メニューに並ぶ料理の値段は、一皿が今までの夕食2人分くらいする。ずっとカジュアルな店ばっかりだったからね、今日はちょびっと贅沢しちゃうんだ♪ 赤ワインとガス入りの水を1本、私はバカリャウのクリームグラタン、ヒナコには蛸のグリルをオーダー。

ワインと一緒に前菜が運ばれてきた。グリルしたソーセージと、鰺のマリネ。どちらも美味しそう。特にマリネは、粉をまぶして軽く焼き色をつけた鰺に千切り野菜を乗せてマリネソースをかけたもので、何とも食欲をソソるお姿。だが、待てよ。周囲を見回すと、メインの皿はみなデカい。こんなモノうっかり食べたら、お腹が膨れてしまう。それに、メインの値段考えたら、これもきっと高いよ? ソーセージとマリネは指をくわえて見送ることにしたが、パンとつまみのオリーブは頂くことに。

20分ほど時間をあけて次に登場した歌手は、初老の痩せたおじさんだった。あ、このヒト、さっきバーカウンターにいた人だ……歌手だったのね。誰かに似ている。植木等をポルトガル人にしたらこんな感じ? もしくは大村昆(笑)
だが、しかし、ポルトガル植木は、この細い身体のどこからこの声が?と思うほど、豊かな声量で朗々と歌い上げる。そしてなかなかに渋く、毅然とした雰囲気がある。先程の女性歌手は若いだけに迫力不足だったなぁ、美人だったけど。

ファドの語源は「運命」「さだめ」。日本の演歌に通じるものがあり、憂愁と哀惜に満ち満ちているなどと説明されている。そもそもが場末の下町で生まれ、どちらかというと社会の底辺にいる人たちに歌い継がれてきた音楽だという。だから、何かこう、うら寂しくしんみり暗いイメージを想像していた。ところがどっこい、明るく力強い歌声ではないの。シャンソンよりはカンツォーネの唄い方に近いと私は思う。これは歌詞を理解することが出来たら、もっともっと感動出来るのではないか。
まあね、演歌といっても『昭和枯れすすき』や『舟歌』ばかりではないものね、『あばれ太鼓』だって『箱根八里の半二郎』だって演歌だ。

ポルトガル植木は5〜6曲歌い、またしばしの食事タイムをはさんで次の登場は、超重量級のマダム。…凄い、やっぱりだんだん歌手が巧くなってくる。彼女は歌の巧さだけでなく茶目っ気もあって、表情もとても豊かだ。最初にこのテーブルに通された時は、頭の上から声がガンガンして落ち着かなく感じたのだが、そんなことはない、ココは特等席だ。



大トリのLenita Gentil。流石に巧い、素晴らしい!

お店のHPよりお借りした。ボリューム満点のマダム、Anita Guerreiro。どちらも、若干写真が若い

食事の方はというと、比較的高級な店だけあってとても美味しかった。私の頼んだのバカリャウのクリームグラタンは想像通りのビジュアルと味。クリームが滑らかで美味しいが、食べても食べても同じ味が続く。だが、ヒナコの前にがストンと置かれた蛸のグリルは……何と凄まじい存在感! てんこ盛りの温野菜の上に冠のように乗せられた3本のぶっとい蛸の足。足というより脚
その見てくれから気持ち悪がって、南欧の人たち以外は、ヨーロッパではほとんど蛸を食べない。気持ちはわかるけどね。隣のテーブルにはドイツ語で会話している若いカップルがいたのだが、彼女の方が一瞬目を見開いて手のフォークを取り落とした。…そんなにびっくりした? 蛸の姿に慣れてる我々も一瞬「すげェ」と息を飲んだもんねぇ(笑)

ヒナコから分けてもらって味見をしたが、軽くグリルした蛸は柔らかく、野菜は適度に歯ごたえが残っていて、とてもとても美味しい。だが、この野菜の量は「つけ合わせ」のレベルを超えている。ジャガイモは3個分(基準:日本の大きめの男爵芋)、ニンジン1本分、玉ねぎ1/2個分、ブロッコリー1.5個(基準:日本のスーパーで売られるサイズ)。

温野菜の上に極太の蛸の脚がカツラのように被さっている。結構ギョッとする盛り付けだが、味は絶品

蛸と野菜に格闘しているうちに、大トリの看板マダム、Lenita Gentilが登場。ポルトガル植木も重量級マダムも素晴らしかったが、彼女は声質も声量も段違いであった。力強くまろやかで艶と伸びのある歌声。時に切々と、時に晴れ晴れと、時にたっぷりとタメをつくり、時にサラリと流すように。看板歌手だけあり、たっぷり10曲近くを歌う。彼女の歌が終わった頃には12時近かった。団体客がぞろぞろと席を立ち、他の客たちも帰り支度を始める。だがお店は2時過ぎまで開いているので、これから入ってくる人たちもいる。デザートの焼き栗をつまみながらカフェを飲んでいると、再び最初の若い歌手が出てきた。4人の歌手で二回転させるのだろう。12時を廻ったので、私たちも帰ることにした。
会計の明細を見ると、つまみのオリーブやパンとデザートの焼き栗はテーブルチャージに含まれているようだ。合計€ 82.60。今までのレストランがカジュアルなところばかりだったので、3倍近い値段だが、内容を考えれば目を剥くほどの贅沢ではない。

店の外に出ると、来た時とはかなり雰囲気が違う。狭い路地に仄かな街灯が黄色い灯を点し、ポツリポツリと店のネオンが光っているのは同じなのだが、道はたくさんの人々で賑わっていた。週末だもんなぁ。ホテルまでは6〜7分歩くだけ。路地すべてに楽し気な人たちが溢れていて、その浮き立った空気と人だかりはカモインス広場からホテル前のガレット通りまで続いている。バブルの頃……いやそれ以前の六本木の裏通りのようだ。六本木ヒルズら東京ミッドタウンの聳える今の六本木ではない。防衛庁の長い塀の脇の路地には、こんな雰囲気が確かにあった。ぴちぴち(死語)で体力もいっぱいあって夜遊びしてた頃……20年以上も昔の話。人がたくさんいるので、危険な雰囲気は感じることなく帰って来れた。

観光局のHPよりお借りした。夜のバイロ・アルト地区。週末でヒトが賑わっている方が、かえって危険はないかもしれない

本日の歩数は18211歩。思ったほどカウントは伸びていない。窓の外は明け方近くまで賑やかだったが、とことん疲弊していたのでぐっすりと爆睡。


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