Le moineau 番外編
- 紺碧のイタリアとクロアチア歩き -

ドゥブロヴニクへの出立準備は万端……のはず

今日も一度も目覚めることなく5時半までぐっすり眠った。よかった、体調は戻ったみたい。旅も7日め、今日はドゥブロヴニクまでの大移動の日。といっても4時間半くらいバスに乗りっぱなしでいればいいので、むしろその間に体力チャージできるかもしれない。

乗る予定なのはスプリット8:00発のバス。一昨日の晩、シベニクとトロギールへのアクセスを調べたついでにドゥブロヴニク行きも調べて、切符も買っておいた。Pronet Makarska という会社の便で、モバイルチケットがスマホにダウンロードしてある。料金はクロアチアクーナで120kn、ユーロでは€16だったので、日本円で2100円程度。うむ、バス料金はやっぱり安いわねぇ。

>> 同じ区間に何社ものバス会社が乗り入れているクロアチアには、一括して時刻や値段を調べられる「CROACIA BUS」という優れもののサイトがある。ほとんどの便が予約購入が可能で、クリックすると「Get by Bus」というデンマークに本社のある会社のサイトに飛ぶので、そこでクレジット決済する。ヨーロッパの10ヶ国以上のバスチケットが買えるようだ

シャワーを浴び、身支度を整えながら朝ごはんがわりの果物を食べる。2日前に市場で買った1kgもあるチェリーはスプリット滞在中にはとても消費きれなかったので、傷みのない綺麗な実をジップロックのコンテナ1個分にあらかじめ取り分けてある。コンテナに収まりきれなかった残り(これがまた結構たくさんあるのだよ)を頑張ってお腹に詰め込んだ。

今朝は早く出発することはオーナーのアナにはすでに伝えてある。料金は予約時にBooking comを通じて先払いしてあるし、チェックイン時にも確認し、昨日の日中に電話とメールでも確認済み。食器類は全部洗って元あった場所に片づけ、ゴミも全部ひとつにまとめた。部屋にはゴミ箱がなく、処理方法も聞いてなかったので、とりあえず道端の収集ボックスに捨てておこう。簡単なお礼のメッセージを書いたメモと一緒にテーブルの上にキーを置いて部屋を出た。

片手にゴミ袋をぶら下げ、片手でスーツケースを引きながら歩き始めたところで、冷蔵庫の中にチェリーを入れっぱなしだったことを思い出した。チェリーだけなら「ま、いっか」なんだけど、コンテナが惜しいので取りに戻ろう。値段の問題ではなく、旅の今後の利便性の問題でね。オートロックではない旧式のキーでよかった。
ああ、もう、ホントに嫌〜! 準備万端、余裕しゃくしゃくのはずだったのに! いっつも忘れものばっかりでスムーズに出発できないんだから!

き今朝のスプリットは青空ではあるものの、ずいぶん雲が増えてきている。これから向かう方向に雲が多いのがちょっと気がかり

《BOBIS》の店内には7時ちょい過ぎでも焼きたてパンもサンドイッチも潤沢でよりどりみどり

海岸通りのパン屋さん《BOBIS》でお昼ごはんのサンドイッチを買っていくことにした。朝の5時や6時から22時頃までずっとオープンしているクロアチアのパン屋さんは、地元の人たちにも旅行者にも重宝する。民泊が多いので朝としての需要も大きいんだと思う。とにかく朝一番に焼きたてが買えるのは嬉しい。
サンドイッチの具材もさまざまだけどパンの種類もいろいろ。日本で売ってるものの2倍はあるボリュームサイズで、1個で十分満腹しそう。トルティーヤのような薄皮でくるくる巻かれたラップサンドが美味しそうだけど、中身が何だかわからない。隣にある大きな丸いパンのサンドイッチには「Tuna」の表示が見える。中身が似てるので「これはツナ?」と尋ねると、愛想のいいおばちゃんは大きく頷いて「これもツナ、こっちもツナ。同じよ」
それならとラップサンドの方を買おうとすると、おばちゃんは「こっちの方が美味しいのでお奨めよ。私はこっちが好き」と丸パンのツナサンドを強力に推してくる。え? そうなの? よし、了解。ここはお奨めに従っておこう。おばちゃんイチ推しのツナサンドは30knだった。クロアチアは外食がかなり高いので、パン屋さんは節約旅行者の強い味方ね。結局この店には3日連続でお世話になった。

棚ぼたゲットの窓際席で車窓風景を満喫する

バスターミナルに着いたのは7時40分、乗るバスはスプリット始発の便なのでもう乗場に停まっている。隣のカフェでカフェラテをテイクアウトしてからバスに乗り込むと、すでに車内はたくさんの人、人、人。え? ええっ? もしかしてもう満席なの? 私のモバイルチケットには座席指定はされていない。スプリットからドゥブロヴニク間は右側の車窓が風光明媚だとのことけど、左右選ぶどころか座席そのものがないかもしれないの?

紙コップを持ったまま軽くパニくりながら通路を進むものの、どの席にもみっしりと人が座っている。中ほど左側、インド系の少年の隣が空いているのが見えた。この暑いのになぜかダウンジャケットをぴっちり着込んでいる。座っていいか聞くと消え入りそうな声で友達の席だと言われてしまった(嘘ではなくちゃんと連れは来た)。
さらに進んでも席はすべて埋まっている。もしかして立ち席なの〜〜〜!? 困惑し絶望しかけたところでようやく後ろから2列めに空席があった。窓際に座っていた若い女の子の隣席の荷物は彼女のものだったようだ。通路側だけどとりあえず右側に座れたわ。

満席の乗客を詰め込んだバスは8時ちょうどに出発した。どうやら前の方には立っている人もちらほらいる感じ。まだハイシーズンじゃないからとか事前購入したとかに甘んじないで早めに乗り込んでおかなくてはダメね。まあ、座れたからいいや、結果オーライということで。

スプリットを出てしばらくの間、重い雲の切れ間から光が射してはいるものの空模様が怪しい状態が続いていた

東に進むにつれてだいぶ晴れてきた。蛇行する海岸線沿いに小さな町や集落が次々に現れ、聞きしに勝る美しい風景が続く

海外沿いの風景も美しいけれど、緑豊かな田園風景も美しい

内陸部には水田のようなものが広がるところも

発車してほどなく車掌が検札に回り始めた。レシートのような切符やプリントアウトの紙を見せている人が多かったけど、私のスマホに表示したEチケットでもちゃんとOKだった。ところが、私の隣の女の子が回数券の綴りのようなものを出すと、どうやらこれが問題ありらしい。車掌は強い口調で何か言い、彼女は前の方に連れて行かれてしまった。そのまま戻ってこない。バスは走り続けているので下車させられたわけではないようだけど……。
しばらくすると男性の乗客がやって来て奥に詰めるように言い、私の隣に座った。というわけで、私は棚ぼた式に右側の窓際席をゲット。ひゃひゃひゃ、ラッキ〜♪ これで心置きなくダルマチア式海岸の景勝を楽しめるというわけね!

>> リエカからドウブロヴニクまで600kmほどがダルマチア式海岸と呼ばれる海岸形態の区間。リアス式海岸のように起伏の激しい山間部が沈降して形成されている。リアス式海岸が元の海岸線に対して垂直な山地なのに対して、ダルマチア式海岸は元の海岸線に対して平行に連なっていた山地が沈降して形成されている。つまり、海岸線に平行な細長い島が連なっているのがダルマチア式海岸の特色で、独特の景観となっている

喜んだものの空模様は怪しい。スプリットの海岸通りから重く見えていた空の下に入ったようで、雲がたれ込めていて海の色も暗い。バスは海沿いを走ったり町中を走ったりし、そこそこ乗り降りがあって常に10人くらいが立っている。路面に濡れた跡があり、ところどころに水たまりができていたりもする。ネットで調べた天気予報でもこれから下り坂のようだし、なんだかなあ……せっかくのドゥブロヴニクで天気悪いと嫌だなあ……

そのままバスは曇天の中をしばらく走り、9時20分頃にマカルスカ Makarska という町のバスターミナルに停まった。10分休憩とのことで何人かがバスを降りていく。荷物室にスーツケース入れたまま置き去りにされたら大変なので私は降りないよ〜。空はちょっと晴れてきたみたい。うん、いいぞいいぞ。

マカルスカのターミナルを出発した後はずっと海岸線のルートで、とにもかくにも風光明媚な世界の連続だった。眠るなんてとんでもない! 私は窓ガラスにびったり貼付いたまま、車窓風景を眺めても眺めても飽きることはなかった。
車内にはごく低い音量でラジオが流れていて、そこに乗客たちの各国語でのお喋りが被さってくる。それは決して不快ではなく、むしろ流れ過ぎる車窓風景を眺めるための心地よいBGMだった。

ボスニア・ヘルツェゴビナに一時入国、すぐ出国

スプリットから2時間以上走った10時10分頃、国道沿いの小屋の前でまた停まった。男性が乗り込んできて乗客のチケットをひとりひとり確認している。運転手と車掌はバスの外に出されているし、きっちりとした制服を着ているので、国境越えにまつわる係官なのかもしれない。でも特に何を聞かれるわけでもなかった。再びバスは走り出し、30分ほどでプロチェ Ploce のバスターミナルに着いた。プロチェ出発10:20予定だったので、この時点でもう20分以上遅れている。

>> ダルマチアの海岸沿いにはボスニア・ヘルツェゴビナの領地が少しだけ飛び出していて、21kmだけ海岸線を保有している。そのためドゥブロヴニク周辺はクロアチアの飛び地状態となっている。ユーゴスラヴィア時代には国境はなく、内戦時代を経て、紛争終了後もほぼクロアチア領みたいなもので行き来は割と適当だったらしい。ところがクロアチアのEU加盟によって、形式的にであっても国境越えチェックしなくちゃならなくなったというわけ

プロチェから20分くらい走った頃、高速の料金所のようなものが見えてきた。あ、あれが国境かな? 路肩にはバスや乗用車がたくさん停まっている。このバスも止められるのかと思いきや、料金所のようなブースを通過し、そのままノンストップで走り続けていく。そうか、ツアーのバスと公共交通のバスでは扱いが違うのかも。

国境ブースを抜けてボスニア・ヘルツェゴビナ領のネウム Neum の町中を走る。途中で通過したクロアチアの小さな町となんら変わりない海沿いの町だ。10分ほどでドライブインに入っていき、ここで20分休憩とのことだった。ほとんどの乗客が降りていったけど、今度も私は降りない。別にボスニア・ヘルツェゴビナの地に立ってみたいとも思わないし、トイレもまだ大丈夫だし、買い物もないもん。それよりも、まだ11時半だけど、車内に人の少ないうちにお昼食べちゃおう。
スプリットのパン屋で買ってきたサンドイッチをいそいそと取り出す。紙包みのままトートバッグに放り込んできたせいで、湿気でくしゃくしゃに潰れかけていて、ビジュアル的には悲惨なことになっていたけれど、味の方はというと……それはもう!  なにしろツナがたっぷり。日本のツナ缶4つ分くらいの量がありそう。オイル漬けではなく蒸してあって、しっとりふわふわで味が濃い。少ししなしなしてたけど、レタスやオニオンもたっぷり。マヨネーズがクリーミー。パンもちょっとヘタれていたけれど、適度に歯ごたえあって美味しい。すごく美味しい! さすが、おばちゃんがお奨めするだけのことあるわぁ〜〜。 直径20cmくらいあるけれど一気にパクつき、しっかり満腹した。

一応、ボスニア・ヘルツェゴビナの地でご飯食べたぞ……ということにしておこうか。

クロアチア側に入ってすぐのマリストン湾一帯はヨーロッパ有数の牡蠣の産地。牡蠣やムール貝の養殖の筏がいくつも浮いている

ダルマチアの海岸沿いにへばりつくような小さな町をいくつも見送ってきた

川のように深く切れ込んだ湾にかかる橋を渡れば、その先はもうドゥブロヴニクのバスターミナル

ネウムのドライブインを出て15分ほど走り、再び国境ブースが現れるも、するっと通過する。そこから5分くらい走った路肩に護送バスのような警察車両が停まっていて、ここでようやくパスポートチェックがあった。乗り込んできた警官が写真入りのページを一瞥していくのみだけど、きちんとひとりひとり確認していた。

全長518mもあるというフラニョ・トゥジマン橋 Most Franjo Tudman が道の先に見えてきた。初代クロアチア共和国大統領の名前を冠したこの橋が架かる前は、峡谷のように深く切れ込んだ湾に沿ってぐるっと大回りをしていかなくてはならなかったけれど、今は一気にまたぎ越す。橋を渡ると一気に急降下してドゥブロヴニクのバスターミナルに到着した。時刻は12時45分。45分遅れだけど、この程度は織り込み済みなので気にはしない。予約したアパルトマンへのチェックインは14時以降なので、無理に時間つぶししなくてすむのでちょうどいいくらい。

いよいよ来たぞ! アドリア海の真珠ドゥブロヴニクに!

念願の地の到着に心弾み鼻息も荒くなるものの、町の入口まではまだ少しばかりあるのよ。

ドゥブロヴニクと呼ばれるエリアはかなり広いのだけど、観光スポットはすべて城壁で囲まれた旧市街とその徒歩圏内にまとまっている。バスターミナルは旧市街から3kmほど離れているので、ローカルバスに乗って移動しなくちゃならない。バス路線はいくつもあって、早朝から深夜まで10〜30分間隔でガンガン走っている。ほとんどの観光客はラパッド地区やバビン・クック地区といった大型ホテルがたくさん集まっているエリアに泊まるけれど、私は大型ホテルである必要もリゾート重視でもないので、城壁内のアパルトマンを予約してある。

いずれにしてもスプリットからのバスを降りた人たちは皆、まっすぐに路線バスの切符窓口に向かっていく。私はそれを横目にターミナル内の設備を視察。ふむ、トイレはここね、荷物預かりもあるわね、空港バスの窓口はここね、中距離バスもここから乗れるのね……など、ひととおりチェックしておく。
で、バスに乗るかというと、まだ乗らない。徒歩数分程度に近接しているグルージュ港 Port Gruz まで歩くのだ。なぜならば事前購入したドゥブロヴニク・カードの引き換え窓口がフェリーターミナル内にあるから。カード購入そのものは、現地のホテルのフロントや土産物店など130ヶ所以上で可能だけど、オンライン購入だと10%オフになる。私が買うつもりの3日券は250knが225knになるわけ。ただし引き換えできるところが数ヶ所しかない。旧市街の観光案内所で引き換えてもいいけど、すぐ見つからないと嫌だし、きっと周りは人だらけだし、ドゥブロヴニクのフェリーターミナルも見てみたかったし、バス代一回分の節約にもなるしね。

グルージュ港はフェリーや客船が着く大きな港で、バスターミナルの前にまで豪華客船がいくつも停泊している。ビルのような大型船の連なりを眺めながら歩いたので、あまり距離は感じなかった。

昼下がりのフェリーターミナル内は閑散としていた。こじんまりしたターミナルだけど、ちゃんと切符売場とチェックイン窓口と乗場があって、それがとても明確でわかりやすい。そんなの当たり前のことなのに、アンコーナのターミナルではそうじゃなかったのよねー……。案内所の窓口もすぐわかり、プリントアウトしてきたバウチャーの番号を見せて無事に引き換え完了。このカードを見せるだけで10数ヶ所の施設に無料入場でき、バスの6回券と近郊のツァブタットへの往復バスチケットもついてくる。

ゲットしたての回数券を使って、グルージュ港のバス停からローカルバスで旧市街へ。バスの切符は磁気テープのついた紙のカードで、運転席横のカードリーダーに通すと裏側に日付と時刻が印字される仕組み。車内はそこそこ混んでいて、こまめに停まっては乗り降りもあり、20分近くかかって終点の旧市街入口に到着した。

ドゥブロヴニク旧市街で暮らすように泊まる

旧市街を囲む城壁には3つの門があり、西側のピレ門 Gradska vrata Pile が観光のためのメインゲートになる。門の前の広場はささやかで、大きくカーブした道が二股になり、その狭いスペースにバスロータリーや観光案内所や旅行代理店がごちゃごちゃ集まっている。観光客や呼び込みなどたくさんの人々でごった返していた。

防御のための城壁なのだから、入口だって防御のために二重構造になっている。無骨なアーチ形の外門の上部からは、町の守護聖人ヴラホの像が入る人たちを見下ろしている。今は涸れている深い濠に架かる石橋を渡って外門をくぐると、狭い階段を降りるか、ぐるりと迂回するスロープを下るようになっている。その先にあるゴシック様式の小さな内門は2人が横並びできる幅しかない。モタモタしてスムーズに入れないようになっているのは、もちろん防衛上の理由から。町に入る観光客もじんわり渋滞するわけだけど、そうやって勿体つけられてようやく足を踏み入れる感激もひとしおというもの。ああ、憧れていたドゥブロヴニク旧市街! 目の前に一直線にのびるのは、旧市街のメインストリートであるプラツァ通り Ulica Placa。うわぁ〜〜、来たわよ〜〜!

宿泊場所はとにかく旧市街の城壁内にこだわって探した。ファミリー対象や長期滞在向けのものが多い中、ようやく見つけた貴重なシングル用のアパルトマン。まだミドルシーズンだというのに一泊€80.10だった。€50くらいの部屋もあったけど、地図で見る限りたくさん階段登ったどん詰まりのような気がするのでね。
私の選んだ Apartments Festa は4人部屋2つとダブルルーム2つとシングル1つの5部屋あるので、一部屋だけ貸すようなところより管理体制がちゃんとしているかなと思ったのも決め手になった。

プラツァ通りを50mほど進んで右側へ路地を入る。そのまま道なりに直進していき、階段が始まる手前に目指す建物はあった。アパート名を記したプレートは見落としそうなほど小さい。奥まった場所にありながらも、バス停から完全にフラットで来られるのは確かにポイント高いわぁ! この宿はBooking comでの評価がとても高かったけれど、さもありなん。ロケーションも設備も無論のこと、実はオーナーやスタッフたちの溢れるホスピタリティこそが高評価に値するのだった。このことは滞在中にも改めて何度か認識することになる。

秘密基地のようなコンパクトなシングル用のアパルトマン。必要最低限のものはちゃんと揃っている。ロフトにあるベッドは広々としたクイーンサイズ。ベッドカバーの上には赤いハート型の花びらを散らすデコレーションがしてあった

扉の前から電話すると、オーナーの女性が向かい側の建物からゴムまりのように飛び出してきて迎えてくれた。ちょっと太ましいけれど品のよいおばちゃまで、ぶんぶん握手してハグして大歓迎してくれる。外扉から入ってすぐの廊下の一番手前、シングルルームだけが入口がグランドフロアにあり、荷物を持って階段を登らなくてもすむのがありがたい。
テーブルの上にはフルボトルの赤ワインが置いてあって「これはウエルカムドリンクよ」とのこと。一般的な750mlではなくて1リットル瓶! おばちゃまはにこにこと部屋やハウスルールの説明をし、地図を広げて観光ポイントや市場やスーパーの場所のレクチャーをし、さまざまなツアーやアクティビティのパンフレットをどっさり渡してくれた後、ウインクして弾むように帰っていった。
「私の家は向かい側だから、何かあったらいつでも呼び鈴鳴らしてね。電話でもいいわよ」おお。それは心強い。

今日から3泊、ドゥブロヴニク滞在は快適なものになりそう!

まずはドゥブロヴニクの目抜き通りで軽くジャブ

荷解きしたり洗濯したりして16時頃までゆるゆる過ごした。さ、そろそろ観光スタートしようかな。ドゥブロヴニク・カードでいくつかの施設が入場無料になるけれど、今日はまだ使用開始しない。引き換え時に3日券というのは3デイズなのか72時間なのかをしつこく尋ね、スタート時刻に関係なく日付で数えるとのことを確認したのでね。そういうわけで、まずはドゥブロヴニク背後のスルジ山 Mt.Srd に登って街全体を俯瞰してみようではないか! スルジ山へのケーブルカーはカードの割引対象外なのだ。

たくさんの観光客で賑わっているプラツァ通りをサラッと歩いてみよう。いったん西端のピレ門前まで戻って改めて周辺をゆっくりと見回す。門のすぐ近くのオノフリオの大噴水 Velika Onofrijeva fontana からは、16面の顔の蛇口から飲料可能な天然水が潤沢に吹き出していて、ペットボトルに水を汲んでいる人たちもいる。

ドゥブロヴニクに来て最初に食べたアイスクリームはミックスベリーヨーグルト。選んだフレーバーのせいもあるけど、イタリアのジェラートよりもサラリと淡白な感じで、日本のソフトクリームに近いかな。暑さの中ではこのくらいの方がベタベタしなくていいのかも

ピレ門の裏側にアイスクリームショップがあった。シングルでもずいぶん大盛りで12knだった。
店の脇の道端で人の邪魔にならないように立ち食い。もう10年20年若い頃ならアイスクリーム片手に街をそぞろ歩きも出来たんだけどね。歳とると手元も不如意になるし注意力も散漫になるので、往々にして余計なトラブル招くことにもなるのよ。こういうさり気ないことがおばちゃん一人旅のリスク回避になるわけ。

プラツァ通りを東端のルジャ広場 Trg Luza まで歩く。こちら側にも "水汲み場" であるオノフリオの小噴水 Mala Onofrijeva fontana がある。旧市街を横断するメインストリートといっても300m足らずしかなく端と端が見渡せる。ドゥブロヴニク旧市街はそれほどに小さいのだ。

町の背後に壁のように立つスルジ山をルジャ広場から見上げた。これからあの頂上まで登るぞ〜〜!

プロチェ門の橋の上から旧港を眺める。今は観光の船ばかりだけど、ラグーサ共和国時代にはこの小さな入り江の小さな港に世界中の貿易船が出入りしたのだ

東側のプロチェ門 Vrata od Ploca を出る。今はピレ門周辺ほどの賑わいはないけれど、ラグーサ共和国の頃にはこのプロチェ門こそが重要な防衛の要になっていたという。だって東側には何がある? オリエント……そう、東の脅威・オスマン帝国ですよ。
ピレ門よりも多い三重構造になっていて、プラツァ通りの突き当たりを折れた先はクランク状に折れた通路。狭い通路は城壁の要塞と一体化していて、三方を高い壁に囲まれ、上方には銃眼がいくつも。やはり内門の幅は狭く、ここにも聖ヴラホ像が刻まれて町を守護している。内門と中門の間には橋があり、さらに外門との間にには深い壕があり、その上が見張り台のある要塞となっている。私は中から出てきたけれど、外側から攻め入ることを考えると、とことん防衛に特化した造りになっているんだなあとしみじみ思う。

でも、それは遠いいにしえの時代のお話。内門と外門の間の橋から眺める旧港 Stara luka はとても美しく、かつての見張り台は緑地公園のような展望台になっている。

ケーブルカー乗場に着くまでのちょっとだけ困難な道のり

プロチェ門と旧港と見張り台は後でゆっくり眺めるとして、まずはスルジ山へ急がなくては。あまり西日にならないうちに山頂からの風景が見たいのよ。

>> 標高412mのこの山は、町や海を見下ろすビューポイントであると同時に、歴史の中で数々の戦渦を受けてきた場でもある。ナポレオン率いるフランス軍の占領、次はオーストリアハンガリー帝国が、旧ユーゴ紛争では山のシンボルだったケーブルカーも破壊されて山の木々は焼かれた。ケーブルカーの運行が再開されたのは内戦から19年も経っての2010年のこと

門を出て道路を渡ったあたりの小さな旅行代理店に「ケーブルカー・チケット」の貼紙があったので、先に買っておくことにする。料金は毎年上がり続けていることで、往復140kn、片道85knもする。片道を1枚と言うと店のおばちゃんは、私が勘違いしているかケチっているのかと思ったらしい。往復切符じゃないと戻って来れないと言う。
「帰りは歩くから」
「えっ! 今日は暑いわよ、とっても急なのよ、石ころゴロゴロよ、大変よ」
商売ではなく純粋に私の体力を案じてくれているのだ。確かにね、ケーブルカー真下の急斜面の登山道を降りるなら、ね、大変でしょうよ。
「えーと、えーとね、私はジグザグの道は降りないの」手をジグザグ動かして大きくバッテン印を作る。「こう、ぐるーーーっと大回りして、隣村まで、景色を楽しんで、ゆっくりゆっくり歩くの……私はね、忙しくないの、その……私には時間がたくさんあるの!」乏しい語彙を駆使してジェスチャーを繰り広げる私の言わんとすることは通じ、おばちゃんは破顔して大きく頷いた。
「ああ! わかったわ。それはとても素敵な散歩道よ」

チケットを入手し、表示矢印に従って乗場に向かう。地図で見る限り、プロチェ門からケーブルカー駅までの直線距離は150m程度だけど、高低差は24mもある。つまり、長距離を迂回していくか、急な階段を登っていくかしかないということ。
えっちらおっちら登っていくと子供の絶叫大号泣の声が聞こえてきた。上の道路まであと10数段というところの踊り場で、5〜6歳くらいのアジア人の女の子がしゃがみこんで泣きわめいている。どうやら韓国人の4人家族で、この子は階段が嫌で駄々をこねているらしい。10歳くらいのお兄ちゃんと父親はうんざり顔で、母親は冷めたような無表情で脇に立っている。
最近は「号泣」という単語の使い方が微妙に間違ってるように思うけど、これは文字通りの大号泣。狂気じみた音量と波長の声に通り過ぎる人たちも明らかに迷惑顔で眉をひそめ、中には舌打ちまでしていく人も。だって「あらあら、疲れちゃったのね」などの微笑ましいレベルの駄々のこね方ではないんだもの。もう幼児とはいえない年齢なんだから、ただただ放置しているってどうなの? 子供を持たない私が言うのもアレですけど。

ケーブルカーに乗って、するっと絶景に逢いに行く

切符売場の30人くらいの行列を横目に、ちょうど発車する函に乗り込めた。女の子の絶叫はここまで響き渡っていて、函の扉が閉まるまで聞こえていた。あの小さな身体であの音量で泣き続けられるのって……まあ、たいした根性とスタミナだわ。

表記はケーブルカーになっているけれど、日本では一般的にロープウェイと呼ばれているもの。わずか5分で一気に山頂駅へ

山頂駅ビルの屋上展望台からさらに俯瞰する。城壁に囲まれたドゥブロヴニク旧市街、青いアドリア海に遠く浮かぶ島々が眼下に

ナポレオンの十字架前の展望台からの期待どおりの絶景。ちなみにこのお兄さん、柵を乗り越えてこのポーズで奥さんに撮影させていた。この後で奥さんも呼び寄せてツーショットを撮るシャッター押しを頼まれた。私は異常にシャッター押しを頼まれる人なのよ……

山頂駅は3層の綺麗なビルで、パノラマビューのカフェレストラン、清潔なトイレやギフトショップや小さな野外劇場があり、展望台には望遠鏡やモバイル機器の充電ができる電源つきベンチまである。ケーブルカー内部からは無論のこと、この展望台からでも旧市街全景を撮ろうとするとケーブルが邪魔になってしまう。

山頂駅から少し西側に歩くと、ナポレオン軍が占領中に建設した帝国要塞 Fort Imperial と大きな白い十字架があり、ここからなら遮るものなく旧市街の眺望ができる。ちなみに、この十字架もユーゴ紛争で破壊されて作り直されたものだそう。

ああ、これを絶景と言わずしてなんと言おう! 来てよかった。晴れてよかった。

山頂で飲むビールはお値段お高めの42kn。トロギールでは大聖堂前広場の一等地カフェでも20knだったっけ。絶景価格、超A級観光地価格ってことよね

まだ日没までは3時間近くあるので、徒歩での下山に備えて英気を養っておくことにした。見晴らしのいいカフェでキリリと冷えたビールを味わっていると、先ほどの韓国人ファミリーも店に入って来た。妹はさすがに泣き止んでいたけれど、まだむくれていて仏頂面。せっかくの美景の前なのに、もったいないよ〜。

スルジ山から隣村までのんびりウォーク

徒歩でスルジ山の上り下りをする人はたいていジグザグ急斜面のハイキングルートを行くらしい。直射日光がきつかったとか、ゴロゴロの石ころが足底に痛かったとか、下山であっても急斜面で怖かったとか、若いうちならともかく中高年以降だと大変だとか、ネットで拾えるのはそういう声ばかり。でも私は隣の集落まで大回りするなだらかなルートを行くつもり。斜面の道は "ハイキング" や "トレッキング" に近いものだろうけれど、これから私が行くのは "ウォーキング"。

左下の鍵爪のような半島が旧市街、赤い丸印がケーブルカーの山麓駅と山頂駅。ネットのガイドや体験記では、スルジ山の徒歩ルートというとほぼ青線の登山道のことしか書かれていないが、私は緑線のルートを歩いた。距離はかなり違うけれど所要時間は同じくらい。周辺風景も含めて旧市街が遠望できるので個人的には超お奨め

十字架の展望台から続く道を降りていく人は私の他には誰もいない。自動車で山頂に来る道路なので傾斜も緩く、ちゃんと舗装されていて、とっても歩きやすい。歩き始めてしばらくは展望台周辺の人たちの声などが聞こえていたけれど、それも徐々に遠のいていった。青い海と旧市街が眼下に見え隠れし、私の周りには草地と野の花、小鳥のさえずりに混じって牛か山羊のような鳴き声かすかに聞こえる。小さな牧場でもあるのかしら。草地の中の小屋のようなものは農家のものかしら。

>> ケーブルカーが再開する何年か前までは、この近くにも撤去しきれなかった地雷が多く残っていたという。内戦が終了して何年も経ってから、花を摘みにきた隣村の少女が地雷で亡くなったらしい。それはほんの10数年前のことでしかない

のどかな草地をしばらく行くと、崩れかけた城壁の切れ端と門の名残りらしきものがあった。くぐり抜けた先は林の中の道になり、ほどなく「BOSANKA」と書かれた看板が現れた。やっぱりさっきの壁はかつて町を区切っていた境界だったみたいね。

少し行くと林の中に慰霊碑のような二つの墓があり、花が飲物が供えられている。墓に書かれている命日はどちらも1991年9月11日で、19歳と21歳で亡くなっている。なんとか読めたのは日付のみで、他はクロアチア語で書かれていてお手上げだった。91年はクロアチア紛争の始まった年だ。ざっくりした下調べでは、ドゥブロヴニクへの砲撃開始は10月1日で9月11日に起きたことの記述はなかった。でも紛争開始初期に焼き払われた近郊の村というのは、もしかしたらここではないだろうか。砲撃開始の3週間前、二人の青年の死はこの村にとって大きな意味を持った出来ごとだったのだろうと思う。

いよいよ下山開始。ケーブルカー駅横の急斜面のハイキングルートではなく、ナポレオンの十字架の下の道を行く

なだらかに整えられた一本道なので歩きやすく、わかりやすい。道の周りはガレ場だけど、可憐な野の草花がたくさん咲いている

曲がりくねった道は、時に青い空と海にまっすぐに向かう

振り返るとガレ場越しに城壁に囲まれた旧市街が見えた。海面が光って綺麗だけど、完全に逆光だ

牧歌的でのどかな草地の小径がしばらく続く。遠くに見える山は隣国ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境かしら

最後にちょっとだけ斜面の石ゴロゴロ道を下らないとならない。でも見えているのはこの絶景。逆光なのがほとほと残念……

ボサンカ村の表示。このすぐ先に慰霊碑はあった

慰霊碑はボサンカの集落のすぐ近くで、木々の隙間から数軒の家の屋根が見えている。この村には知る人ぞ知る名物レストランがあるそうなので、スルジ山の下山帰りにランチで寄るのもいいんじゃないかな? というか、このルートを歩いて旧市街を遠望するのは絶対に午前中を推奨する。夕刻に東側に行ってしまったら完全に逆光になるのはわかってたのに……。私ってバカ。

かなりの距離を歩いた気がするけれど、十字架前での下山開始からボサンカの集落までは20分程度でしかない。半端な時間帯だったせいか、その20分の行程で登ってきたクルマ3台とすれ違い、下りてきたクルマ1台に追い越され、歩いている人にはひとりも会わなかった。旧市街には鬼のように観光客が溢れているというのにね。
集落らしきものが見え始める手前で「こんなケモノミチみたいなところ行って大丈夫?」という感じの道を右折する。一瞬ケモノミチのように思ったけど、進んでいくとちゃんとハイキング道になっている。ちょっと狭くて急で石ゴロゴロで草ぼうぼうだけど、途中で唐突にベンチが登場したりするので、一応ヒトが散策することを想定している道らしい。

ジグザグ登山道を降りていくこと5〜6分で国道8号線の上に出る。シベニクからスプリットを経てずっとつながってきた道路だ。横断歩道はないけれど、道路下をくぐるトンネルがあるので大丈夫

道路を渡った先には斜面に沿ってずっと階段と遊歩道が続いている

もしかしたら旧市街方向への路線バスもあるのかもしれないけれど、このままのんびり歩くことにした。綺麗に整えられた急斜面の階段を降りきり、静かな住宅地の中をとにかく右へ右へ、下へ下へ。住宅地でもあるけれど、半分以上にアパルトマンや部屋貸しのプレートがついている。ガレージや屋上バルコニーまで完備している一戸建てのアパルトマンもいくつもあった。夏のハイシーズンにはこのあたりまで埋まるんだろうなぁ……。

ドゥブロヴニクの夜は穏やかに暮れていき更けていく

再びプロチェ門近くまで戻ってきたのは19時になっていた。大回りで道草しながらダラダラ歩いてだいたい1時間40分かかったということね。短い距離ながら石でこぼこのハイキング道除けば、基本的には緩い下り坂の連続だけで戻って来られる。見晴らしがよく気持ちいいのはボサンカ村までの20〜30分なので、レストランで食事してタクシー呼んでもらうか、バスの乗場を教えてもらうっていうのも賢いかもね。

プロチェ門手前に小さなスーパーを見つけたので、明日からの朝食用の食材を買い込んだ。観光客相手の外食費は高めのクロアチアでも、こうした食材はまあまあお手軽だ。

レジ袋をぶら下げて、往路では横目に通り過ぎた緑地公園のような広場の見晴し台に立ち寄ってみる。なるほど、かつては確かに見張り台だった証拠に、海に向けて砲台が据えられていた。頭上からは大量の雀の声が降ってくる。ぴちゅぴちゅ、ちゅいちゅい、じゅじゅじゅじゅ……と、騒々しい。彼らは夕刻から日没前に寝ぐらに戻って「これから寝るぞ〜」と大騒ぎするのだ。
旧港全体を俯瞰する眺めがいい。でも、ベストビュースペースはカフェレストランのテラス席が独占していた。どうしようかな、疲れちゃったからちょっと休憩していこうかな。だけど、それよりはトイレに行きたいことに気がついて、要冷蔵食品を持っていることもあるしで、まっすぐ部屋に帰ることにした。

プロチェ門から旧市街に入ると、ここでは大量のツバメたちが空を舞いながら「つぴー、つぴー」と鳴きながら大騒ぎ。空はほんのり紫みを帯びてきていて、初夏の夕暮れの風情満点。

スーパーで買い込んできた3日分の朝食用の食材。スライスした生ハムやサラミのパック、エメンタールチーズ、ヨーグルトやミネラルウォーターなどなど。オーナーからのサービスのワインは半端に飲み残すよりはと、そのまま梱包して日本に持ち帰ることにした

21時近くになってディナーに出た。ドゥブロヴニク旧市街にはレストランしかないんじゃないかと思えるくらいに、路地という路地にびっしりとテーブルが並べられている。聖イグナチオ教会 Crkva sv Ignacija の大階段下の広場の一軒に入った。《Konoba Koloseum》という店。Koloseum は Colosseum の意味かな?

選んだのはイカのグリル、つまりは焼きイカ! もうどう考えたって美味しいに決まってるでしょ。中くらいのイカが4つ、シンプルにオリーブオイルで焼いただけ。身が柔らか〜い。びっくりだったのは付け合わせで、ほうれん草のような青菜とポテトが一緒くたになっている。ヨーロッパの常でクタクタに茹で過ぎなんだけど、これが意表をつく美味しさ。何か香味野菜っぽいフレーバーも感じる。

>> ダルマチアでのシーフードの付け合わせは必ずこれなんだそうだ。日本では焼き魚には醤油と大根おろしっていうのと同じくらいに当たり前の組み合わせらしい。帰国後、きざみにんにくとオリーブオイルとアンチョビペースト、茹でたジャガイモとほうれん草、最後に白ワインを足して炒め煮してみたりして自分なりに再現してみた。これがまあGoodGoodで、我が家の定番料理のひとつになったことは言うまでもない

シンプルかつ美味しいアドリア海沿岸の定番の一皿、ヤリイカのグリル。シーズニングサラダとジョッキビールで173kn。イカのグリルやフライはメインディッシュの中では比較的安く、日本人の口に合うのでお奨め

サイドディッシュで頼んだシーズニングサラダは、別に季節もへったくれもない普通の生野菜サラダだった。ドレッシングがちょっと酸っぱい。そういえば、スプリットで食べたイワシのマリネもものすごーーく酸っぱかったっけ。クロアチアのビネガーはかなり酸味が強いってことかしら。

レストランの上の空に、満月にはわずかに足りない丸い月が出ていた。明日も晴れるかしら……

22時を回って、やや人通りの少なくなってきたプラツァ通り。つやつやとした白い敷石に灯りが映ってさらに輝く

気持ちよく満腹して夜の旧市街を少し散策する。プラツァ通りに面した《Mlinar》というパン屋さんで朝食のパンを買った。塩パンとチーズを乗せて焼いたパンを1個ずつで15kn。クロアチアのパン屋さんは安くて、早朝から夜遅くまで店を開けてくれるのは助かるわ。

今朝は早くに出発してきたので眠くなっちゃった。下手に寝そびれるとリズム崩れて面倒なので、このタイミングで早寝してしまおう。22時半にはベッドにもぐり込み、即座に眠りに落ちた。

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