Le moineau 番外編

出発の朝は五月晴れだった

出発前日─というか、出発朝まで、抱えていた仕事を片付けるためバタバタしていた。
夕方頃から夜半にかけて結構タップリ降り続いた雨は、ようやく仕事の目処のたった明け方近くに止んだ。雀たちの起きぬけの声とともに、徹夜明けの目には、やけに爽やかすぎる朝日がさしこんできている。

五月晴れの旅立ち……どんより曇った日に出発するよりは、やはり心浮き立つもの。ところが、爽やかな空の色とは裏腹に、波瀾の幕開けでもあったのである(トラブル・トラベルも楽しいもんだけど)。

荷造りをどたばたとすることは、これまでも何回かあった。ま、いつものことっていうか。
事前にばたばたしたもんで、冷蔵庫の在庫整理に気がまわらなかった。ハンパに残った牛乳、ヨーグルト、野菜ジュース、豆乳をすべて朝ご飯がわりに飲み込み、お腹はちゃぷちゃぷ。この先の日々での「食事『攻撃』」を暗示するかのよう。

今回はルフトハンザ航空を使った。
ホントはもっと安いオーストリア航空を使いたかったのだけど、取れなかったのよね…。成田〜ミュンヘンからドイツ入りし、国内線でドレスデンへと乗り継ぐ。ドイツに行くのは、7、8年ぶりになるのかな…、旧東ドイツ圏の街は初めてだ。
12時10分、ほぼ定刻に飛行機はテイクオフした。

出発前に完了出来なかった仕事が、ひとつだけ残っていた。持参のノートパソコンを立ち上げ、機内で作業する。ドレスデンのホテルに到着後、即、送信する手はずである。こう言ってはナンだが、長くて退屈な機内での時間を有効に使うことが出来たわ〜。

17時30分の予定時刻より10分ほど早めにミュンヘン到着。ここでの乗り継ぎ時間は35分しかなかったので、10分といえど気分的にありがたい。当然余裕で乗り継げた。
ドイツに入国して、チェコ〜スロヴァキア〜オーストリアと陸路で移動し、16日後日本への飛行機に乗るために、再びこのミュンヘン空港へ戻ってくる。

わずか1時間の飛行なので、飛行機の高度はさほど高くない。眼下に広がる初夏のドイツの景色はそれはそれは見事に美しい、さながらパッチワークの絨毯!
柔らかなベロア素材のような、さまざまな明度の緑、緑、緑。
点在する集落の赤茶色の屋根や、教会の黒っぽい尖塔が、ところどころでアクセントとして効いている。
隙間に走る道路は黒いステッチのよう。蛇行する川は銀糸のステッチか…

ヒナコとは席が離ればなれだった。彼女の左側には初老のドイツ人紳士、右側にはラテン系の若いおニイちゃん。彼女がミョーなことやらかさないか、一応観察していたのだが、まーったくの杞憂。
1時間の飛行予定だったが、実際は50分でドレスデンに到着。そのわずかな時間に、彼女は男性ふたりの「高齢者への親切な行為」をばっちり享受しておった。ヨーロッパの人たちはホントに年寄りを大事にする。女性も大事にする。70歳半ばとはいえ、ヒナコだって女性なのだ(笑)。
なんせ動きがトロくて鈍いもんだから…何でも先回りしてくれちゃうの。
シートベルトをしようとすれば、横からすっと手がのびて留めてくれる。はずそうとしても、手がのびてくる。膝上に置いたポシェットや上着がすべり落ちれば、さっとかがんで拾ってくれる。飲み物を配りはじめればテーブルをおろしてくれ、トイレに立とうとすればテーブルを持ち上げてくれ……etc。なんだかもう、3歳児なみにお世話されまくっていた。
弱々しく見える年寄りは、旅をする上において、ある種、最強なのではないかしらね??

やっぱり厄は落ちていないのか?

成田〜ミュンヘン便、ミュンヘン〜ドレスデン便とも、定刻発・さらに少し早めの到着。乗り継ぎ便では一応危惧すべきロストバゲジもなく、荷物はするすると出てきた。去年のイタリア旅行でのユーロも少し残っているので、すぐATMを探す必要もない。小さな地方空港だし、入国審査はミュンヘンですませているから、ボーディングブリッジを渡ってから荷物を手にして到着ロビーに出るまでの行程は、さくさく進む。

この時点で18時15分。
今の季節の日没時刻は、サマータイムのせいもあり21時過ぎなのである。18時なんて立派に「昼間」。おまけに、空港からドレスデン市内までは、Sバーン(近郊電車)で15分という近さ。明るいうちにホテルに到着出来るのはありがたい。

てなわけで、なんだかとっても順調なのよね〜。

空港ロビーからエスカレーターを1本おりれば、もう空港駅。エスカレーター脇の時刻表を見ると、18時27分というのがある。コレに乗れそう。
切符売場はどこかなー、と見回しながら駅におりると、ホームの一番手前に自動販売機が見えており、その向こうに電車の姿が見える。

物事が順調すぎすると必ず落とし穴があるのだ、と知るのは、この後のことである………。

自動販売機にはボタンがずらっと並んでいる。ドイツには、同行者割引とかファミリーチケットとか周遊割引とか、お得なチケットがごまんとあるのだ。
駅名に3ケタの番号のついたアルファベット順の表があり「ドレスデン市内・一律」は大きな文字になっていた。
3ケタ番号を入力し切符の種類を選ぶと金額が表示され、お金を入れるとおつり額が出て、取出し口にランプがついて切符とおつりが出て…………あれ?全部戻ってくる。はぁ?
悩んでいるうちに電車は行ってしまった。まあ、いいや。次の電車は30分後にあるんだし。落ち着いてゆっくり買おう。

ところが、どのお札でもコインでもダメなんである。数字の表示もされてカタカタと音がしてランプもついて……お金が戻ってくるばかり。販売機はこの1台きり。有人窓口は存在すらない。

えー! 工業国ドイツの自販機がコレってどーゆーことよ!

どうせ故障なのなら、ランプが消えてるとか、ハナからお金を受け付けないとか、キッパリ壊れていてほしいもんである。売ってあげる素振りする中途半端なことはやめてよね!
そうこうしているうちに次の電車が入線してきた。降りてきた乗客がゾロゾロと空港ロビーへ向かう。どうしよう? 乗っちゃって車掌に訳を話すか……。この前のイタリア旅行でも深夜のローマ空港駅で同じメにあった。あの時は検札が来なくて、結局無賃乗車しちゃったんだっけ…。

中年夫婦がエスカレーターから降りてきて販売機の前に立った。ドイツ人ではないようで、どう買うのか悩んでいる。「コレ壊れてるよ」と言ってみたが、英語がわからないようだった。「ここ押して、こうやると、ここに表示出て。お金入れて。でも、お金戻るの。買えないの!」実演してあげ、手でバッテンをして首をふってみた。彼等はふーんという表情で見ていたが、「じゃ、終わったらどいてね」てな感じで私と同じことをし、戻ったお金を見て不思議そうにしている。
だから、壊れてるんだってば! 人の話聞けよ!

結局、切符を持たないまま乗ってしまった。さっきの夫婦も、後から来た人たちも皆そのまま乗っちゃったからね。「赤信号みんなで渡れば…」の心理である。

中央駅の二つ三つ手前のドレスデン・ノイシュタット駅が予約したホテルに近い。駅の数にして5〜6つ、15分足らずである。走りはじめてしばらくすると、車掌が隣の車両に検札に来ているのが見えた。切符を持たない乗客たちがお金を払っているみたい。よかったー、車内精算出来るのね。ところが、何組かの客相手に談笑なんかしつつゆっくりやってるもんだから、なかなか私の番にならない。次の駅で降りなくちゃ、なんである。間に合わなかったら、まるで逃げるみたいじゃないの! ちょっと慌てたが、ノイシュタット駅直前なんとか間に合った。
車内精算だからといってペナルティは加算されず、販売機と同じ金額だった。

註)イタリアでは「まず切符を入手すること」に奔走しなくてはならなかったが、今回の旅ではどこでも「乗車時に払う」ことが出来たので、かなり楽だった。

まだ7時半になっていない。日没まで2時間もあるんだから、充分に昼間である。初めての町で地図を頼りにホテルに向かうのに、明るいか夜かで全然安心感が違うもんね。
さて、ユーロの現金をおろしておかなくちゃなのだが、駅のATMは故障していた。しょっぱなから機械との相性が悪いなぁ、もう! 30ユーロ(4000円ぶんくらい)は持ってるから、とりあえず今晩は大丈夫かな?

註)翌日、よく見たら、私の口座のある銀行とは提携していないATMだった。おろせなくて当然である

まずはとっととチェックインして、データを送信したあと、ホテル近くの店で美味しいドイツビールでも飲んで……旅のスタート気分を味わうことにしようね。

が、しかし、この楽しい計画は根底から覆るのであった……。

エルベ河畔のゴージャスホテルへ

ザクセン州の州都ドレスデンは旧東ドイツの東南のはじっこ。バロック様式の見事な町並は、第二次世界大戦の空襲で一夜にして破壊されちゃったのだ。でも歴史的建造物はほとんど昔どおりに再建されている。6〜7年前、やはり町の9割が空襲でやられたニュルンベルクを訪ねたが、昔と同じ姿に復興されていた。ドイツ人のそういう姿勢、素晴らしいと思うのよね。日本だったら、真っ平らに均して全然別の町を作っちゃうんじゃないか…と。

15分ほど歩くと(荷物付き&年寄り付きなので、普通の人なら7〜8分程度かと)、ノイシュタット・マルクト Neustät Markt という広場に出る。広場の真ん中に、馬にまたがったアウグスト強王の金ぴかの像が鎮座している。

アウグスト強王とは誰ぞや?
ザクセン選定候フリードリヒ・アウグスト1世のことで、大変な力持ちで素手で馬の蹄鉄を折ったとか、女性にモテモテで実子が360人もいたとか、まあ「ホントかよ?」みたいなプロフィールなのである。色も金も力も全部揃った、男性にとってはこんちくしょう!な、お方だったよう。この像も、戦禍の瓦礫の中から無傷で見つかったというから、強王の名もダテではないのかもね。
でもまあ、彼が集めた美術品や陶磁器のコレクション、近郊の城など、残した歴史的財産は多いわけである。250年以上たった現在、遠い極東からのへっぽこ旅行者がそうしたものを堪能出来るのも、強王さまのおかげ。

強王さまの金ピカ像。伊達正宗の同じような銅像を見たことある。偉くて強いヒトは馬に跨がると同じポーズをとってしまうものだろうか…?

ノイシュタット・マルクトに面して、今晩の宿ウェスティン・ベルビュー Westin Bellevue Hotel はある。
「ベルビュー=美しい眺め」の名のとおり、エルベ川沿いに大きな庭園を持つ高級ホテル。慌ただしい旅しか出来なかった会社勤めの頃はともかく、最近は、旅行日数を長く取るため宿泊費を抑え目にしているので、このような高級ホテルには縁がなかったの……。
実は、旧東ドイツ地区って宿の値段自体が結構高めなのだ。日本のビジネスホテルに毛が生えた程度の三ツ星でもツインが¥15000以上する。ところが日本の予約サイトで、5月26日までの特別セールを見つけてしまった。翌日から値段は1.5倍に跳ね上がる。ラッキー♪
こういう大型で設備の整った綺麗なホテルは、パッケージツアー御用達なんだろうなぁ…。

通された部屋はエルベ川に面した側ではなかった。うーん、ちと残念。でも特別セールの部屋だしね……。部屋の調度や設備は綺麗で機能的だけど、情緒のあるものではなかった。
観光客も多いが、ビジネスマンのために、各部屋に高速データポートもついている。いろいろ機材の揃ったビジネスセンターもある。
よし! 早速データをサクッと送信しちゃおう。その後、街にビール飲みに行こうーっと。で、お風呂入ってさっぱりしたら、明日からにそなえてぐっすり眠るんだ〜。

繰り返しになるが、この計画は覆る……。

長い長い長い夜の始まり

ネットに繋がらない。

設定を変えてみたり、アクセスポイントを変えてみたり、データポートに繋ぐのをやめて電話器に繋いでみたり……さまざまやってみて、自分のパソコンのモデムが壊れたらしいことがわかった時には、2時間以上たっていた。もう10時である。ビールを飲みに行くどころではない。

私はパニックになっていた。ヒナコは「どうしちゃったのぉ? 何が起きたのぉ?」と呑気に尋ねてくる。インターネットとTVの違いもよくわかっていない彼女に説明することは出来ないし。私自身、どうしていいのかわからないのよ。

ネットに繋ぐだけなら、ホテルのビジネスセンターのPCでも、町中のネットカフェでも、何でもいい。メールでの連絡だけなら、文章だってローマ字で打てばいい。だが、私は、自分のパソコン内のデータを送信したいのである。なのに、外部と接触出来ない「絶海の孤島」状態なのである!!

外付けのFDドライブとFDを持ってくればよかった…!
USBスティックでもいい…!
私のPCがCD-ROMに書込みの出来るものであれば…!
外部に一旦データを移せば、他のPCから送信出来るのに。仕事は「万が一」を常に考えなくちゃいけないのに。二重三重に保険をかけなかった私の落ち度だ。

ホテルのビジネスセンターはもうクローズしていたが、フロントに頼み込んで開けてもらった。

…が。だいたいにおいて、私はパソコンの設定関係には詳しくないのだ。応用力が乏しいというか…。自分がいつも旅先でやっている方法(内臓モデムを使って電話器からダイヤルアップで接続)がダメだと、代替案が浮かばないんである。
切羽詰まった私の様子を見て、ホテルの男性はケーブルを貸すから、ホテルのPCに直接データを移してみてはどうか?と言ってくれた。
私はMacユーザーで、大方のパソコンはWin機。LAN接続の知識は私にはない。ホテルマンも接続の方法まではわからない。まして夜中だ。

もう12時をとうに回っている。荷造りから出発までの1時間ほどのウトウトと、飛行機で1時間ほどまどろんだ他は、起きてから46時間くらいたっているのに、頭が混乱して眠るどころではない。ヒナコは、さっさとお風呂に入って気持ちよさげに寝息をたてている。私がこんなに困っているのにグーグー寝やがって…と親不孝にも思ってしまうが、八つ当たりってモンよね。

とりあえず、データが送信出来ない旨、先方に連絡しなくてはならない。電話で直接説明しよう。日本が朝の9時になるのは、夜中の2時である。一旦お風呂にでも入って、パニックになった頭を静めなくっちゃ。
ぬるめのお湯にゆっくり浸かるが、頭の中が交錯している。全然リラックス出来なかった。
のろのろとバスタブから立ち上がる。その時、シャワーカーテンの裾を踏んでしまった。カーテンを通したバーは壁にビス留めされておらず、いわゆる「つっぱり棒」だったのだ。

一瞬、何が起きたのかわからなかった。
脳天をカーテンのバーで強打、落ちてきたカーテンがかぶさって視界が途絶え、よろけた拍子で向こう脛をバスタブの縁に強打、その勢いで倒れて便器に額を強打…それもびしょ濡れの素っ裸で!という、マンガのようなことをした──ということが理解出来るまで、しばらくかかった。内部から外部から、私の頭はダメージ受けまくり。
裸のまま頭かかえてしゃがみ込み、しくしく泣きそうになった。…いや、ちょっと泣いた。ヒナコはすーすーと寝ている。八つ当たりだが、ムカついた。

時間をはかって国際電話をかける。ところがかからない。フロントに電話して「国際電話がかからないよぉ」と訴える。もう一度トライ。かからない。「やっぱりかからないよぉ」
結局、私がゼロをひとつ押してなかっただけだった。完全に頭が混乱しているのだ。あー、もう馬鹿、馬鹿、馬鹿ーーーッ!!

相手が席をはずしていたりして、なんとか電話連絡をすませた頃には、空が白んでいた。少しでも眠っておかなくちゃ…

ホテルの庭からは、この光景が「今晩のうちに」見られるハズだった……。

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