Le moineau 番外編 - すずめのポルトガル紀行 -

海岸線の展望、独り占め!

昨晩は寒かった。お風呂がぬるく充分に温まることができなかったこともあるが……。夜中にクローゼットから予備の毛布を引きずり出したのだが、これがまた、鉄線で織ってあるのでは?というような重くて硬いシロモノ。目覚めた時には身体が硬直しかけていた。熱いシャワーを浴びたいところだが、それも望めない。

いや、シャワーはこの際どうでもいい。昨晩急遽立てた計画通り、朝食前に展望台に登って海を見るのだ! 7時過ぎ、いそいそとホテルを出てソウザ・オリベイラ広場近くのケーブルカー乗場へ向かう。
砂浜に沿って広がるここプライア地区A Praiaと、崖上のシティオ地区O Sitioを結ぶケーブルカーは、地元の人たちの日常の公共交通機関である。だからこそ、朝7時台から片道€ 0.85なんて値段で乗れるのである。7:15の始発には間に合わなかったが、7:30のに乗れた。乗客は私たちを含めてたったの4人。パステラリアで買ったパンを齧るおじさんと、ペンキまみれの作業着のお兄さん。「ボン・ディア」と朝の挨拶。

ケーブルカーを降りて民家の隙間を抜け、展望台のある広場へ。途中で出会った散歩のお爺さんにも「おはよう」の挨拶。こんな時間から開店準備を始めている土産物屋のお婆さんたちにも挨拶。廃屋前のにゃんこにも挨拶。

展望台のある広場には鳩しかいない

地球って丸いんだなあ……

集落の背後の丘から昇る朝日、無人の砂浜、水平線に残る朝焼け

屋根もアズレージョで飾られた可愛い礼拝堂。中も見たかったなあ 朝日を浴びるノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会。ここの中も見たかったなあ

時間帯によっては観光客で溢れているであろう広場には、鳩しかいない。広場に面してノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会Igreja Nossa Senhora da Nazaréが堂々とした姿を見せている。残念ながらまだ扉は固く閉ざされていた。展望台の手前には小さなメモリア礼拝堂Capela da Memóriaがぽつんとある。ここの扉もまだ閉ざされている。時間が早いんだもの、仕方ないよね。そのかわり、海岸線を見下ろす展望台には誰もいない。絶景がぐるりと独り占めなのだ。

白い壁に赤い屋根の集落、背後の丘陵からは昇りたての朝日が、夏のシーズンにはパラソルやデッキチェアでびっしり埋まるであろう無人の砂浜に長い影を落とす。美しい海岸線に白く砕ける波の音がこの高さまで聞こえる。青というよりは紺色の海、水平線の向こうには朝焼けの朱をうっすらと残している。まだ空気は冷たいのだが、太陽の当たる左半身だけがほっこりと温もってくる。
写真を撮るベストスポットなのだろう、展望台の先端部に人ひとり分の出っぱりが設えてある。普通ならぞろぞろ順番待ちで「ハイ、撮ったわね〜、どいてね〜」なのだろうけど、今は思う存分独占状態。日が高くなるに合わせて、海の色も刻々とその明るさを増していく。



崖の先端。もうちょっと先っぽまで行ってみたかったが、ヒナコに阻止された

足長すずめとヒナコの図。この道を崖のところまで行ってみよう

廃屋の前にいた黒にゃんこ。目線を合わせてポーズ、シャッター切り終えるのを待ってくれたが、近寄ると「うな」と一声啼いて、ドア下の穴から中に入ってしまった。うなチャンと命名する

展望台からさらに進んでいくと、かつてサン・ミゲル要塞Forte de Saõ Miguelのあった場所に小さな灯台があるのが見える。崖ギリギリまで行ってみた。水平線が緩い弧を描いている。地球って丸いんだねぇ……。
もっとずっと海を見ていたかったが、お腹が空いてきた。昨日あれほど蛸リゾットを詰め込んだというのに、ちゃ〜んと消化してるんだから…(笑)。じゃ、朝ご飯食べに戻ろう。ちょうど8:30のケーブルカーに乗れそうだし。細い階段も崖にへばりついている。これを降りたら大変だろうなあ……。登るのはもっと大変だろうなあ……。

しょぼい朝食。デザートは市場へ行こう!

期待はしていなかったが、朝食はしょぼかった。卵やベーコンなどのホットディッシュはなし、果物もヨーグルトもなし。ハムとチーズが1種類ずつでもあるだけ良しとしなくちゃ。コーヒーは、昨日のホテルよりもさらに最悪に不味かった。なんだかなあ…、昨日のリゾットの残りを温め直して食べたいくらいだわ。もう捨てられちゃっただろうけど。

義務のようにお腹に詰め込んで、海岸通りをバスターミナルへと歩く。今日は近郊のバターリャとアルコバサに行くのだ。どちらも世界遺産である修道院を持つ小さな町。うまくハシゴして、昨日見損ねた「大西洋に沈む夕陽」を見られる時間帯には戻ってこなくては! 今日こそは計画を遂行させるゾ!!

バスの時刻の10:49にはまだ時間があるので、バスターミナルの斜め向かいにある市場Mercadoを覗くことにした。入口をくぐると、体育館のような広くて天井の高い空間に、びっしりと店が並んでいる。色とりどりの野菜や果物、焼きたてのパン、肉、魚介……。籠に入れられて菜っ葉をもしゃもしゃしている兎、やはり籠に詰め込まれてコケコココと啼くニワトリ……彼らは「ペット」ではなく「食材」として売られているのだ、多分。

市場に並ぶ果物や野菜が色鮮やか。こんな店が何店鋪も並んでいる。生活感全開の場所は楽しい

朝食のジュースは生でなかったし、果物もなかったので、ビタミン補給のためにリンゴとミカンをいくつか買った。お店のお婆さんの言う値段はポルトガル語なので全然わからない。ボッたくりもあるまい、ポケットのコインをざらっと掌に広げる。お婆さんはそこからいくつかコインをつまみ上げた。たった€ 0.45、僅か¥80。
よし、海辺でデザートを食べよう!

いそいそと、また海岸通りに向かう。通りに並べられたベンチは、地元の散歩爺さんたちに占拠されていたので、道端に直にペタリと座る。日本のミカンと形状も大きさもそっくりなのだが、ジューシーで甘味が少なく酸味が強い。日本のミカンはするっと剥けるが、なかなかにしつこく皮が張りついている。外の皮が剥がれにくいくせに内袋の皮は薄く、おまけにジューシーなので、パンクさせてしまい手がベタベタ。それでも朝の海風に吹かれて食べる果物は美味しかったので、リンゴ1個とミカン2個ずつをペロリと食べてしまった。明日の分も買ったはずなのに……。

海辺でミカン。撮影中ちょっと奇異の目で見られていたような……(笑)。決してミカンが珍しかったわけではない

カモメの足跡。がに股でなく一直線に歩くのねぇ……モデル歩きってこと?

そろそろバスに乗らなくちゃ。バターリャまで€ 3.05。予想通りバスは10分遅れてやって来た。

「戦い」という名の町

今日の路線は、昨日までの高速バスではなく、近郊の町を繋ぐ「地元のバス」だ。乗客も地元のおばさん、お婆さん、お爺さん、学生らしき青少年。観光客らしき人はほとんどいない。頻繁に停留所に停まる。バターリャまでは約40分とのことだったが、1時間近くかかった。途中の停留所であまりに長く停まるので、ちょっと不安になって前のおばさんに「バターリャはまだよね?」と確認をとったり。
ほどなくして、前方に大きなバターリャ修道院Mosteiro da Batalhaが見えてきた。修道院をぐるりと遠巻きに廻ってバスが停まったのは、ターミナルではなくただのバス停だった。バスに居合わせた爺婆オバさんたちが口を揃えて「バターリャだよ」「ここだ、ここだ」。世界遺産のある町なのに、降りたのは私たち二人と一人旅らしき若い女性だけ。

バス停には時刻表なんぞ貼ってない。まずは観光インフォメーションに寄ってバスの時刻を教えてもらわなくちゃ。バス停から向かうと大きな修道院のちょうど裏側に出る。このお尻のあたりにインフォメーションはあった。
ポルトガルのインフォメーションはみんなとても親切でフレンドリー。ここの女性もとても感じがよかった。「どこから来たの?」「日本。ポルトガルはいいところね」というお決まりの会話をし、アルコバサ行きのバスの時刻を教えてと言うと、ソラでポストイットに書き町の地図にペタンと貼ってくれる。13:52というのに乗るしかなさそう。たった2時間か……。お茶休憩もしたいから、3時間は欲しいんだけどな、でも仕方ないな。



後陣より見た修道院。手前の礼拝堂の天井がないのがわかる

陽射しが強いので夏のようだが、季節はきちんと「秋」している

正式名称を「勝利の聖母マリア修道院」というこの建物は、32000の大軍カスティーリャに7000余で迎え撃ったポルトガル軍が奇跡の勝利を遂げ、戦勝祈願した聖母マリアを讃えて建立されたという。町の名のバターリャは「戦い(バトル)」なのだ。そうして、王国消滅の危機を救い新王朝誕生に繋がるこの勝利は、そのままポルトガル黄金時代の幕開けとなるのである。

この威風堂々とした──年月を重ねて黒ずみ剥げ落ちた壁もまた独特の美しい風合いとなった──壮大な建物に沿ってぐるりと歩き、廻りこんだところが正面入口。扉の上部も緻密な彫刻で埋め尽くされている。またも切符売場でチケットのプリンタが故障し、斜めに重なって印字されてしまった。€ 4.5、シニアのヒナコは€ 2.25。
そして、ここでも私は「学生?」と聞かれてしまった。違〜う! まあ、確かに丸顔で童顔だけどさ、服だってカジュアルだけどさ、この二重顎を、三段腹を、見てもそう思うのかね? 本音を言うと、5〜6歳くらいなら嬉しいけど、そこまで若く見られると複雑な気持ち。だって、私はかれこれ四半世紀を社会人として生きているんである。その年輪の積み重ねが全然出ていないってこと?と何だかがっくりする。まあ、流石に日本ではそんなこと言われないので、単純に東洋人の年齢が彼らに判断しにくいだけのことと思うが。

でも、レストランなどではちゃんと「マダム」と声かけしてもらえるので、いつもいつも娘っこに見られているわけではないと思う。
ヒナコ曰く「こういう薄暗い場所で、顔だけ一瞬見ると角度によっては学生みたいに見えちゃうかもね。わからないでもないかも」
そうかもね、こっちの若いコって結構老けて見えるコもいるしね。
さらにヒナコ曰く「よーく見れば、おナカぽっこりで小皺だってあるのにねぇ」
……って、おい! いや、その通りですけども。
「でも、あなたが学生に見られて、私がシニアって………親子じゃなくて、祖母と孫かと思われてるってこと……?」自分で言い出しておいて、ヒナコはじんわりショックを受けていた。

修道院内部は様々な建築様式の宝庫

入ってすぐの聖堂は、さっぱりと簡素な作りだが、ステンドグラスがとても綺麗だ。暗い床に色のモザイクが散らばっている。教会のステンドグラスはあちこちで数々見たが、ここまで鮮明に色を落としたものに出会ったことはない。太陽の向きと高さ、光の強さがばっちりだったのだ。なんて美しくも清楚で荘厳な雰囲気なのだろう。信者でなくても厳粛な気持ちになり、知らず知らずに頭を垂れてしまう。

教会内部に落ちるおごそかに美しいステンドグラスの影

聖堂から王の回廊Clustro Realへと入る。コインブラの旧カテドラルにあった簡素な回廊とも、同じくコインブラのサンタ・クルス修道院のアズレージョで装飾した回廊ともまた違った美しさを持つ回廊だった。繊細な彫刻の施された狭間飾りは、緻密なレース編みのようだ。

交替のため行進していく衛兵たち。観光客は足留め

じっと人形のように墓を守っている。どこの衛兵もそうだが、カメラを向けても微動だにしない

回廊側から見た参事会室のステンドグラス

回廊の途中で人だかりがしている。無名戦士の墓がある参事会室Sala do Capítuloの入口で、ちょうど衛兵交替の時間だったらしい。部屋の内部にいた人たちは壁の隅に立たされ、外の人たちは足留めをされていたのだ。迷彩柄の軍服に銃を持った3人の衛兵たちが、ガッガッと軍靴の踵を鳴らして歩いて来る。3人のうちのひとりは、こないだまで頬の赤かったような、コドモコドモした可愛い少年だった。部屋の中央で交替し、今まで守っていた3人が再び踵を鳴らして去って行った。
柱が1本もない広い天井を持つこの参事会室は、衛兵たちの厳めしさとキリスト苦難の場面のステンドグラスの美しさとが奇妙に調和する空間だった。

回廊は2つの中庭を巡り、一番奥の仕切られた一画は彫刻を修復する工房になっていた。

いったん外に出て建物のお尻側へ廻ると、そこが未完の礼拝堂Capelas Imperfeitas。ここの彫刻装飾もそれはそれは繊細で美しいのだが、なんせ「未完」なので、ドーム天井がすっぽりとなく、青空が見えている。本当にプッツリと途中で止めてしまいました、という感じ。
教会の礼拝堂というものは大抵薄暗く、それ故、ろうそくの火やステンドグラスの僅かな光が厳粛な雰囲気を醸すものなのだが。陽射しが燦々と降り注ぐ明るい礼拝堂は、奇妙でもあり、また白昼夢のような不思議な魅力も生むものだ。

回廊のアーチ飾り越しに中庭と鐘楼を望む

狭間飾りの影が落ちる回廊

レースのような繊細な彫刻の「未完の礼拝堂」の扉口

本来あるべきドーム天井がすっぽりとない

暗い床に落ちるステンドグラスの影をもう一度見たくなって、最初の礼拝堂に戻ってみる。まだ若干残ってはいたが、さっきほどの艶やかさはない。光の向きが変わったんだね、いい時間に当たったね。でも戻ったおかげで、入口すぐ脇の創設者の礼拝堂Caprla do Fundadorなるものを見落としていたことに気づいた。最初に入った時は向こうに見えた色の影に引かれて、脇目もふらず奥に直進しちゃったから。「創設者の…」の名前通り、ここに置かれた棺は建立したジョアン1世とその王妃のもの。

苦行の炎天下のバス待ち

時間が足りなくなったら大変と、足早に廻ったので、バスの時刻まで30分ばかり余裕がある。修道院の真ん前のパステラリアで、建物をじっくり眺めよう。

修道院の真横のパステラリアでナタのおやつ

パステラリアのおばさんは、どっしりしたポルトガルの肝っ玉母さん。食事したいところだけど、時間がないのでお菓子にした。こんがり焼けた大ぶりのナタ、両手に持ってぱくりと噛み付いた瞬間、にこにこ微笑む肝っ玉母さんと目が合う。
「美味しい?」「…(もごもご)」首だけ縦にぶんぶん、指で丸印。
ナタはポルトガルのどこにでもあるポピュラーなものだが、ポルトの店で食べたものとはまた味も違う。ここの店のは、クリームが柔らかくて甘さ控えめだった。うーん、これは「一日1ナタ」として色々試してみたいものだ。でも他にも食べてみたいものいっぱいあるしねぇ。カフェ2杯とナタで€ 2.60。
バターリャは、世界遺産の修道院を持ってはいるが、長閑で小さな田舎町。もっとゆっくり出来たらよかったね。

しかし、今日もまた暑くなってしまった。午後になって、さらに太陽もやる気満々。13:52のバスに乗るため、一応余裕をもって10分くらい前にバス停に着いたが、陽射しを遮るものが何もなくて、もう暑いのなんのって。ヒナコはわずかひとり分の幅しかない柱の影という場所をゲットしたが、私はカンカン照りに炙られるしかない。いったい11月でこの暑さというのは、ポルトガルでは毎年のことなんだろうか? それともやっぱり異常気象なの?

三々五々、バス停に人が集まってきた。55分頃近づくバスの姿が見えた。離れた壁際の日陰に避難していた人々がわらわら集まってきて、てんでに行き先を聞く。負けてはならじと後ろから私も叫ぶ。
「アルコバサ?」…違った。やっぱり遅れてるのね。またバスが来た。高速バスのデカい車体だし、レイリア行きと書いてあるから、多分違うと思うけど、念のため聞く。違った。
さらに待つこと10分近く。ようやくアルコバサを通るバス到着。運賃を払おうとジーンズのポケットに手を突っ込んだら、コインが熱々になっていた。待ったのは20分程度なのだが、あまりの焦熱地獄に1時間以上にも感じた。バターリャからアルコバサまで€ 2.55。

実は、ナザレ〜アルコバサ〜バターリャを繋ぐこの地元バス、ヒナコにものすごく不評であった。カーブをごんごんと走るので振り落とされそうだと言うのである。歳とって手術して痩せたから、尻の肉が落ちちゃったからね、安定悪いんですと。こちらのおばさんのようなどっしり臀部ではないからね。また、椅子が高くて足がつかないせいもある。乗り物に乗ってる間くらいは私も楽にしていたいものなのだが、結局彼女を支えていてやらなきゃならない。突然腕に爪立ててわし掴みにされるのって、結構痛いのよ〜。

執念の「愛こそすべて」

アルコバサまでは僅か20分、ここも世界遺産の修道院を持つ、修道院“しか”ない小さな町。アルコア川とバサ川という小さな2つの川の交わる場所にあり、名前の由来もそこからだそう。小さいながらも一応バスターミナルがあるので、ナザレに帰る時刻もその場で調べられる。日没前に戻るには、やっぱり2時間半くらいしかない。
ターミナルの建物を出て4〜5分歩くと、巨大なサンタ・マリア修道院Mosteiro de Santa Mariaの裏手に出る。バターリャの修道院は勝利を記念したというその成り立ちからか、修道院というには壮麗で雄大な外観であったが、ここはいかにも「禁欲」「清貧」といった匂いがする。大きくはあるが、白く質素な建物に沿って進む。二等辺三角形の形をした広い4月25日広場Pr. 25 de Abrilに面した正面ファサードは、やはりそれなりに豪華で風格が漂う。

ここでもまずは修道院を見て、残りの時間をおやつ休憩に充てよう。€ 4.5払って中へ。ここにはシニア料金はなかった模様。あったのかもしれないが。

いかにも規律の厳しい修道院といった趣きの2階建ての質素な建物だが、正面ファサードはそれなりに威厳ある立派なもの

最初に足を踏み入れた聖堂の身廊も、装飾を排した質素なものだが、逆にその簡潔さが清楚な印象。この簡素な修道院で、翼廊に安置されたペドロ王とイネスの棺だけが唯一、華麗な装飾を纏っている。ペドロ1世とイネス・デ・カステロの悲恋の物語──ざっくり言ってしまうと。
政略結婚の妻の侍女に恋してしまい、立場をわきまえ固辞する彼女に徹底アプローチ、そのうち彼の熱意に負けてしまうも、激怒した父王に彼女を幽閉されてしまうも諦め切れず密会、世継ぎを産んだ妻が若くして死去した後、イネスを奪い返してようやくふたりの愛の生活開始、父王も仕方なく黙認、子供も生まれて一見平穏な日々だが、父王の重臣ズが後継者問題を危惧してイネスを暗殺、父王の死後即位したペドロは、逃亡した暗殺者をしつこく探し出して処刑、彼女の遺体を掘り出して、その骸に化粧と衣裳宝石を纏わせ正式な王妃披露目の儀式に──そういうお話。

これを純愛と呼んでいいのか、もはや妄執の域なのか……私には判断はつかない。どちらかというと「妄執」な気がする。「狂気」とも思えなくもない。政略結婚相手の妻もなんだか可哀想。嫁いでくるのに自分の意志はなかったろうけど、自分の侍女に夫を取られて、世継ぎだけ産まされて、早死にして。ペドロ1世はこれといった功績も在位中にはなく、凡庸な王であったらしい。つまり、この“悲恋のエピソード”がなければ記録に残る人ではなかった。彼が王の世継ぎに生まれたことが、悲恋の原因だったように思える。愛だけに生きるわけにはいかない立場だったのだから。

この物語はヨーロッパ諸国で文学や演劇の題材になったという。あくまで片側からの一方的な視点、演劇で脚色され有名になった実話、そうでなければ特筆すべき人物ではあり得なかったなどなどの点で、『忠臣蔵』と似てなくもないな。

簡素ではあるが、真っ白であるが故に清潔感漂う聖堂内部

手前がイネスの棺。王の棺と並べるのでなく足裏を向けて安置してあるのは、目覚めて起き上がった時、最初に顔を見合わせるためだとか 遠足らしき子供たち。「先生のおはなし」よりも見慣れぬ東洋からの旅行者の方に興味津々の様子

ふーーーん、と思いながら、安置される彼らの棺を見る。そんなエピソード抜きにしても、緻密な彫刻で飾られた棺は見事だ。先の修道院でもそうだったが、王様の棺はライオンが支えている。

清貧の修道院はなかなかに画期的

絵物語のアズレージョで飾られた王の間Sala Realを抜け、中庭を囲む沈黙の回廊Claustro so Silencioへ。ポルトガルのそこそこの規模の教会は皆、中庭を囲む回廊を持つらしいこともわかってきた。ここの回廊は2階もある。1階の部分と装飾の様式が違うので、おそらく増築されたものだろうが、この簡潔な美しさを損ねてはいない。

「王の間」のアズレージョの1枚。これが部屋全体にある

ぐるりと飾られた歴代王の彫像。壁には修道院の絵物語のアズレージョ。ここから回廊と中庭へと出られる

アーチの彫刻はバターリャのものに比べて簡素。回廊には2階部分も造られている。ここへ上がる階段があったのかどうか…? うっかり見落とした

禁欲的規約を持つシトー会の修道院だが、最大999名の修道士たちが暮らした大所帯でもある。聖堂や回廊という荘厳で厳粛な場所から奥へと進むと、大人数の共同生活の日常を垣間見ることが出来る。
修道士が一堂に会した広い食堂には、すみっこの説教壇の下に小さな扉口が残る。修道士のおデブ度チェックだそうで、通り抜け出来ないヒトはダイエットしなくちゃならなかったらしい。清貧を旨として修道士の太り過ぎまで禁じていた割には、厨房の広さデカさといったらなかった。どすんと鎮座する巨大な煙突、その下の調理竃は6畳間くらいの広さ。一度に牛が5〜6頭くらい焼けそうだ。ダブルベッドサイズの調理台、子供のビニールプール大の鍋釜類、浴槽だったら10人くらい入れそうな水場……。

その水場はアルコア川からの清流を引き込んだもので、今でもちょろちょろと水が流れている。やはり川の流れを利用して水洗便所も造っていたそうで、12〜13世紀という時代を考えるととても画期的で合理的な工夫だったのではないだろうか。



広い食堂

調理竃の上を巨大な煙突が覆う。手前は水場

ちなみに食堂のおデブチェック、私は通り抜けられる幅でした(笑)

井戸端会議の婆さん軍団

ポルトガルの町にはいたるところにあるパステラリア。カフェ類、アルコール、お菓子類、パンやサンドイッチ、簡単なお惣菜みたいなものがいろいろあって、朝早くから夜遅くまで開いてるとってもありがたい存在。ヨーロッパではコンビニが普及しないのがよくわかる。少なくとも飲食部分ではコンビニと同等以上に便利な存在だ。

何かお菓子を選ぼうと思ってガラスケースを覗いてみたのだが、何種類か並んだコロッケのようなものを見て、そっちを試してみたくなった。そう、レストランでは出て来ないB級フードを。バカリャウのコロッケをひとつと、もうひとつ美味しそうに見えたものを指差して聞いてみた。おばちゃんはニコニコして「カルネイロのなんたらかんたら」。カルネイロって何だろう? わかんないけど。きっと失敗しないだろうから、それもひとつ頼んだ(後で調べたらマトンのことだった)。

バカリャウのコロッケは、ジャガイモの中に少し干し鱈が混ざっている程度だろうと想像していたら、中身はほとんど鱈で、少量の芋でつないだという感じ。それを丸めて粉ふって揚げただけのもの。何かハーブらしき緑色のものが点々と入っている。コリアンダーかな? 粗く摺った薩摩揚げみたいで、すごく美味しい。
そして、その時はマトンと知らなかったもうひとつのコロッケは、もっと美味しかった。硬めのクリームソースの中にミンチ肉が入っている。春巻のような薄い皮で四角く包んで少し衣をつけて揚げてある。ビーフコロッケみたいなんだけど、ちょっと違う。何だかわかんないけど美味しい〜〜。マトンだったとは! どちらも冷めていたけど、そこそこ美味しい。これ、揚げたてだったら、多分すご〜く美味しい! コロッケふたつとカフェふたつで合計€ 2.60。コロッケ食べるんなら、ビールにした方がよかったかな…。

修道院を望む一等席は地元の婆さんたちの集会場。このあと婆さんたちは12人まで増えた

手前がバカリャウのコロッケ、奥がミンチマトンの薄皮包み揚げ。どっちもとっても美味しかった。甘いモノ苦手な人はこういうものをおやつにすべし!

外のテラス席は地元のお婆さんたちの井戸端会議場となっていた。買い物帰りらしき何人かが喋っていると、通りかかった誰かが呼び止められて加わる。空いている椅子を引きずって来て、最大で12人にまで膨らんだ。まるで無料休憩所みたいな状態なのだが、たま〜に誰かが店の中に入ってカフェとかケーキとかを買って出てくる。でもそれぽっちのものを買うのにエラく時間かかっているから、きっと中で店のおばちゃんと喋ってるんだろう。

お婆さんのお喋り軍団に、歩幅30cmくらいの足取りで爺さんがよろよろと近づいてきた。一番元気に喋っているお婆さんの御亭主のようだ。顔見知りの何人かと挨拶した後、妻の腕に手を添えて何か話し、少し離れた席にぽつんと座った。不機嫌そうでもなく嬉しそうでもなく、泰然自若と空を見つめて。しばらくして、よろよろ立ち上がり妻に何か言い、婆さんも何か答える。少しのやり取りの後、爺さんはよろりよろりと去って行った。婆さんはちらりとその後ろ姿を見て、また盛大にお喋り開始。
何言ったか聞こえないし、聞こえても言葉わからないけど、どういうやり取りかはすご〜くわかるよ(笑)。せっかく迎えに来たのに待ってられなかったのね。連れ添って長いんでしょうから、妻の性格はよ〜くわかっているのよね。

私たちがバスターミナルに向かって歩き始めたのはそれから15分は後だったのだが、ゆっくりゆっくりこちらに戻ってくる爺さんとすれ違った。まだ妻が喋っていたら、流石にいいかげんにしろと怒るんだろうか…?

早めにバスターミナルに向かったつもりだったが、ちょっと路地を覗いたり、スーパー見つけて水買ったりしていたら、思ったより時間をくってしまった。今までの感じからまず時間通りには来ないとわかっていても、せめてオンタイムには着いていたい。これを逃すと、昨日コインブラから乗って来たバスになってしまうので、日没に間に合わない。明日は移動なんだから、ナザレの海に沈む夕日は今日なんとしても見なくては。結局3分前に着いて余裕で切符も買えた。で、案の定それから10分以上待った(笑)。ナザレまで20分ほど、€ 1.69。

ナザレの日没は雲が多くて今ひとつ

もうだいぶ日が傾いているけれど、日没までのわずかの時間、漁民たちの住居の集まるペスカドーレ地区Bairo dos Pescadoresを散策。海岸線に垂直に、櫛の歯のような細い横道が生えている。2階の窓から洗濯物を取り込んでいたり、日用品の小さな店があったり…。今晩の夕食は、こういう路地奥の庶民的レストランに入ってみようっと。

路地に面した漁民の家々は質素な造りであるものの、所々に小さなタイルの装飾があったりして可愛らしい。半分以上の家が、玄関のドア横に鳥かごを下げている。インコあり、カナリアあり、キンカ鳥あり……、様々な小鳥たちが様々な声で唄っている。自分の鳥を見せびらかすのって、なんだか中国や香港みたい。

鳥かごを覗き込み「チュチュチュ…」などと舌を鳴らして、鳥さんたちと友好関係を結ぼうとするものの、彼らにざっくり無視されたりしているうちに、路地の隙間に射しこむ陽射しが低く赤っぽくなってきた。そろそろ日没ショーの開始時刻かな、よし海辺に行って存分に楽しもうではないか!



玄関に鳥かごを下げる家々。彼らに声をかけたが相手にしてもらえなかった

海の方向から路地に西日が射しこむ。そろそろ日没ショーの始まり始まり…

夕陽は丸く赤く水平線近くに漂っている。しかし残念なことに、水平線のすぐ上あたり、よりによって太陽の沈むあたりだけに雲の塊があるのだ。あの塊がほんのちょっと横にずれていてくれたら……! というわけで、今ひとつ日没の瞬間は盛り上がらなかった。ああ! 今日は時間の采配にミスはなかったのに!! 昨日は雲一つない晴天だったから、さぞ綺麗だったろうと思うと、到着が30分遅れたのが残念ではあるが仕方ない。日没後、空が紫に染まり濃紺に変わるまで、しばらく未練たらしく眺めていたが、いい加減お尻が冷えてきた。ホテルに戻って晩ご飯まで休憩するとしよう。

太陽の沈むあたりにだけ雲がある

海に落ちる瞬間が見たかった! 落日は雲の中で行なわれてしまった

日も暮れて街灯が点り始める。自発的に散歩に出ていたらしいわんこが、自発的に帰宅するところに出くわした。脇目もふらず足早だ

とっぷり暗くなり、再度ペスカドーレ地区へと向かう。夕刻に歩いた時、何軒か庶民的なレストラン──「食堂」と呼んでもいいような──があったのを確認しているのだが、8時近いこの時間になっても、そのほとんどに灯が点っていない。辛うじて開いているところはイタリアン・レストランだったりして……。私はイタリア以外のイタリア料理は全然信用していないので、パス。
うろうろ歩くうちに、観光客向けの海岸近くと超庶民的エリアの中間あたりに、値段も雰囲気もまさしく中間の感じのよさそうな店を見つけた。あからさまに覗き込むと店に招き入れられてしまうので、陰に隠れて店外のメニューを読んでいたのだが、ぼーっと立つヒナコの姿を見つけられてしまったようだ。私は気づかれていないとつもりだったのに、いきなりばばーんと扉が開いてメニューを持った親父が両手を広げて「イラッシャア〜〜イ」

店の雰囲気も悪くなさそうなので、この店に入ってしまうことにする。

Mr.ジョージにつられてまたも大食

さて、何にしようかとメニューを睨んでいると、親父が寄ってきて、小さなカードを見せてくれた。手書きでJeorgeと書いてある。その下に、誰に書いてもらったか明らかに日本人の文字で「じょうじ ジョージ」とある。「Your name?」と聞くと、そうだとうなずく。「これで正しいか?」と。うん正しいよ。漢字で書いてくれと言われたら、譲治と当てようかそれとも丈二、穣次…うーんいろいろあるなぁなどと思っていたが、それは頼まれなかった。

魚のスープを2人前と蛸のサラダをオーダー。半量に出来ればメインを2品頼めるのになと思いつつ、イワシの塩焼きを半量に出来るか聞いてみる。「イワシ5尾とポテトとサラダだけだから多くないよ」とジョージは言う。いや、5尾って充分多いんですけど…。でも、まあ魚ならなんとかいけるかな。…とか考えていると、ジョージは私をガラスケースの前まで引っぱっていって「おかあさんにはソウルフィッシュをおススめ」とかなんとか言う。えー、ヒラメ? うーん、ヒナコは白身の魚大好きだからヒラメは全然オッケーだろうけど……。「ちょっと彼女にはデカ過ぎかも…」「いや、デカくないよ、たった1尾だよ」まーね、こっちでは平気でヒラメ2〜3尾が1人前とかいって出てくるもんね、だけど日本では半身が普通なんだよね。でもジョージの熱意に負けてヒラメもオーダーしてしまった。ふたりでイワシ5尾とヒラメ1尾……くどいソースとかまとってなければ何とかなるかな。

予想に反して魚のスープは大皿になみなみと出てきた。げ。美味しいけど、魚の身と小さなマカロニがどっさり入っている。これだけで結構お腹が膨れそうだ。ヒナコは具を残してリタイア、私は申し訳ないので頑張ったが、パスタで大分お腹が膨れてしまった。
蛸のサラダは、激ウマだった。生蛸をサラダにすると、何だか白身魚の刺身みたいなのね。これまでの店ではつけ合わせサラダのトマトは青くてガリガリだったから、トマトが熟れてて赤いというだけで嬉しかった。さて、問題のメインディッシュはどれだけの量なんだろうか…?

ゆでたポテトと生野菜を背負って出てきたイワシとヒラメは圧倒される量であったが、何とか頑張れるかなと思えたのは、やっぱり日本人だからかも。食べてみたら、イワシは日本で食べるイワシの塩焼きそのままだった。オリーブオイルとビネガーを出されたけど、これは大根おろしと白飯と味噌汁が欲しい。でも、日本の昼定食で食べるそのままの味が、ユーラシア大陸の西のはじっこで味わえるとはなんだか感動だ。ヒラメは少し油を使って焼いてあるようだったが、こてこてのバターソースにからまって出てくるよりよっぽど食べやすい。

黄色いクロス類と、壁の青と黄のタイルがなかなか綺麗で感じのよい店内

あまりに大盛りでびっくりのスープ。さらにマカロニ入りなので相当なボリューム

蛸のサラダ。刺身の好きな日本人なら全く抵抗のない、寧ろ大好きな味だと思う

イワシの炭火焼き、どどんと5尾盛り。ウチでガスレンジで焼くイワシより美味しいかも?

ヒラメも1尾どどーん! こちらはオリーブオイルで焼いてある

というわけで、デカいの多いのと言いながら、結局完食してしまった。
Mr.ジョージは他に客がいなくてヒマだからか、魚の名前を日本語で教えてくれと言う。ポルトガル語会話帳をめくりながら単語教えあいが始まる。
ナザレの名物としてガイドブックに載っているからか、彼は「たこ」「いわし」という単語は知っていた。で、これは日本語で何というのか?と聞いてきたのは「ヒラメ」「鯛」「スズキ」。……高級魚ばっかじゃん。ふーん、日本人相手に単価の高い魚料理を売りつけようとしているな(笑)。「まぐろ」とか「あじ」を教えても、ふー…んという顔だったもんね。単価の安いものの日本語覚えても意味ないってことね。ま、憎めないから、いっか。

ミスター・ジョージは会計時に「ウチの店のHPだから」と手書きのカードを持ってきた。商魂たくましいこと。じゃ、載せてあげよう。と思ったが、そんなページは見つからなかった。店名は『Restaurate O Navegante』。Rua Adrião BatalhaとRua Mouzinho de Albuquerqueというふたつの道が交差するあたりにある。残念だったね、ジョージ。字は綺麗に書こうね。
スープ2つ、前菜のサラダとイワシとヒラメ、カフェ2杯で€ 25.20。日本でのヒラメの値段考えれば安いもんである。ジョージ、頑張って日本人にヒラメと鯛を奨めてね。ラテン語圏のヒトはHの発音が出来ないから「イラメ」に聞こえるけど、きっと日本人には通じるからさ。

今日は、バス移動があったし、結構長い時間カフェで休んだりしてたのであんまり歩いていない。15631歩。やっぱりヒナコ連れでは連日2万歩超では続かない。彼女を待たせて私が動くことも多いので、だいたい1割増しにはなるのだが。

今日もバスルームの蛇口からはなかなかお湯が出ない。やれやれ。


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