Le moineau 番外編

今日も朝から暑い……。
旅の行程はまだ3分の1なのに、こんな暑さが連日続いたら身体がどうにかなってしまいそう。私は爽やかな初夏の中欧を味わいに来たのではなかったのか? 東京にいるより暑い思いをしてどーするんだ…という声を頭の中でぐるぐるさせながら、起床。

暑さはともかくも、陽射しが強過ぎる。
実は、出発前に手の甲に少し湿疹が出ていた。私は、季節の変わり目とか、疲れがたまったりすると、この湿疹が出ることが多いのだけど、皮膚科で処方してもらった軟膏を就寝前に塗っておくと、翌朝には痒みも赤みもひくのである。
ところが、この連日の直射日光がいけないらしい。エラく悪化してきたのだ。ケロイドみたいになり、血まで滲んでくる始末である。こうなると、夜に薬を塗っても湿疹がひかない。顔や首には日焼け止めクリームを厚塗りしているが、こんなボロボロになってるところには塗れない。
だんだんゾウガメのようになってくる自分の手の甲を見ていると、あまりの汚さに目をそむけたくなる。

…と、まあ、朝から暗い気持ちになったのだが。
今日は、世界遺産でもある中部ボヘミアの小さな街、クトナー・ホラを日帰りするのだ。プラハから急行列車で1時間ほど。ただの小さな集落でしかなかったのだけど、13世紀に銀鉱脈が見つかってからは「黄金のプラハ」の経済の後ろ楯として大発展した街。
湿疹の汚さを嘆いていても仕方ないので、気を取り直して、中世の栄光の記憶なんぞを拝みに行きましょか…。

疲れがたまってはいけないので、10時台の列車でゆったりめに出発しよう。朝食もゆっくり取る。プラハ本駅からクトナー・ホラ本駅までは、急行で55分。
チェコ国鉄の車両は、新しいものはピカピカに綺麗で座席にパソコン用のコンセントまでついているが、古い車両はとことんボロい。今日の車両はボロかった。手動ドアのハンドルが固いのなんの! あやうく降りそびれるところだった。私の必死の形相を見て、座席から飛んで来て開けてくれたバックパッカーのお兄さん、ありがとう。だけど、若い屈強そうな男性が両手で力をこめないと開かないドアって…。

骨、骨、骨…の骸骨教会へ

クトナー・ホラ本駅から旧市街までは徒歩で30分かかる。本駅から支線が出ているのだが、乗継ぎが悪い。でも、途中に興味深い教会があるのよねー…。間に見学をはさめば30分(ヒナコの足だと40分なんだろうけど…)歩くのも構わない。

なんにもない駅前に出た途端、歩く気持ちの萎えかける強烈な照り返し。でも、意を決して歩き始める。線路に沿って少し歩くと分岐点に出る。自転車に乗ったパンツ一丁の親父が、道の向こう側から、指でそっちに曲がれと示してくれた。ありがとう、おじさん。でも、せめて短パンくらいは穿いてほしいな、ちょっとギョッとしちゃうから。

両側に草地の広がる自動車道路。こんな道を炎天下に歩くのは、めちゃくちゃ苦行である。でもって、タンポポの綿毛がすごい勢いで舞っている。舞うなんて生易しいモンじゃない、綿毛で白く煙っているのだ。たちまち鼻と喉がムズムズになってくる。車は側をガンガン走っていく。同じ列車を降りた同じ目的の観光客が5〜6組いたのだが、だんだん引き離されてきた。こんな何にもないツラいだけの道では人は足早になるものなのだが、ヒナコの足は早くはならないんである。

ようやく、道の両側が「集落っぽく」なり始めた頃、目的の教会に到着。駅からここまで1.2kmというところかしら…その程度ですでにヘトヘトになってしまった。今日の暑さは、一昨日、昨日に比べてさらに増している気がする。

で、この墓地教会 Hrbitovní kostel vsech Svatych s kostnicí 、外観は、静かな墓地に取り囲まれた何の変哲もない普通の教会である。でも内部に入ると見渡す限り骨だらけ……4万人の人骨で装飾されているんである。入口で30コルナを払うと、ワープロ打ちされた日本語の説明書を「貸して」くれる。

シャンデリアから、十字架から、聖体の献辞台、どこかの紋章まで、ありとあらゆる箇所の人骨で作られているのだ。もともとここは聖地で、埋葬を希望する人が多かったので中欧各地から遺体が集まった上、フス戦争やペストの流行でさらに遺体が増えたそう。で、ある日何を思ったかひとりの半盲の僧侶が人骨の山から骨を積み上げ始めた、とのこと(説明書を返しちゃったので、うろ覚えの記憶)。

骨で作られたエントランスの飾りがまず迎えてくれる

骨の装飾を作った僧侶の名前も「骨文字」

天井の飾りも骨、骨、骨。燭台は少しずつ大きさの違う頭蓋骨

全てのパーツが使われているという、骨シャンデリア

一番、感動した「紋章」。よくもまあ様々なパーツを組み合わせて表現したものである。後ろの柵の中にはびっしりと頭蓋骨が釣鐘型に積み上げられている。この頭蓋骨ピラミッドが4つもある

ネットで見かけた旅行記では、「怖かった」とか「悪趣味」とかの感想もあったが、私はそんなふうには思わなかった。むしろ、人間の創造力と発想力に感嘆したぞ。「そこにある物」だけで、こんなオブジェを創っちゃうんだから。
そして、これは決して死者の冒涜にはならないとも、思う。ひとつひとつ骨を選んで積み上げ組み上げる僧侶の心の中には、骨の持ち主たちひとりひとりの人生を悼む気持ちがあったはずだと…。むしろ、こうして綺麗に組み上げることによって、彼等の魂を慰めているのだと…。

註)そもそもキリスト教は、魂が天に召されてしまえば、肉体は単なる抜殻としか考えないし。日本人が遺体を手元に取り戻すことにこだわる気持ちも、理解されにくい。「遺体をオモチャにして」とか「骨をバラバラにして他人と一緒くたにしちゃって」みたいな部分が、日本人的な感覚からすると「悪趣味」ということになるんだろうが…

非常に興味深いモノを見た、という満足した気持ちで外に出る。
……うううッ、暑い!
手元にある大雑把な地図によると、この教会のある場所は、旧市街までの道程のまだ3分の1あたり。えー、まだこれから倍の距離歩くのぉ??
市バスに乗ってしまいたい気持ちになったが、これまで歩いてまだバスの姿を見てないので、本数もあんまりなさそう。それに炎天下のバス停になって立ってられないよ。少しでも目的に向かって進んだ方が精神衛生上よさそう…。

歩く道は、どこにでもありそうな普通の生活圏といった雰囲気。一戸建て住宅が並び、団地があり、小さな児童公園があり、スーパーマーケットや日常品の店が間にポツポツある。カフェのようなものもないので、黙々と歩くのみ。昨日のカルルシュテイン城のように目標物が見えればね…少しは気持ちのありようも違ってくるけど。
ようやく教会の塔らしきものが見えた。あの道路を渡れば旧市街入口だ! 観光バスが2、3台停まっている。着いたー! でも、まだ入口だー…。すぐにでも休憩したいけど、我慢我慢! 中心部の広場まで行ってしまおう、頑張れぇ!

気息奄々で坂道の路地を登り、最後の角を曲がった瞬間──「わあぁっ……!」立ち止まって歓声をあげてしまった。坂道なので私に5、6歩遅れをとっていたヒナコが追い付く。
旧市街中心部のパラツキー広場 Palackého nám. は、パステルカラーのおもちゃのような小さな建物がぐるりと並ぶ、なんとも可愛らしい広場だったんである。

一瞬の感嘆の後すぐ目についたのは、広場に面したホテルのカフェのテラス席。じっくり眺める前にまず直行。ひからびる寸前なのだ。とにかく、ビール! ビール!!
すぐさまぐびぐび飲んでしまう。ぷはぁ〜〜〜ッ、旨あぁぁッ……! ほとんどオヤヂだね(笑)。
人心地がついて広場を眺める余裕が出た。それにしても何て可愛いの。もともと観光客がさほどはいないのか、この暑さでみんな屋内にいるのか、広場に人はほとんどいない。ほとんど無人のようなその様子が尚更「夢で迷いこんだ不思議な町並」のような匂いを強くする。旅の6日目にして、一番絵心をくすぐられた広場。
さらに余裕が出て見回すと、テラス席のすぐ斜めに観光インフォメーションもあった。カフェでじっくり検討するつもりで地図をもらいに行く。もらった地図は、ガイドブックの小さな地図よりさらに大雑把で、全然役には立たないものだった。

テラス席から眺めたパラツキー広場の「一部」。全景を写した写真は非公開(笑)。だって、絵に描きたいからね。出来るまで待ってね

目についたからすぐ入っちゃったけど、そこそこ立派なホテルだった。くるくる回る筒型ガラスケースの中のケーキも美味しそうだったけど、暑さで参ってしまって口に運ぶ気にはなれなかったのは、残念。
うーむ、人間というものは極限の疲れが徐々に戻っていく時、いろいろな認識がひとつひとつ順番にされていくものなのだなぁ…。
「そうなのよ。私はいつもそうなの! ひとつひとつ順番にやらないと、わかんないのよ。『あれやって、これやって』って一度に言われても! 出来ないの!!」ヒナコは言う。
あの、それってちょっと意味違うかと思うけど。で、年とって鈍くなったコト…威張るなよ。

ようやく元気が戻ってきたので、歩きはじめることとする。気温は高いが、少し風が出てきたようだ。プラハ市内に比べてずーっと人が少ないのも、そう感じる理由なのかも。

かつて謳歌された繁栄の痕は…いづこ?

まずは、銀山で蓄えられた富を注ぎ込んで建てられたという聖バルバラ大聖堂 Chrám sv. Barbory へと向かう。旧市街エリアの入ってきたところから、ちょうど反対側。15分も歩かないうちに着いた。小さな規模の町である。緑豊かな高台の公園の中に、ゴシック様式の塔が圧倒的存在感を持ってそびえている。

うーん、人がちらほらしかいないのが、のんびりするねぇ。せっかく毎朝、ホテルからパンを1個くすねて来ているのに、人だらけのプラハ市内ではちっとも雀たちと遊ぶ場所がない。二日越しで持ち歩いていたパンは固くなっていたが、細かく砕いて、ここの雀たちにあげた。しばし聖堂前の木陰のベンチでくつろぐ。…それにしても暑いねぇ。

ようやく聖堂内に入ろうと腰をあげると…扉は固く閉ざされていた。チェコ語なんで全然読めないが、「入口はココ。9時から5時まで」みたいなコトを書いた貼紙があるのに!
どうしてよ! 『地球の歩き方』には火曜休みってあったのに。またウソ情報載せたな『歩き方』!
同じように、入口はどこだろう?と考える観光客が何組か、デカい聖堂の周りをぐるぐる廻っている。いくら廻っても、開いてる扉はない。

註)帰国してから改めて見たら「月曜休み」であった。『地球の歩き方』編集部の方、すみません

ま、入れないモンは仕方ない。聖堂横手のところが展望テラスになっていて、見晴らしがよかったので、少し気分を取り直す。

外観だけしか拝めなかった聖バルバラ大聖堂。今の町の規模からすると、立派すぎる威容である。かつての栄光が偲ばれる

じゃあ、フラーデク鉱山博物館 Muzeum Hrádek に行こう。もともと町の砦だった建物だったんだけど、小ずるい地方役人の手に渡ったところ……、彼はここでこっそり銀の精錬をし、たくわえた富で豪華邸宅に改築しちゃったのである。いるんですねぇ、そういう人って。どこの国にも、いつの時代にも。
ホントは、この博物館で実施している、地下の坑道を歩くツアーってのに参加してみたかったのだ。ヘルメット(狭くて頭ぶつけるから)と白衣(雫で濡れるから)とランタン(勿論、暗いから)持っての地下探検! そんなの、そうそう経験出来ないでしょ? 中世の坑夫になった気分かな。でも1時間半もかかるようだし、ヒナコ連れでは無理だ。せめて展示部分だけでも見ましょ。
しかし、ここも扉は固く閉ざされていた。休みは「冬期(11〜3月)」って書いてあったのに、どうしてよ! 再び『歩き方』を罵倒する。

註)帰国してから改めて見たら「月、冬期」と書いてあった。『地球の歩き方』編集部の方、二度も罵倒してすみません

それなら、旧王立造幣局 Vlassky dvur (通称 イタリアン・コート)へ行くまでだ。名前の由来はフィレンツェから来た専門家が銀貨鋳造の改革を進めたから。 しかし、扉は閉ざされていた…

註)つまり、クトナー・ホラの観光スポットは、全部月曜が休みだったのである。プランニングの段階で、それはわかっていたのに。何故か火曜だと思い込んでしまっていたのだ。町中が閑散としていたのも、そういうわけだった。『地球の歩き方』編集部の方……以下略

というわけで、かつての銀の発掘による栄光と繁栄の記憶を残すモノは、何ひとつ見られない。この時点では、私は自分自身の勝手な思い込みにより、ぶりぶりしていた。えーい、今晩はコンサートがあるから、お昼ご飯を食べてしまおう! ちょうど感じのよいレストランがあったので入ってしまう。

3時近い時間ということもあって、店内には1組しか客はいなかった。その彼等もアイスクリームを食べ終わると帰ってしまった。
前菜メニューからサラミ1皿とスモークハム1皿、ビールをもらう。それにパンを2〜3切れ食べれば、立派にランチになってしまうのよね。
テーブルチャージも合わせて合計202コルナ。ひとり¥450。やっぱり田舎都市だ。プラハより2割くらい安い。

サラミ山盛り。きゅうりがデカイので少なく見えるが山盛り。トマトのサイズから推し量ってくださいまし

スモークハムも山盛り。上にかかっているのはホースラディッシュ(西洋ワサビ)。ピリリとして美味しい。それにしてもデカイぶわぶわきゅうりはイヤだ。日本の細くて固いきゅうりが恋しい

海外旅の鉄則「トイレを使えるところでは、とにかく行っておけ」の通り、食後にレストランのトイレを借りる。ここのピカピカの最新型便器が面白かった。使用後、水を流すと真ん中からにゅうっと棒のようなものが出て来た。「ん? ウォッシュレット?」と思って、半ケツのまま見ていると、便座が「うぃんうぃんうぃん」といいながら回転していく。ウォッシュレット状の棒は水を放射しているが、洗っているのはお尻ではなくて、便座のフチと裏側なんである。まあ、どうってことない仕掛けなんだけど、卵型のものが回転するのって、何とも妙ちくりんな動きなのね。思わずもう一回レバーを押して観察してしまった。お店の方、水を無駄使いしてごめんなさい。

しかし、クトナー・ホラまではるばる来て見たのは、可愛い広場と回転便座だけってのも情けない。後は飲み食いしただけ? 午前中に骸骨教会も見てるのだが、暑くつらい遠路行脚をはさんだので、前日のことのように思えているのである。

夏空一転、冷たい雷雨に見舞われる

回転便座と、ハム&サラミの味にも満足して、レストランを出ると、空の色が一変していた。周囲の色彩が明らかにグレー。気温もいきなり下がってしまい、一雨来そうな風と雲の動き。微かに雷の音を聞いたような気がした時、ポツリ…と頬に。
この時点では「これで涼しくなるね」くらいにしか考えていなかった。
でも、傘を忘れたんだな。勿論、荷物の中に折畳み傘は用意してあるのだが、連日の猛暑のせいで、予想以上に増えた洗濯のことばかりで頭がいっぱいで、雨のことなんてこれっぽちも考えていなかった。
それに、この時点ではまだ、さほどの降りになるとも思っていなかった。

偶然、同じ場所の撮影がしてあった。2時間程度の時間差とは思えない色彩の変わりよう

先程、観光インフォメーションに地図をもらいに行った時、ネットの出来るPCが4〜5台あったのを見ていた。今晩の予定を考えると、出来る時にメールチェックしておかなくちゃ。
インフォメーションの建物までは5分ほど。その5分の間に「ポツ…ポツ…」の雨が「ボトボトボト…」くらいになってくる。

またもチェコ語仕様キーボードに四苦八苦しつつ、何とか自分のメールを読む。初日に送信出来なかったデータは、未だ送信出来ていないままであったのだが……
「帰国してからにしましょう。旅行、楽しんできてください」との、有難くも申し訳ないメールが入っていた。思わず東の方向に向かって、感謝とお詫びの気持ちで頭を垂れ手を合わせる。
関係者各位の皆様がた、本当に御迷惑をおかけしました。しっかり反省して、今後、より一層頑張らせていただきます。

ネットをしていたわずか15〜20分の間にも、雨は徐々に本降りの度合いを増していく。ここで濡れてしまうのも、仕事に穴をあけてしまった私への、神様からの罰であろう。ヒナコは巻き添えだが。

もう駅に直行しよう。40分かかる本駅まで戻るつもりは最初からなく、旧市街近くの支線の駅から帰る予定ではいた。もうちょっと遅い時刻を想定していたので、15〜16時台の時刻表は調べてないけど。でも、駅で待ちぼうけでもいいから、とにかく向かおう!

雨はどんどん強くなってくる。
支線のクトナー・ホラ=ムニュスト駅の方向は、だいたいしかわからない。カンを信じて歩いた。ここで迷うと、どんどんずぶ濡れになる。
線路があった。この延長線上に駅はある! ローカル支線だから本数の少ないのをいいことに、そのまま線路の脇を歩いてしまい、駅のホームに直接入った。ヨーロッパの鉄道は改札がないからこそ、こういうこと出来ちゃうのよね。
実は、駅正面入口に出る道のつもりで、1本間違えたようだが、結果オーライである。

列車は20分ほど待てばいいようだ。クトナー・ホラ本駅では、多分プラハ行きにうまく連絡するんだろう。ホームひとつの小さな駅だが、きちんと屋根もベンチもある。
座って待っていると、いよいよもって土砂降りとなってきた。5分遅かったらエライことになってたわ。
気温もぐんぐん下がってきてGジャンを羽織らなくてはいられない。昼間は邪魔に思ってたけど、持って来てよかったわ。
風も強くなってくる。1本しかない線路の向こうは森なのだが、ごうごうと木々が鳴っている。突然、雷鳴が轟いた。森の上の暗い空に「絵に描いたような」稲妻が走る。待つ間、雷鳴と稲妻の天空ショーはずっと続いていた。

一度は不運を嘆きかけた私たちだが、実は好運だったと知る。後から後から駅に駆け込んで来る人たちは、下着までスケスケになる勢いでズブ濡れなのだ。朝乗った車両よりさらにボロボロの列車が2両編成でやって来た。ローカル単線の車両なんで、こんなモンよね。わずか2駅、7分で本駅に到着。行きは40分近く歩いたのに。

本駅での乗り換え連絡はよかった。でも、途中のコリーン止まりなので、わずか10分でまた乗り換え。コリーン駅では5分待ち。雨はさらに土砂降りの二乗となっていた。屋根のあるホームなのだが、縦方向から雨が吹き込んでホームの半分がびしょ濡れになるの。横方向から半分じゃないよ、縦方向。それだけ強風で、雨の量が多いってこと。
それなりにたくさんいるプラハへの列車を待つ乗客たちは、みんな悲鳴をあげて逃げ惑う。
だって冷たいのよ、この雨。あれだけの暑さだったんだから、濡れたらかえって気持ちいいかもしれないじゃない? 南国のスコールなんかは、そういうもんでしょ。

プラハ本駅には5時半頃に到着した。スメタナ・ホールでのコンサートは8時から。7時半には会場が開く。ホテルに戻ってシャワー浴びて着替えて……時間は充分にある。
雨はあがっていた。プラハ市内でも降ったようで、水たまりが出来ていたが、乾きかけている部分の方が多い。雨は冷たく寒かったが、市内の気温はあまり下がっていなかった。湿気でムっとする。

屋台のホットドッグ。パンがちょっとパサパサしてたのと、ソーセージが若干油っぽかったのが残念。でも、この値段で贅沢言ってはいけない

コンサートが終わってからの夕食では胃もたれするかも…と思い、ホテル近くの屋台でホットドッグを買った。今日はお昼ご飯食べたしね。22〜23cmくらいのロングサイズで¥150程度。日本のものよりパンがしっかりしているので腹持ちもいい。すっごく美味しいというのでもないけどまずくもない。安く食事をするつもりなら、とことん切り詰められるのね。

コンサートの前奏曲は親子喧嘩

着替えて化粧を直すのに充分な時間はあったハズなのである。
ところが、何かつまづいてしまう日ってあるのよね…。支度途中でふとしたことから親子喧嘩になってしまったのである。
ホントに、ふとしたことだった。私はさっさと着替えて化粧直しもすませた。が、ヒナコは支度が遅い。勿論その遅さは十二分に考慮して時間を読んでいる。手持ち無沙汰になった私は、明日このホテルを発つための荷造りを始めておこうと思ってしまったのである。これが失敗だった。

プラハのホテルをチェックアウトして、チェスキー・クルムロフに一泊するのだが、翌晩またプラハに戻る。なので、大荷物はホテルに預けていくつもり。で、さらに翌日はスロヴァキアで一泊。
荷造りと移動が大変なので、基本的に連泊のスケジュールを立てるのだが、行程上仕方なく一泊が3日続くことになった。
パックツアーなら毎日宿が変わるのは当たり前のこと。
でも私は、自分で地下鉄や駅の階段を運び、さらに2人分持たねばならないので、荷物は極限まで減らしてある。服も下着も靴下も寝巻きも「洗濯すること」を前提として、チョイスしローテーションする。

前置きが長くなった。ふとした喧嘩の発端というのは、ヒナコに「明日は青いブラウス着るんだったよね?」と確認しただけのことである。それさえわかれば、荷造り作業は進行できる。ヒナコに言い聞かせるつもりはなく「この下着は明後日の分で…今干してある下着は今晩替えて…今日の靴下は朝には乾くから明日履いて…こっちのシャツは仕舞っちゃっていいか…」と、確認の独り言を言いながら、荷物を分けたり詰めたりしていた。

彼女はふたつのことが一度に出来ない。そういえば今日も「あれしてこれして言われると出来ない」とエバッて(?)たっけ。つまり、化粧している最中に、明日の服や翌日の下着の替えのことなどを考えたら、脳の処理回線がショートしてしまったようなのである。ヒナコに考えてくれとは言ってないのに…。私の言葉を聞いて勝手に考えて勝手に混乱しちゃったのね。で、脳が動くと手は動かなくなってしまう。
「どうして出がけになって、そんなコト言うの! いきなり言われたってわかんない! 夜ゆっくり説明してくれればいいじゃない!! 支度させてよ!」と、いきなりキレた。だって、夜は遅くなるし、明日の朝は早いし、やれるうちにと思って…。それに、アナタには支度させてるよ? 勝手に自分で混乱して手が止まってるだけじゃない。だいたいいきなりじゃないよ、同じ説明、何回もしたよ? 今朝、アナタに頼まれて図解まで書いて。納得してたじゃん。だから理解してるだろうという前提で、明日の服を尋ねただけだよ、私は。

今から思うと、そろそろ旅の疲れが出ていたんだと思う。気持ちに余裕がなくなって、年寄りに対する思いやりが足りなかったのかも。
自分も旅を楽しんでいるとはいえ、ヒナコ専用「ツアコン&ポーター&身の回りお世話人」みたいな立場…。そりゃあ、育ててもらった親なんだから、今度は私が世話する番なんだけど…。でも、私の気持ちからすると、赤ん坊扱いはしたくはなく、ヒナコの尊厳も重視したかったんである。だからこそ「どうせわかんないんだから黙って従ってればいいのよ」ではなく、スケジュールや観光の内容も理解してもらった上で、旅を楽しんでもらいたかった。

だが、肉親同士だからこそ、喧嘩が始まると、とことんやり合ってしまう。

素晴らしい音響を堪能するのも70%どまりに

結局、コンサートの会場の市民会館に到着したのは8時ギリギリだった。赤絨毯の大階段のアプローチも、豪華壮麗な内装も楽しむ余裕のないまま、座席に駆け込むのがやっとだった。本来なら30分前に入場して、会場の雰囲気をゆっくり味わいながら、これから生の音楽に触れる気分を高めていくハズだったのに…。

はずんだ息を整える間も流れる汗を拭く間もなく、音楽は始まった。
プログラムはチェコを代表する2人の作曲家、スメタナとドヴォルザークの代表的なものを3曲ずつの計6曲。最初の曲は、私が一番聴きたいと思っていたスメタナの『我が祖国』の第二楽章ヴルタヴァ(モルダウ)だった。ハアハアした状態で、音楽に浸り込むことが出来なかったのが、返す返すも残念でたまらない。
ドヴォルザークは、誰でも知ってる『新世界より』や『スラヴ舞曲』など。
ホールの特性なのか、チェコの楽団の演奏がそうなのか、柔らかく円く響く音ではなく、力強く重厚感のある音。管楽器の音響が特に素晴らしいように感じた。

装飾が美しく、かつ素晴らしい音響のスメタナ・ホール。写真を撮ることは出来なかった。(遠慮した)
これは「プラハの春・音楽祭」の開幕の様子。機会があったら、今度は準備万端、気持ちの余裕も持って経験したい

このコンサートは席のカテゴリーが6つに分けられていた。オーケストラに合わせてスラヴ舞踊も2曲ほど見せるため、サイドのバルコニー席は使わず正面席だけ。A〜D席は1階で、E〜F席は2階。1階席は傾斜がなくフラットなので、後ろの方のC、D席に座るのなら2階のバルコニーのE席の方がいいかと思う。
私は700コルナのE席にしてしまったが、音響は充分よかった。日本円で¥3000程度である。でも、1階席なら床から直に伝わる重低音を感じることも出来たんだなぁ…。A席だって¥5500程度なんだからケチらない方がよかったかも。立ち席のF席なら¥500程度で生のオーケストラが聴けるのだ。ホントに音楽が身近にあるんだなぁ…。

註)コンサートの種類によって座席カテゴリーは違うようです。市民会館のボックスオフィスでは座席表を見ながら買えるので、A席を奮発するか2階席の前がいいかと…。よほどプレミアのついたプログラムでない限り、A席でも¥6000しないから

やはり喧嘩の余韻なのか、ホールの天井画やステンドグラスの装飾を味わう心の余裕がないまま、会場を出た。楽しみにしてたのに。テンションがぐぐーと下がってしまった。
夕食をとるのは止めにして、市民会館のカフェでコーヒーを飲むだけにした。今日のコンサートを楽しんだ人たちでカフェは満席に近く混んでいる。楽しそうに語らう人たちの中で、私たち母娘だけが寡黙であった。ヒナコは繰り言を言っている。「もう年なんだから。いろいろ理解するのは無理なんだから。パッパとわからないし動けないんだから。5分の1なんだから(橋塔の料金が大人50コルナ、シニア10コルナだったことを言っているらしい)」

私は黙っていた。言うと水掛け論になるから。
かなり寛大に懇切丁寧に何度も説明しているつもりなんだが、それでも「わからない、聞いてない」と言われると。
無理のないプランニングからスケジューリング、階段や乗り物での手取り足取りの世話、体力消耗を考慮しての休憩時間の配分などなど…ハード面でもソフト面でも、高齢者であることをとことん考えているつもりなのに。その中で出来るだけ旅を満喫して楽しもうとしているのに。
それでも、まだまだ私に思いやりや配慮が足りないというのだろうか…あまりに老人扱いすればムクれるし、はたまた配慮不足を責められるし、その判断基準の境界線はどこにあるの?
ヒナコを連れてこの後も旅を続けることに、空しさと虚無感をおぼえ始めていた。行程はまだ3分の1だっていうのに。

落ち込んだ気分のままホテルに戻ってから、思い出した。
食事に割と満足していたので、忘れていたのだが、インスタントの味噌汁とティーバッグの日本茶を持って来ている。
最近悟ったのだけど、海外の食事で恋しくなるのは「米」ではない。
「海産物によるアミノ酸」と「大豆発酵食品」の不足がイライラと疲れを招くのだ。出汁による海産物旨味成分─カツオや昆布、イリコ─と、醤油や味噌などの大豆発酵食品。日本で食事をしていれば、これらを全然摂取しない日が何日も続くことはあり得ない。

粉末を熱湯で溶かすだけの味噌汁だが、しみじみと美味しかった。お腹にというより心に染み込む気がした。とげとげした気持ちが円く解けていく。あー…また明日から楽しく旅が続けられるな…。「さっきは言い過ぎたかも。ごめんね」「ううん、こっちもいっぱい世話かけてるのに。自分でももどかしくて」ああ、美しき和解の瞬間(笑)。

疲れとアミノ酸不足から高まった緊張状態から、ふとしたきっかけで勃発したくだらない喧嘩は、一杯のインスタント味噌汁の介入により、あっさりと終焉を迎えたのである。

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