Le moineau 番外編

ドナウ川と旧市街を見下ろす丘の城へ

暑すぎも寒すぎもしない初夏らしい爽やかな朝。でも、旅も10日目になってくると、そろそろ寝起きが悪くなってくる。目覚まし時計をストップしてから1時間ほど二度寝してしまったみたい。

初日と2日目のドレスデンのホテルの朝食ビュッフェは、めちゃくちゃ種類が豊富だったが、このホテルはさらにその上をいっていた。昨日の晩もたらふく食べたくせに、こうズラリと並べられちゃうと、目がもう我慢出来ないよ。どれもみんな美味しそう…でもここは一泊だけなんだぁ。

…というわけで、今日も昼は抜くことにし、限界までビュッフェ・メニューの全種制覇にチャレンジ!
味見程度に少しずつしか盛っていないのに、皿が4〜5枚になってしまう。お腹はとっくに満足してるんだけど、見てしまうと食べたくなっちゃって。つくづく食欲を司るのは、胃袋でなく脳みそなんだなーと実感。

私たち親子の朝ご飯にプレーンヨーグルトは欠かせない。どこの国の朝食ビュッフェでもヨーグルトは必ず何種類かあるのだけど、甘味が入り過ぎているのが難点だった。仕方なく食べていたけど。
今回の旅では、ドイツでもチェコでもスロヴァキアでも、プレーンヨーグルトは無糖でしっかり酸っぱいのが嬉しい。イタリアのヨーグルトは砂糖たっぷりだったもんなぁ…。ヨーグルトの本場ブルガリアに地理的にも近いというのも関係するんだろうか? とにかく嬉しいので、毎朝たっぷり食べている。便秘対策はばっちり。
でも、他の方々を見ていると、あらかじめジャムや蜂蜜がたっぷり入ったものを取るか、たっぷりのフルーツコンポートの上にプレーンをかけたりしている。完全な無糖では食べないものなのかしらね?

ハムやパテの類いをひと通り乗せたら、皿がいっぱいになってしまった。この後、ニシンの酢漬けやオイルサーディンやスモークサーモンや7〜8種類のピクルスなどを取りに行く。ジュースも2、3杯

生野菜やチーズ類も豊富だった。卵料理のコーナーも最後に見つけてしまい、ついオムレツを作ってもらう。さらにヨーグルトやパウンドケーキや果物まで食べてしまう。底なしなのか? 私の胃袋…

客観的に見て、このホテルの朝食の種類が一番豊富なのだが、ヒナコはドレスデンのホテルの方が多かったと言う。よくよく聞いてみると、フルーツの量がそっちの方が多かった、と。フルーツ好きのヒナコにとっては、果物がいっぱいある朝食がとにかくエライらしい。

さて、寝坊して多少時間が押し気味だった上に、朝ご飯に1時間もかけてしまったので、もう9時を過ぎてしまった。まずは、ホテルすぐ横の丘にそびえているブラチスラヴァ城 Bratislavsky hrad へ行こう。

ドナウ川に対し垂直方向に、高架の大通りが走っている。この通りの東北側が旧市街、西側が城のある高台。通り沿いにある丘へ登る道ならどれでもいいようなので、目についた道を登っていく。なんだか住宅街のようだが、登り坂なのでそのうち着くだろう。

坂や階段を歩いていると、どうしてもヒナコと私との間が7〜8m離れる。時々足を止めて彼女が追い付くのを待つ。階段を登り切った角を曲がると、石造りの城の壁が見えてきた。
角でヒナコを待っていると、上からラブラドールのような大きな犬を散歩させている人が降りて来る。犬はノーリードで自由に歩き回っていたが、私の姿を見ると尻尾を振りながら一目散にこちらに駆け降りて………何故か私を素通りし、ゼエハアしながら階段を登るヒナコの前に立ってすごい勢いで吠え始めた。ちぎれんばかりに尻尾を振っているので、親愛の情は示しているんだろうけど……。ヒナコも犬は好きなのだが、突然大きな犬に仁王立ちされて吠えたてられたもんだから、びっくりして硬直姿勢で固まっている。

慌てて飼い主の大柄の男性が飛んできた。犬の名前を強い調子で叫び、一喝する。彼は犬を諌めた後、ヒナコに対し「申し訳ありません、マダム。びっくりされたでしょう」と丁寧な英語で謝罪していたが、彼女にはわかるまい。でも、謝っているのは口調でわかるんだから、せめてにっこりくらいして返さなきゃ駄目だよ。

…てなことを言いながら城の壁沿いを歩いていると、どうも方向を間違えたようだ。遊歩道は明らかに住宅の裏手という雰囲気で、開け放した窓から夫婦喧嘩みたいな声まで聞こえてくる。あれれぇ、こんなヒトサマの家みたいな場所は違うだろ? 道も行き止まりになってしまった。…いっつもこうなんだよね、右左迷う場所ではまず最初に違う方向を選んでしまうのよね。

でもまあ、高台からの旧市街の見晴らしはいいし、壁沿いの草地に咲く花々も綺麗だから、この道を歩いたのも無駄ではあるまい。逆方向に歩くと、小さな通用門みたいなものがあった。恐る恐る抜けてみると、綺麗に整備された公園のような広場が目の前に開け、そこに城があった。立派な門が見えていて、そこが正門らしい。
たそがれているのかと思ったけど、それなりにちゃんと観光客いるじゃないの。裏から上がってきてしまったので、人が少なかったのだ。別に選んでいるわけじゃないのに、どうして城へのアプローチはいつも横や裏になってしまうんだろ?

「ひっくり返したテーブル」の形のブラチスラヴァ城。丘は綺麗に整備されているので、散歩には気持ちいいかも

偶然迷い込んだ城の裏手には、真っ赤なポピーが群生していた。この花はチェコでもあちこちに咲いていた

トルコ帝国の侵攻に備えて防備を強化したらしき城の外観は、無骨一点張りで優雅さや華麗さというものは微塵もない。「宮殿系」の城ではなく「要塞系」の城。後からつけ加えられたという四隅の塔が辛うじて「お城」な雰囲気を出しているけど、これが無ければただの四角い石造り。「ひっくり返ったテーブル」の別名があるようだけど、日本人の私に言わせれば「ひっくり返った碁盤」の方が近いイメージね。

中は歴史博物館 Historické múzeum-hrad になっている。18世紀に火災で焼失し、第ニ次大戦後に復旧されるまで荒廃してたというから。外観はそれなりに再建してあっても、内装はリノリウム床に白い塗壁という味気ないもの。
中の展示品はすべてスロヴァキア国立博物館の所蔵品。城が博物館の別館扱いになっている感じである。古い絵地図を見ていると、ドナウ川のところにDanubeとあった。あれ? 泊まってるホテルの名前だ。そっか、ドナウはスロヴァキア語でダニューヴになるのね。ホテル・ダニューヴはホテル・ドナウだったんだぁ!

古い家具類の展示もあった。こういう家具類は、いろんな場所の王宮や城などで見る機会は多い。でもやっぱり古い家具って、壁や床や天井などの内装がきちんとしてある場所に置かれていてこそ、かつての暮らしを偲べるものなんだわね。リノリウム床に白壁のだだッ広い空間に置いてあるだけだと、なんだかデパートの家具売場みたいなんである。
その他にも中世絵画の企画展みたいなコーナーにも入れて、塔のひとつにも登れて、全部で80コルナ。特筆する展示物があるわけではないけれど、¥270ほどなんだから「スロヴァキアでお城の博物館を見てきた」という気持ちを満たすには充分過ぎる金額である。

城の前の広場は、ドナウ川を望む展望テラスになっている。
が、「美しき青き」はずのドナウは、美しくなく茶色い。川の向こう岸には、絶対、社会主義時代に建てられたとしか思えない、ロシア的ではないソ連的な無骨な団地群が連なっている。その右手はこんもりとした丘陵地帯に広がる森。この森はそのままウィーンのはずれまで続いているのだ。すぐ先はもうオーストリアなのである。東西の冷戦時代、ここには容易に越えられない鉄のカーテンが下がっていたんだな…無骨な団地群の連なる姿は、改めてそんなことをしみじみ実感させてくれる。

新市街と旧市街の町並はくっきりはっきり分かれている

ドナウ川はちっとも美しくも青くもなかった…。向こう岸に累々と続く色気のない団地群

旧市街側に目を転じると、町並の新旧がくっきり分かれているのがわかる。ブラチスラヴァ市はとても広いらしいけど、ほとんどは住宅地と工業地帯とブドウ畑なんである。観光客に関係あるのは、ブラチスラヴァ城のある丘と1km四方ぽっちの旧市街だけ。日本の倉敷美観地区みたいなもんかな。

そろそろ正午に近い。ホントは郊外のデヴィーン城 Devínsky hrad とやらに行ってみたかったけど、バスの時間がうまく連絡するかわからないし、ウィーンには夕方前には着きたいし、諦めることにした。30分もバスに乗って行っても、ナポレオンが廃虚にしちゃったところなんで、今は城というより城跡でしかないしね。

今度は、正門からきちんと出る。整備された遊歩道を下りていくと、聖マルティン教会 Dóm sv. Martina のたもとに出た。高い尖塔を持つロマネスク様式のなかなか美しい教会だが、真横に高架道路と中途半端に近代的な橋があるので、絵画的および写真的に食指をそそられる光景ではないのが残念。
一度ホテルに戻ってチェックアウトを済ませ、荷物を預けて再度旧市街巡りをすることに。

再び小さな首都歩きのはずが、結果歩かない

お土産にワインを何本か買うつもり。スロヴァキアワインが安くて美味しいことは昨日のレストランでわかったし。日本にはほとんど輸入されてないので、人にあげるお土産としても珍しいから。味もフランスやイタリア、スペインやドイツなど西ヨーロッパ産のものと微妙に違う。また南米、北米、豪州のものともやっぱり違う。重くなるけど、これはやっぱり「買い」でしょ。

昨日の夕方に目をつけておいたワインショップへ向かった。昨日はもう閉店してたからね。でもガラスに貼付いて中覗いて、品揃えがよさそうなのは確認済み。
実際、奥が蔵のようになっていて品揃えは抜群の店だった。店員は綺麗な英語を話す。スロヴァキアワインの知識は全然ないので、おすすめの赤と白を選んでもらった。1本¥1200〜¥1500程度。

ブラスチラヴァの隠れ名物“覗き見おじさん”。物陰からカメラを構えてる“パパラッチおじさん”もどこかにいるハズなんだけど、見つけられなかった

旧市街内には、武器博物館 Mestské mú-Expozícia zbraní a mestského opevneniaワイン醸造博物館 Mestské mú-Expozícia vinohradnícko-vinárska薬学博物館 Farmaceutické múzeum など小さなミュージアムがいくつかある。2時半のウィーン行きの列車に乗るって決めてるけど、どれかひとつくらいには入れるかな。
でも、どれも博物館然とした建物ではなく、元あった家屋などの内部だけ改装したものだから、入口が見つけにくい。この辺にあるはずなんだけどなぁ?とウロウロ。

タイムリミットがある時にこうして迷うのを、ヒナコは極端に嫌がる。思い通りに足を動かす自信の無さからくるんだろうけど。「もう駅に向かってもいい」まで言う。えー、2時間近くも駅でボケッと待っててどうすんの、私ゃイヤだよ、そんなの。とはいえ、ワイン何本かの重い袋をぶら下げて歩くのも、面倒になってしまった。

じゃあ、無理に欲張るのはやめて、カフェでまったり人物ウォッチングでもするか。最後にホテル裏の細長い広場で雀たちと遊ぶ時間も、私には必要だし(笑)。
フラヴネー広場に面したカフェのテラス席に陣取る。山ほど食べた朝食のおかげで昼ご飯の入る余地などはこれっぽちもない。
偶然、目についた感じがよさそうなので入ってしまったが、老舗のウィーン風カフェだったらしい。トイレを借りるので室内に入ったら、なかなか綺麗で豪華な内装の店だった。ショウケースにずらりと並んだケーキは、目で見てる分には美味しそう。頼んでもよかったかな…

「あら、ビールじゃないの?」とヒナコに言われながら、何となく頼んでしまったアイスカフェ。半分以上が生クリームでコーヒーはちょっとしかない。おまけに冷たくなくて、ぬるい。アイスクリームも甘過ぎ。…失敗だった

おまけのように立ち寄ったスロヴァキア。わずか24時間だったけれど、それなりに楽しめた。やっぱり、他の国とは微妙に趣きも違うし。この小さな国の本当の魅力は、この首都ブラチスラヴァだけではなく、多分、雄大な山岳に抱かれた田舎町にあるんだと思う。今度はぜひ、時間をかけて地方の町を廻ってみたいもんだな…。山間に残る今は廃虚のスピシュ城は、はるか遠くのモンゴル(!)の襲来に備えて建てられたという。ポーランドとの国境近くの小さな城塞都市バルデヨフや、入母屋造りの古い木造家屋の残る集落ヴルコリネツなどなど、どれも世界遺産であり、魅力ある場所だ。

トラムを待ちながら見上げるブラチスラヴァ城。うーん、やっぱり地味な城である

ホテルで荷物をピックアップし、すぐ裏のトラム乗場に向かう。でも、なかなか目当ての1番トラムが来ない。でも、昨日、駅からこの停留所までは12〜13分ほどだったし、まだまだ余裕はある。ところが、1番トラムは駅から来るのと駅へ向かうのとルートが別らしい。20分以上乗っているのになかなか着かない。ちょっと焦り気味になった頃、ようやく見覚えのあるトラムロータリーに到着。

列車発車まであと5分。チェコでもそうしたように、再両替できないスロヴァキアコルナのコインを使ってしまいたい。ほんのちょっとしかないけどね。構内の自動販売機でチョコバーやキャンディを買えるだけ買ってしまおう。2個買って、最後にもう1個…というところで、機械が故障してしまった。故障じゃないかもしれないけど、とにかく商品も出ないしお金も戻らない。いいや、¥50くらいのことだし、時間がもう無い。一応、販売機に蹴りを入れ悪態をついてから、大急ぎでホームへ。昨日のうちに切符買っておいてよかった…。

欧州一近い首都間移動

ブラスチラヴァはスロヴァキア西端の町で、ウィーンはオーストリアの東端に位置している。スロヴァキアが主権国家として独立して、ブラチスラヴァがチェコスロヴァキアの1都市から1国の首都となった結果、ふたつの都市は首都間距離にしてヨーロッパ最短となった。わずか50km。列車でもバスでも50分〜1時間程度、ドナウ川を船で行っても1時間半。私は、滞在して夜や朝の雰囲気を味わいたかったのと、しっかりスロヴァキア料理なるものも堪能したかったので一泊したが、ウィーンから日帰りしても一日楽しめると思う。

車内は国際列車というより、近郊列車の雰囲気。時間帯によっては、観光客より通勤客の方が多いような路線なのかな。パスポートコントロールもごくごく形式的なものだった。ほんの10年前には、この逆方向ルートはさぞ大変だったろうに…。ガイドブックによると、バスでの出入国だと国境で停車して審査があり、船では桟橋で出入国手続きをするようなので、席に審査官が回ってきてくれる列車での国境越えが一番時間の無駄がないかも。
列車に駆け込んで、ようやく一息ついたかなくらいの時間で、あっさりとウィーン南駅に到着した。

南駅のコンコースは、やっぱり「ずーっと西側だった国」ならではの垢抜けた活気がある。うん、ヨーロッパの大きな駅は、みんなこんな感じなのよね。プラハ本駅にしろ、ブラチスラヴァ中央駅にしろ、具体的には表現しづらい違いがあった。何なんだろか、旧東側という意識ゆえにそう感じただけかもしれないけれど。
まず、残ったスロヴァキアコルナの紙幣をユーロに両替する。行列した挙句、手数料も引かれてたった12ユーロにしかならなかった。ドイツで残したユーロと合わせてもあまりないのでATMでも下ろしておく。これでオーストリア国内での現金はOK。帰国日ドイツのミュンヘンから飛行機に乗り込むまで両替に頭を悩ます必要はなくなった。

さて、ホテルへ向かわねば。オーストリアでの交通機関の呼び方はドイツと同じで、近郊線はSバーン、地下鉄はUバーン、トラムはシュトラーセンバーン(路面電車の意)。地下鉄とトラムはウィーン市交通局の管轄だが、近郊線はオーストリア国鉄の管轄。料金系統も別。南駅には地下鉄が乗り入れてないので、一駅か二駅Sバーンに乗らなくちゃ。スロヴァキアからの切符を取り出してじっくり見てみる。行き先のところにWienとはあるけどSüdbahnhof(南駅)とは書いてない。これはブラチスラヴァからウィーン市内行きであると勝手に判断し、Sバーンに乗ってしまうことにした。東京行きの新幹線の切符が東京駅ではなく東京都区内であるのと同じなんじゃないかと。何せ、荷物があるもんだから切符売場探しが面倒なんである。(←言い訳)

註)ホントにそれでいいのか確信はありません。同じようにして検札に引っ掛かっても、私を責めないでください(笑)

行き先も確かめずに来た電車に乗る。予約したホテルはウィーンのど真ん中にあり、地下鉄2路線が交差する便利な場所にある。南駅からどっちの方向に行っても、ひとつかふたつでどちらかの地下鉄に連絡するのだ。もしかしてタダ乗りかも…とドキドキしながら一駅。案内表示に従って地下鉄の乗場の方へ。人々の行き交う様子は、やはり都会に来た…という感じ。

タダ乗りか、切符が有効だったかは、検札には会わなかったのでわからない。どっちみち、ウィーンの市内交通ではもう国鉄の管轄機関のお世話にはならないんである。
市内交通(地下鉄+トラム+バス)の便利なフリーパスを入手したい。出来れば、交通パスだけでなく、ウィーンカード(72時間交通パスに美術館の入場割引や飲食店ドリンクサービス等つき)なるものを入手したい。地下鉄乗場にある自動販売機には、当然のことながら交通機関オンリーのパスしかなかった。じゃあ、1回券を買えば? でも、プラハでの地下鉄1回券¥40〜¥50に慣れた身には、ウィーンの1ユーロ(¥140)てのは、いきなり高く感じるのだ。考えてみれば東京の地下鉄と同じ値段なのに。
タバコ屋かキオスクを探せば、ウィーンカード買えるのかも知れないけれど、荷物がある……。この雑踏の中、ヒナコを荷物番させて立たせておくのも不安…。自動販売機のすぐ先はもうホーム、電車が来る気配がする…。頭の中を天使と悪魔がせめぎあう。わーん、神様ごめんなさい! 私の中のプチ悪魔が電車に飛び乗らせてしまった。フリーパスを買う予定とはいえ、まだ買ってないこの時点では立派に無賃乗車である。たった3駅…車内のドキドキはSバーンの比較ではない。車掌さんが来ませんように………!

プチ悪魔は味方してくれたようで、目的の駅に無事着いた。ごめんなさい、もうしません。イタリアで無賃乗車しちゃった時も同じように誓ったハズだったけど(笑)。
地下鉄駅のグラーベン通り寄りの出口を出ると、そこは中心部で一番賑やかなシュテファン広場 Stephansplatz。振り返るとウィーンのシンボル、シュテファン寺院 Stephansdom の堂々たる尖塔がそびえているハズ……。が、塔はがっつり修復中であった。足場に囲われ、シートで覆われ、シートには何やら広告が。げー、興醒めである。これがイタリアあたりだと、シートに原寸大の塔の絵を描いたりする洒落ッ気があるんだけどな。

註)後日、友人に写真を見せたところ、彼等がウィーンを訪れた1年半前は、寺院まるごとシートの中だったそう。塔だけの今の方が大分マシかぁ。完全に修復の足場とシートがはずれるのは来年か再来年てところかしら…

ホテルは地下鉄駅出口からほんの1〜2分のグラーベン・ホテル Das Graben Hotel 。クルマの入れない路地にあるので、団体客はまず来そうもない(他に大型ホテルがウィーンにはいくらでもあるだろう)。古くて小さいホテルだが、ネットで調べたところ、ここは連泊する個人客やリピーターにはなかなか定評のある宿のようだった。何しろ観光の拠点としては抜群に便利なロケーションだし。

3泊の滞在でわかってくるのだが、ロケーション以上にこの宿が気に入ったのは、スタッフのフレンドリーさだった。小さいとはいえ星は4つあるので、それなりのきちんとした対応ではある。でも、大型高級ホテルにありがちな慇懃無礼さはなく、かといって不快に感じる馴れ馴れしさでもない。きちんと一線を画したフレンドリーさ…これは、レセプションも、ドアマンも、朝食のウェイトレスたちも、昼間廊下ですれ違うルームキーパーたちも、スタッフみんながそうだった。こういう対応の気持ちよさは、設備の多少の古さを補ってなお余りある。

地下鉄や近郊線の構内での雑踏の中の移動で、ヒナコは疲れたようだった。ポシェット1個しか持ってないクセに。
彼女を小一時間ばかり昼寝させておこう。その間、またひとりでザッと町を巡って来よう。地理の把握も必要だけど、ウィーンカードとミネラルウォーターの入手もしなくちゃ、だし。これは身軽な状態でするに限る。

フロントにおりてウィーンカードが買えるか聞いた。売ってた。よし、ひとつクリア。紙のカードの片面に名前と日付を書込み、3日間有効。これは明日の日付を書けばいい。裏は交通機関の72時間パス。最初に改札で時刻を刻印すればいいので、今日から使い始めても3日後の夕方まで使える。交通機関のみの72時間パスが12ユーロで、ウィーンカードが16.9ユーロなので、大人2人が3日間ウィーン滞在なら絶対こっちがお得。差額の4.9ユーロは、美術館の類いの10〜25%割引で3日あれば元が取れる。

ウィーンに入った途端、街の雰囲気が一変した。建物ひとつひとつがずっと大きくなり、看板やショーウィンドウなどのデザインも洗練されてくる

無惨にも広告に覆われてしまっているシュテファン寺院の塔

シュテファン寺院前では“モーツァルトな”格好の人たちがコンサート切符を売っている

さて、次は水の入手。地理の把握を兼ねつつスーパーマーケットがないか歩き回る。うーん、観光客ばかりのド中心部ではスーパーはないのかなぁ…。土産物屋やカフェばっかり。カフェのテラス席のテーブルクロスや椅子のデザインなどが、チェコやスロヴァキアのそれよりは、心なし洗練されてきたような気もする。ショウウィンドウのディスプレイも、イタリアやフランスのセンスには遠く及ばないものの垢抜けてきている。少なくともドレスデンよりはお洒落だ。

シュテファン広場からオペラ座までのケルントナー通りには、観光客たちが溢れていた。夕方5時という時刻のせいもあり、フリータイムの時間らしき日本のツアー客もウロウロしている。どうでもいいけど、道の真ん中で立ち止まってガイドブック広げてあーでもないこーでもない叫ぶのは止した方がいいと思うよ。ショルダーバッグから財布見えてるし。思わず「財布、危ないですよ」と声をかけると、まるで私が泥棒かというような目で無言で睨まれてしまった。じゃ、知〜らないッと。

スーパーマーケットは見つからない。土産物屋の中にガラスの冷蔵庫があったので覗いてみたら、1.5リットルボトルの水に3.50ユーロというフザけた値段がついていた。水1本に¥500? 冗談じゃない。ホテルのバーじゃあるまいし。
オペラ座の横に地下鉄駅への降り口がある。プラハでそうだったように地下にスーパーがあるかも? 降りてみると、ファストフードのスタンドや雑貨のショップがずらりと並ぶ地下街になっていた。スーパーあるかも? 端から端まで探したが、やっぱり無かった。あきらめてキオスクのような店で買う。1.80ユーロ。スーパーならもっと安いんだろうけど、さっきの土産物屋のボリボリ価格に比べれば半額である。

結局、地下鉄一駅分の場所まで歩いてしまった。フリーパスを持ってる今は堂々と乗れる。むき出しのボトルを抱いたまま電車に乗り込み、ホテルに帰った。

老舗のケーキの魅惑の味を堪能する

一眠りしたヒナコは元気が復活していた。ホント、この時間は必要だ。疲れると喧嘩も多くなるしね。今1時間半ほど、すたすた歩き回ったことで近辺の地理も把握出来たし。
とはいえ、もう何か観光スポットに入場出来る時間ではない。ウィーンカードを使い始めるのは明日からにしたいしね。かといって、食事にはまだ早い。昨日の早過ぎるレストラン入りでの生演奏集中攻撃は、ヒナコにとってかなり手痛いモノだったらしい。もう懲り懲りだと(笑)。
それなら、ここは「ケーキでお茶」しかないでしょう! なんせ、ウィーン菓子の本場にいるんである。行ってみたい店や食べてみたいケーキは、3泊の滞在では足りないくらいあるんだから。

まずは、ホテル・ザッハのザッハ・トルテといくか。観光客である以上、味わう“べき”一品である。ベタな選択だけどね、はずせないよね。
さっきひとりで歩いたオペラ座の近くにホテル・ザッハはあるはず……。ところが、この伝統と格式あるホテルは思いきり外装の改装中であった。ハプスブルクの面影なんてどこへやら、足場の鉄棒に囲われた姿は、高級ホテルの見る影もない。大通りに面したショップとカフェは仮店鋪の形で営業だけはしていた。でも、でも、でも………!

観光客でごった返す店内や、急拵えの調度類は、高級ホテルのカフェというよりはドトールやスタバの雰囲気である。いや、外に工事の足場の鉄棒が檻のように並んでいるのを眺めながらでは、立ち飲みカフェ以下の落ち着かなさだろう。
でもって値段は、高級ホテルのそれなんである。どれほど美味しいケーキだといっても、許せない。ケーキとコーヒーに¥1000以上払うのは、雰囲気を買う値段でもあるのだ。思いきり嫌気がさしてしまい、別の店に行くことにした。そのままホテルの角を裏手に周り込んでいくと、そちら側はホテルのレストランだった。ガラス越しに覗いてみると、お茶だけの客ばかりみたい。まだディナーには早いから、こっちでケーキだけ食べられるんじゃない??

大正解! 一回諦めたのがよかった。真紅の絨毯やアンティーク調度の並ぶ気品あふれる店内で、優雅に午後のティータイムを過ごせたんである。こんな高級レストラン、ディナーにはおいそれと来られるもんではないではないものね。
値段はカフェと一緒。大通りに面した観光客相手のカフェでは、店員の態度が悪かったという声もよく聞く。事実、後日お土産用のザッハ・トルテを買いにショップへ行った時「売ってやる」みたいな態度で腹が立った。レストランの方のウェイターは、5つ星ホテルのレストランのそれである。店の雰囲気や接客態度も、高いお金を払う価値あるもの。ザッハ・トルテを味わおうという方々、ディナーやランチをはずした時間に、ちょっと路地側に廻ってレストランの方に行くのを断然おすすめ。

ケーキはいろんな種類を食べたいから、ヒナコと半分ずつにする。ひとつは当然ザッハ・トルテ生クリーム添え、もうひとつはやっぱりウィーン菓子の定番アップル・シュトゥルーデルで決まり! こっちでは生クリームに砂糖を入れないでホイップするので、トルテに添えるのは、むしろ濃厚過ぎる甘さを和らげる働きをする。かなり甘いが、外側のチョコレートコーティングはほんのり酸味も感じる香りの良さ。このコーティング部分、ヘタな店では変なザラザラ感があるのよねー。
ちなみに、日本でウィンナーコーヒーと呼ばれる生クリーム入りのコーヒーは、アインシュペンナーという。ウェイターはこれを薦めたが、断固として「エスプレッソで!」と言い張る。甘いケーキと一緒のコーヒー、食後のコーヒーは、絶対濃いブラックコーヒーでないと、私は駄目なの。

至福のケーキ・タイム。エスプレッソといってもイタリアほど濃くはないので、ケーキと一緒に飲むにはちょうどいい

観光客定番ザッハ・トルテ。ホイップクリームはちょっと泡立て過ぎかな? このちょい手前、クリーミーさが残ってるくらいが好み。バカ力に物言わせて泡立ててるの?

アップルシュトゥルーデルは、オーストリアの伝統的アップルパイ。ドライフルーツが混ざったものもあるけど、ここのはただただ林檎がずっしり入っていた。ちょいシナモン風味。シンプルだけど美味しい

大満足で店を出る。チェコやスロヴァキアからウィーンに入って感じたこと。まず、いきなり物価が高くなった。プラハでは高級カフェのコーヒーは¥250程度、安い店では¥100ちょっとだった。ここでは高級カフェでのコーヒーは¥500くらいする。ケーキも¥500くらい。でも、コーヒーの味は段違いで美味しい。
市内交通の値段も、絵葉書1枚の値段も日本並。プラハでは3分の1だった。美術館の入場料も2〜3倍である。ただ、収蔵品の質はこっちの方が断然上だから、一概に値段をどうこう言えないな。
街の景観としても、いきなり建物が豪壮で大きくなった。ウィーンに着いてすぐは、あまり写真が撮れなかったくらい。上手くファインダーに収められないんだもの…

さて、小腹は満たされた。夕食には微妙に早い。ヒナコは「レストランに入るのは、絶対に普通に混んでいる時間にして」と言う。そう、そんなにツラかったのね、昨日の生演奏攻撃は…。まあ、一眠りして元気が回復したせいもあるだろうけど。まだまだ明るいし、気温もちょうどいいし、ウィーン市内を散策して廻ろうか。地下鉄&トラムだって乗り放題だしね。

ちなみにウィーンは東京と同じ23区に分かれている。見どころが集中しているのは1区で、周りにリンクと呼ばれる環状道路がある。山手線のように円く走っているトラムで一周すると、手軽にリンク周辺の建築物ウォッチングが出来るのだ。山手線は一周1時間だが、リンクのトラムは30分。いい時間潰しだ。
1区を取り巻く環状道路はクルマのガンガン走る大通りでもある。オペラ座の先を外側に渡ると、いきなりデカいスーパーマーケットがあった。あー、さっき道の手前まで探しに来たのにな。ちょっと渡ってみればよかったんだぁ…。まあ、場所がわかればいい。これで滞在中も買物に来られる。

リンクを1周するラインに乗り、ところどころで降りて散策したり、また乗ったりしながら1時間半かけてひと回りした。階段の昇り下りのないトラムは、ホントこういうことするのに都合がいい。勿論フリーパスのお陰で乗ったり降りたりが気軽なのもある。

そろそろ晩ご飯にも充分な頃合。
観光客のベタな選択として「ザッハ・ホテルでザッハ・トルテとお茶」ってのをやったんだから、夕食のメニューもベタなチョイスをしよう。ウィーン名物・豚肉のシュニッツェル! それも特大シュニツェルを出すことで有名な店『フィグルミュラー』へ行かなくちゃ。

リンク沿いの大通りで見た、綺麗な夕暮れ

立ち飲み居酒屋の並ぶ通り

店は、シュテファン寺院の路地裏にある。立ち飲み居酒屋などの並ぶ、ヨーロッパの庶民の古き良き時代を彷佛させる一画。店はそこそこ賑わっていた。よしよし。
メニューには「ウィーンナー・シュニッツェル」の行だけが3倍くらいの大きさで書かれている。そう、とにかく「売り」なわけね。シュニッツェルとミックスサラダを一皿ずつ頼んだ。少ない品数だけど、気取らない店なんだし、残すよりはいいでしょ。

ウインナー・シュニッツェルは、平たく言えばウィーン風とんカツ。叩いて平たく柔らかくした豚肉を揚げたもの。外はサクサク中はジューシーで、薄いので、大きさの割には軽く平らげられる。とはいえ、半分だからこそ美味しく食べられるのよねー。斜め向かいの席に若い日本人カップルがいたのだが、彼等は3分の1以上残していた。女性の方はチキン料理のようなものを残さず平らげていたが、男性の方は残ったシュニッツェルを眺めてうんざり顔。1枚食べようとしたら、途中で飽きると思うよ…

サラダは、逆の意味で上げ底であった。葉っぱ類どっさりで、ちょっとポテトサラダが添えてあるのかなーという盛り付けに見えたが、下半分がびっしりとポテトサラダであった。凄まじいボリュームである。じゃがいもの種類も白っぽいヤツでなく、ドイツなんかによくある黄色くて味の濃いお芋。このじゃがいもは美味しいんだけど、お腹への重量感が白いものの倍くらいあるのだ。

白ワインと、ヒナコ用にアップルワイン。飲み口が爽やかなので、彼女はかなりお気に召したようだった。でも、結構アルコール度数は高いんだからねー…要注意である。ワインは新酒だったので、まだ味が若くて、私にはちょっと物足りなかった。ガス入り水も1本もらう。これがあれば、脂っこい食事もするする食べられる

どどーんと特大シュニッツェル。直径30cm以上はある。レモンのサイズから推し量っていただきたい

サラダもてんこ盛り。一見、余裕な量に見えるが、下半分はびっしり芋芋芋。イモサラダに葉っぱが被せてある感じ。侮りがたし

シュニッツェルもサラダも、正確には私が3分の2近くを食べている(食べさせられている)。グラスワインも種類を変えて3杯ほどお代りしてしまったので、お腹ははち切れそう。それでもついつい「頼んだものは残さない主義」を貫いてしまった。
カジュアルな店だが、合計35ユーロ。この分量でなら高くはないが、チェコやスロヴァキアの2倍の値段ではある。随所でこの物価の違いは感じるんだろうな…。

古き良きカフェでゆったり、のち、絶叫オバさんとの遭遇

ホテルへは5分ほどで戻れる距離だが、このまま帰ってしまうのも何だか勿体ない気がする。ウィーンに来たら、値段は上がったけどコーヒーが断然美味しくなったことだし、老舗カフェで食後のお茶といこう。ホテルのある路地には『ハヴェルカ』という伝説の店があるのだ。芸術家やジャーナリストがたむろしたというカフェ文化発祥の店。オープンは1世紀以上前でありながら、改装は一度もしていないという。古色蒼然とした店内は、12時近い時刻というのに、食後のコーヒーとお喋りを楽しむたくさんの人々で賑わっていた。

店内も古色蒼然だが、ウェイターの方々も古色蒼然としている。年金生活しててもおかしくないような年齢の……しかし、彼等はテーブルの狭い隙間をくるくるとよく動く。
壁は、さまざまな画家たちの作品で飾られている。もしかすると、今は著明な誰かの無名時代の作品もあるのかもしれない。たまったコーヒー代のツケ代わりに作品を置いていったとか……? 100年の昔、討論を交わしていた若き芸術家たちの姿が浮かぶような気がする。いや、正直言うと、ちょっと無理矢理浮かばせた。

オーストリアのカフェは、日本の喫茶店と同じで「お冷や」がついてくるのが嬉しい。お冷やのお代りはくれないけどね。

『ハヴェルカ』の店内。100年前と比べて、ただ人々の服装が変わっただけかもしれない

ホテルに戻り、鍵を受け取る。フロントのすぐ裏手が階段ホールで、階段の真ん中を旧式のエレベーターが1基貫いている、小さなホテルにはよくある構造。ボタンを押すが、函は下りて来ない。3階で止まってしまっているようで、いつまでたっても下りて来ない。見上げてみると柵で囲われた中に函の底が見えている。私ひとりなら、じれったくなって階段で登るところだが、ヒナコがいるからね。

函の止まっている階で、どすーん!ばたーん!という大きな物音がして、何か女性が口汚く罵っているような声が聞こえた。ん?ん?? 夫婦喧嘩か何か? フロントの男性も壁の裏からちょっと顔を覗かせたが、また引っ込んだ。再び、女性の半泣きのような罵声が響いた。何だっていうの? 喧嘩して旦那に閉め出されたとか? 廊下でやるなよな……。

女性の罵声と泣き声は続く。どすーん!ばたーん!も聞こえる。さらに泣きわめきながら、階段を駆け降りて来るようだ。泣き声が螺旋状にどんどん近づいて来て、降りてくる足元が見える……裸足だ。50歳前後くらいの金髪の女性だ。私がそんなことに順々に気づくと同時に、その女性もホールに立つ私に気づいた。目が合う。途端、
「エキュスキューズ ミイィィィィィィィィ〜〜〜〜〜」
絶叫しながら駆け寄って来て、手前にいた私を突き飛ばし、ヒナコの両肩をがっちりつかんでガクガク揺さぶりながら、さらに大絶叫しまくる。
「ポリス、ポリス、ポリス!! ポリスを呼んでぇぇぇぇ」
ヒナコは驚愕のあまり、目をむいて硬直したまま。

フロントの男性は即座に飛んで来て、割って入った。決して私たちや相手の身体に触れないよう、肩を斜めにねじ込むようにして引き離すのは…さすがだ。

彼女は呂律の回らない口調で叫び続ける。
「ポリス、ポリ〜〜ィス! この建物には幽霊がいるのよ、幽霊、幽霊! ………ポリィィィ〜ス」
男性は冷静に諌めている。私のヒアリング能力がたいしてない上に、静かに小声で話しているのを横から聞くので、全部は聞き取れないのだけど。
「落ち着いてください。どうされたんですか? 警察が必要なのは何故ですか? どうぞお静かに願います。夜ですし、迷惑になりますし、こちらのご婦人がたはリフトを使いたいのですよ」みたいなことを、丁寧に言っている。

オバさんは、へらへらっと笑ったりしながら「ポリ〜ス? 私はポリスじゃないわよ?」かと思うと「幽霊がいるのよ、ポリス呼んでぇぇ」その合間には「ひょぇぇぇ〜〜〜〜」みたいな意味不明の絶叫。いったい何だというのだ? 酔っぱらい? そんな顔にも見えないけど。薬物か何か使ってるふうにも見えないけど。その間もエレベーターの函は3階で止まったまんま。
男性は静かに諌め続けているけど、そんなわけで一向に埒があかない。成りゆきは気になったけど、階段ホールでいつまでも叫ばせていたら部屋でくつろぐ他の客に迷惑だ。
「いいです、私たち階段使うから」と言うと、男性は目顔で「申し訳ない、そうしてくれますか」というように軽くうなずく。
階段を登りつつ振り返ってみると、男性がオバさんを事務室の方へ連れて行くのが見えた。2フロア分登る間も「ひょぉぉ〜〜! ポリィス、ポリ〜ス、ひゃあぁぁぁ〜〜、ポリィィィ−−ス!! きゃーははははは」絶叫は続いていた。

二重ドアになっている部屋の扉を閉めると、絶叫はいきなり遮断された。ひょんなことから、この小さくて古いホテルの防音がなかなか優れていることを知る。
ヒナコは驚愕の表情がそのまま貼付いてしまったような顔をしている。
「…怖かった。びっくりしたぁ……あー今晩夢に見そう」

私たちは、この時点では、宿泊客の夫婦が喧嘩して奥さんが閉め出されたのだと思っていた。まったくハタ迷惑な人よね、旦那何やってんのよね! そんなふうに話す。でも笑えるね。世の中いろんな人がいるよねー。
絶叫オバさんのひん向いた目は怖かったが、昼間の疲れから悪夢を見ることもなくぐっすり眠った。

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