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1年めの検診を迎える

皮膚パッチテストの一週間

検診結果は無事クリア

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いよいよ入院

乳房再建のためのデザインを施す

手術まで首を洗って待つのみ

手術──再び辛く長い一夜

なんでこんな手術受けちゃったんだろう……

再建乳房と感動の初対面!

再び苦しむ激痛の夜

入院生活のタイムテーブル

快復停滞の分岐はどこにあるの?

そろそろ退院が視野に入ってきたかな

30日ぶりで外の世界へ

背中の大怪我、続行中

ドレーンを入れての強制排液

「カサブタ剥いじゃおうね」

恐怖の溶解脂肪ダダ漏れ事件

医療従事者と患者との間には温度差がある

傷口が裂けちゃった!

背中の傷に植皮を開始

遺伝性乳癌による予防的乳房切除に思うこと

いっこうに脂肪流出が止まらない

乳癌治療に関するいくつかのニュース

そろそろ心が折れてきた

身体はちゃんと頑張っていたんだね

旅立ってしまった友

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快復停滞の分岐はどこにあるの?

手術から9日め、2月になった。入院から手術日にかけては暗い曇天だったけれど、ここのところは毎日青空で気分もいい。私は粛々と療養生活を送っている。

毎日の食事はほとんど「修行食」だった。なんせ一日1500kcalしかないのである。1500kcalってクリーム系のパスタだったら一皿でそれくらいあるでしょ。幸いなことに、腹帯でギュウウウと締め上げられているので、そんなに食べられないのである。乳癌手術の時は夜中にこっそりとどら焼き食べたりしてたけど、今回はそんなこと思わないもの。
腹帯で締め上げるのは、背中の傷を圧迫して滲出液を押し出して早く回復させるためだ。滲出液が出ている間は内部で傷はくっつかないから。私の滲出液はどうやらドロドロと粘るみたいで、夜中のチューブ詰まり騒ぎ以降、ナースも気にしてマメにチェックに来てくれた。私もチューブに塊を見つけると、ぐりぐり潰したりしごいたり。とにかくとにかくあの激痛はもう嫌! 絶対に嫌!

その背中の傷なのだが、毎日のS先生の処置の際、とても痛いポイントがある。一番最初に処置を受けた時には、あまりの痛みに「ぐっ………!」と一瞬呻いて、そのまま息が止まりそうになったほど。そう、本当に痛いと声って出ないのだ。特大綿棒のようなもので背中の傷を端からポンポンポンと消毒していく、ちょうど真ん中あたりかしら。後ろ向きになっているから自分では見えなくてよくわからない。次に大きなヘラにてんこ盛りに絞り出した軟膏を塗られるが、これは塗りつけるというよりはたっぷり乗せる感じなのでさほど痛まない。再建胸も同じようにして、大量にガーゼを当てられて、また厳重に包み込まれて、それで処置は終わり。
私が痛がった時、S先生は「えっ! ここ痛いの?」ってびっくりした感じだった。ということは、悪そうには見えてないってことなのかな?

翌日の処置でも同じポイントで「ぐっ………!」となって、思わず
「先生! そこは痛いって言ったじゃないですかあ!」などと非難するように叫んでしまった。
「ああ、ごめんごめん、そうだったよね」
翌々日も痛くされたらまた叫んでやる!などと思っていたら、S先生の方から先に「ここは痛いんだよね?」と言って、その箇所はそうーっと塗ってくれた。

他の人に比べてドロドロ気味の私の滲出液は、量も多いらしかった。排液のボトルは300cc以上入りそうなのに、手術翌日と翌々日は2回捨ててたように思う。人によっては初日から100ccを切る人もいるそうだけど、私は400ccくらいあったのかも。とにかく排液量が減らない限り、ドレーンは抜いてもらえず退院もありえないわけで。毎晩の検温時にボトルの排液量を量るのだが、その数値にいちいち一喜一憂し、個人差があると知っていながらも他人の数値と比較してしまったりした。些末な数字に振り回されるのは馬鹿げているのに……。
手術4日後には211cc溜まった排液も、6日後には145ccまで減った。翌日からは132cc、120cc、109cc、94cc、88cc、76ccと毎日10ccちょっとずつ順調に減って、2週間経過した2月5日には67ccになった。一日30cc以下になったらドレーンの管を抜いてもらえるらしいから、あと少し!
病院内にいると気温はわからないけど、暖かい日が続いていたらしく、私は薄紙を剥ぐようではあるけれど着実に回復していた……つもりだった。

それまでもらえなかった全身シャワー許可も2週間めにようやくおりた。下半身シャワーだけでは物足りない気持ち悪いと訴える私に
「だってさあ、この人かぶれちゃうんだもん」と、S先生は口を尖らす。そんなこと言われても。
感染症防止のためドレーンの出口の上には透明シートを貼って水に濡れないようカバーするのだが、数日間貼りっぱなしにしておくらしい。ああ、あの粘着シートかあ……あれは駄目なんだわ、必ずかぶれるんだわ。でも私だって好きでかぶれてるわけじゃないんだしと、涙目になっていると
「貼りっぱなしは駄目でも、シャワー直前に貼って終わったらすぐ剥がせば大丈夫なんですよね?」その場にいたナースが申し出てくれた。ありがとう! シャワー前後にお手数かけることになっちゃうけど、助かります!

そして、シャワー室の鏡に映すことによって、ついに私は再建胸と正面からの対面を果たした。この感動と喜びといったら、最初に処置室で上から見下ろした時のものを何倍も上回るものだった。私の要求した「左右対称の胸」──それは確実に叶えられている。腫れや浮腫みがひいて移植組織が吸収されたり萎縮したりしていく分を見越して1.5倍くらい大きく作ってあるけれど、健側の乳房をそのまま150%拡大したように“同じ形”なのだ。私の胸の個性をちゃんと捉えてある。これは既製のシリコンインプラントでは真似できない上に、S先生の造形センスがあってこそのものだ。すごい! すごいよ! 見れば見るほど嬉しさのあまりに口元がにま〜〜と弛んでしまう。
誰もいないのをいいことに、少し前屈みになって胸をぐっと寄せて「谷間ッ」などと言いながらポーズを取ったりしてみた。背中にあったシミや湿疹痕が胸に移動してきてたのを見て、ああ本当に背中の皮膚や筋肉を移植したんだなあと実感した。皮膚を取る場所をちょっとズラしてくれればいいのにね……と少しだけ悔しい。瘢痕鉤縮でくしゃくしゃになっていた部分は、うまく引き剥がして乳房下部に持っていってあった。多少色素沈着しているけれど、滑らかになってるし下側で陰になってる場所だし、全然目立たない。ホント、完璧! S先生が自画自賛するだけの出来だ。

ひとしきり喜び終わってから、今度は振り返って背中の傷も見た。こちらは恐ろしかった。あまりの怖さに目眩がしてその場で気が遠くなりそうだった。
傷の長さは、肩甲骨あたりから脇腹まで斜めに袈裟懸けにザックリと27〜28cmほどもあった。傷が長くなることはあらかじめ聞かされてはいたけれど、想像以上だった。縫合跡がまだまだ生々しいせいもあるんだろうけど、問題なのは……。内出血なんだろうか、皮膚が広い範囲で青黒紫色している。怖い、この色、怖いよお。
中身を削り取り皮膚を切り取ったところを引っぱって縫い合わせてあるから、負荷がかかってるわけで、これがもっと黒くなると皮膚壊死しちゃうのだ。毎回の処置でS先生が血行をよくする軟膏をべたべた塗ってるけど、この青黒いところが壊死しないようにしてるのね。2週間経ってもこんなんなってるんだもん、そりゃ痛いわな……って改めて納得。壊死させずにすむだろうか……? この青黒さは瀬戸際にある感じだなあ。

うっかり背中の傷を見てしまったため、せっかくコントロール出来てた痛みがまたぶり返してしまったような気がする。シャワーで血流を良くするのはいいことなので、明日も明後日も浴びようとは思うけど、もう絶対に背中は鏡に映さない! 胸見てほくそ笑むだけにする! 術後に貼った頑丈なテープを切って抜糸し、肌色のサージカルテープに取り替えたので、胸の見た目はぐっと自然な感じの「綺麗な丸い胸」になったんだもの。こっちだけ何度も見て、そのたびに惚れ惚れすることにしよう。

ところが、痛みがぶり返してきたのは、決して気分だけの問題ではなかった。

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